堕ちる

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堕ちる

 どこまでも落ちていく。  際限なく、闇が続く。  深く、深く。  きっと、地の底まで。  フワフワ。漂う。  フワフワ。フワフワ。  フワフワ。  沈む火乃香の両足を抱きとめるような声で、凛は優しくささやく。それは禁断の誘いであるくせに、甘い。 「ね? 君も好きなんだよ。あんなに美味しい肉はほかにないって、君も言ってたろ? だから、僕らは仲間だ。同じ殺人者で、カニバリアンでもある。同族なんだよ。僕らは君を快く迎えるよ」  でも、火乃香はあれが人の肉だなんて思ってなかった。たしかに、とてもやわらかく、脂っこくもなく、甘味があって、ものすごく美味だったけど。でも、人だとわかっていれば食べなかった。 (ホ・ン・ト・ニ・ソ・ウ?)  大人の姿で、夢の友達は言う。 「だから、早く逃げなさいって言ったのに」 「わたしなんて、車でひかれたあと、食べられたのよ? ちょうどいい肉が手に入ったって。信じらんない」とパタパタ舞うのはコウイカ。  彼女たちをさまげるように、凛が告げる。 「大丈夫。僕らは決して仲間を食べない。君はもう仲間だ。大切にすると誓う。僕と結婚してくれ。僕はほかのメンバーと違って、誰でもいいわけじゃない。愛する人ほど食べたい性癖なんだけど、我慢するよ。君のこの指も、シンデレラみたいなつまさきも、やわらかな胸も、頬も、体じゅう全部、食べてしまいたいくらい可愛い。けど、我慢する。そのかわり、君は僕の子どもを生んでくれ。たくさん、たくさん。僕はを君をだと思って食べるから。七年は君の離婚が成立しないから、どっちみち、そのあいだにできた子は育てられないしね。君は育てたいのかな? だったら、男の子と女の子、一人ずつはちゃんと成人させよう。財産とクラブも継がせないといけないしね。今から楽しみでしかたないよ。愛しい君の生んだ、僕の大切な子どもたちを味わえるなんて。きっと、可愛くて可愛くて、たまらないんだろうな。絶対に美味いよ。絶対に」  恍惚としたようすで、凛はまくしたてる。こんなに興奮した彼を初めて見る。そして、瞳をキラキラさせて、少年みたいな凛は、困ったことに、とても魅力的なのだ。  まちがいない。彼は正真正銘の青髭だ。欲張りな青髭もどきじゃない。足のさきから頭のてっぺんまで、髪の毛ひとすじあまさず、青髭の血でできている。  でも、やっぱり好き。 「わたしがお母さんとそっくりだから好きなんでしょ? わたしを好きなわけじゃないよね?」 「最初は母に似てる君に惹かれたよ。だけど、それだけなら、こんなに食べたくならない。君はあぶなっかしくて、ほっとけないんだ」 「ほんとに? わたしを守ってくれる?」 「一生、守るよ」  耳元で外野(霊たち)がさわいでいる。 「ああ、ダメ。火乃香。ヤバイよ。その相手は危険すぎるって」 「わらわは良きかと思う。狐は肉食ゆえ。何より、誓いをたがえぬ(おのこ)こそ唯一無二よ」 「なんで、あんたばっかり幸せに……春翔を返してよ」 「凛はわたしのものよ! ずっと凛のためにつくしてきたのは、このわたしなのよ?」 「ひかれて、食べられて、でも素敵よ。わたしの肉を彼が噛んだの。マゾヒスティックな快感」 「凛を頼みます。不憫な子なの。わたしが悪いのよ。だって、ほんとに美味しそうな子でしょ? パパの肉は筋ばってたもの」  頭のなかがゴチャゴチャするけど、火乃香に彼らの声は届かない。  くずれおちたビスクドールの破片を一個ずつ集めて、接着剤で強引にくっつける。  形がゆがんでる? そんなの気にしない。 (これでいいんだ。もとどおり。わたしは幸せ)  やっと、わたしの王子様が迎えに来てくれた。 「あなたと結婚する。そのかわり、一生、大事にしてね?」 「ああ。もちろん!」  夫の亡骸(なきがら)の前で、火乃香は凛と抱きあった。唇を重ね、首すじや乳房を甘噛みされると、陶酔がほとばしる。 「わたしを食べないで」 「我慢するよ。我慢する。そっと、なめるだけならいい?」  じゃれあって、愛し、愛される幸せ。こんなあたりまえのことも知らなかった。長い指で全身をなでられ、舌さきでなぞられると、肉づきや舌ざわりを確認されてるような変な気分。 (わたし、味見されてるみたい?)  クスクス。フワフワ。くすぐったい。  さあ、作ろう。二人で食べるための子羊を。たくさん、たくさん。  誇らしげな蠢動(しゅんどう)を深く受けとめると、もう何も考えられない。  わたしの王子様は、青髭——
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