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ご契約は、慎重に
ありえない。そんな破格の条件。
「だって、そんなの美味しい話すぎる」
逆にあやしい。
だが。
「いや、今更ニーシャさんに何の審査の必要が? こちらは全て事情を把握していますし、ニーシャさんに限ってまさか申告漏れの病歴なんかもないでしょうし~」
「それは」
そうかもしれないと、言われて思った。全ては筒抜けなのだ。今更新たな事実なども出てきはしない。
「それにそちらのお二人がニーシャさんに傷なんて許さないのは、陛下も分かっておりますし」
いや、だが故意ではなくとも不慮の事故は起きるものなのだ。
なんせ生贄で、不幸スキル持ちで、呪いまであるのだから。
二人が最強と認知されていても、それを追い越すレベルでスキルが発動しないとは限らない。だから人生に保険は必要。
が、ここで一瞬ニーシャの動きが留まった。
「ん? 今陛下って言った?」
そう聞こえた気がする。
だが、問えばウルスの方も“ん?”という表情を返して来た。
「いえ、弊社と言いましたが。聞き間違えでは」
「そう?」
そうかもしれない。
陛下と弊社。とても似ている。
「ニーシャ、あと二分二十五秒」
ディークラディアの声が響いた。
「ウルスさん、約款見せてください」
ハッとしてニーシャは倒れた椅子を元に戻し、差し出された書類に高速で目を通す。
約款の速読は得意だ。
何せこなした契約数が違う。そう思うと、悲しい特技ではあるけれど。
「えぇっと特記事項は……大丈夫、解約の条件、違反条項……」
保険料はどこよりお得とは言いながら、やはり痛い。痛いが、今はどう考えても必要な契約。ニーシャは端から端までしっかり目を通してから、ひとつ大きく頷いた。
「ウルスさん、契約します」
「ありがとうござます」
時間がない。恐らくあと三十秒ちょっと。
「ニーシャさんの住所などは既に弊社と結んでいる契約がありますので、こちらに既に印字済みのものをご用意しています」
受け取った上質紙の内容にも目を走らせる。
差し出されたペンはよくある自動インク補充型の万年筆だ。ブラン提案の資料に試しにインクを数度走らせてから、ニーシャは唯一空白になっている部分にペン先を向けた。
生まれてから何度も何度も書いて来た自分の名前をそこに記せば。
「はい! これにて契約の完了です! いつもご贔屓にしてくださり有難うございます~!」
書き終えた文字が一度光を放った。
おかしなことではない。契約が有効に結ばれたことを示すごく一般的な現象だ。
「こちらこそ、今回も有難うございます」
「いえいえ、そんな」
ウルスから手を差し出される。
「!」
ウルスさんと握手!
そうそう巡って来ないチャンスに、ニーシャは目を輝かせた。
だって相手は毛艶最高のもふもふ猫獣人である。常に全身から魅力を放っているが、もちろん失礼に当たるし破廉恥な好意でもあるので滅多に触れられるものではない。だからこうして合法的な機会が巡って来るなんて、とてもツイていることなのだ。
「ふあぁあ」
握った手は厚みがあって柔らかでもふもふしている。でも手のひらの方は肉球でぷにぷにしていて、何とも魅惑の触り心地だった。一生こうしていたい気分にさせられるくらい。
「無事に契約が成立したようで良かった」
「まぁ、俺がいればどんな保険よりも手厚い保障がある、というか保障が必要な事態にはさせないがな」
「珍しいな、同意見だ。主語を変えればの話だが」
が、至福な気分はあえなく霧散した。一時緩まっていた空気が、また瞬時に固くなる。
どうやら、約束の六分が経過したらしい。
「ウルスさん、これ以上は危ないから」
二人はニーシャの安全は確保するだろうが、ウルスは別だ。巻き込まれて彼がどんな被害が及ぶか分からない。
「あ、はいこれで。実は今日はこの後もアポが続いていて~」
「さすがウルスさん、お客さんから引く手数多」
「ふふ、また何かありましたらいつでもご連絡ください」
あ、こちらニーシャさん受け取りの方の契約書の写しです~とウルスは紙面を差し出し、立ち上がってからパンパンと二回手を叩いた。すると契約書の原紙はくるりと丸まってカバンの中に、テーブルセット一式は床に吸い込まれるようにして消えて行く。それから彼の尻尾が背中で左右に数回大きく揺れると、その場に小さな陣が現れた。
「ではでは、契約書類原紙に弊社の発行番号を記した特殊印を押してから、諸々の資料と共に改めてお送りします。送り先はご自宅の方で宜しいですか~?」
「あ、はい」
「分かりました、郵送致しますので、それでは~」
ぺこり、お辞儀をしてからウルスがその魔方陣の中に身体を入れると、そのまま彼はその向こうの空間に吸い込まれて行った。空間転移魔法だ。
「よし、これでニーシャの懸念事項はなくなったな?」
「保険も契約できたし、今からこの外道はオレがこの世から消すし、もう安心だな? 黙ってどっかに行ったり二度としないよな?」
「いやぁ、その……」
「「ニーシャ?」」
ウルスがいなくなった途端これだ。
二人の圧に押されて、ニーシャは目を泳がせる。
ニーシャは生まれながらにして何度も魔物や謎の儀式の生贄にされかけたり、事故に遭ったり、呪いにかかったり、そして自分にだけではなく人にも不幸を撒き散らして来た。
こんなはた迷惑な存在。
誰からも好かれない。いっそさっさと死んでくれたらーーーーそんな風に言われたことも一度や二度ではない。
だから当然友人なんてできやしないし、両親にだって疲れ果てた顔を何度もされた。どうしようもなく、ニーシャは独りだった。
いや、嘘だ。
ニーシャはヒト科平凡代表一般人なのだ。魔法スキルもロクに持ち合わせていなかった。
そんなへちょこニーシャが、こんな生い立ちで今日まで生きてこれたのは。
それは間違いなくこの二人のおかげで。
「あのさぁ、もうこういうの、やめられないの?」
何度もトラブルに巻き込まれ死にかけるニーシャ。ピンチの度にヴィスタやディークラディアがいつも助けてくれた。二人に救われたその数は、もう今や数えきれない。
「二人とも美形だし、スキルも一級だし、性格はちょっとアレだけど、オレなんかじゃなくてもいくらでも他に相手がいるじゃん」
助けてくれたそのことには感謝している。契約印については異議申し立て及び解除を求めるが、まぁそれはこの際ちょっとだけ脇に置いておこうとニーシャは思う。
「ニーシャ、何を言い出すんだよ」
「お前以外は塵芥に等しいのだぞ?」
「いや、そんな訳ないでしょ」
でも、そもそもおかしいのだ。
ニーシャには嫌がられる要素はあっても、好かれる要素はない。
これで顔が超絶美しい造りをしているとかならまだふらつくのも分かるが、童顔でこれといって綺麗でも何でもない。本当に普通も普通なのだ。
それなのに、二人はニーシャに執着する。どこまでもどこまでも固執して、追いかけて、好きだの何だの言う。自分を唯一に選んでくれと。
「いい加減、こんなはた迷惑な醜くて下らない争いはやめるべきだよ」
こんなの、おかしい。二人はおかしい。
けれど、その“おかしい”の原因にニーシャは心当たりがあるのだ。
「世に名を轟かせる勇者と魔王が分かってないの? それともわざと目を逸らしてるの?」
「ニーシャ?」
「どうした?」
言いたくないな、と思う。けれど言ってしまえば解放されるのかもしれないともニーシャは思う。
「呪いだよ。全部呪いのせい」
延縛の呪い。
ニーシャが生まれつき持っていた、特定の相手から決して逃れられない呪い。
魔王と勇者はニーシャの持って生まれたこの呪いが原因で、こんなにも恐ろしく執着しているのだ。
それに“恋”とか“愛”という誤解に塗れた名前を与えて。
「好きとかそういうの、勘違いでしょ。そもそも好きになる要素、オレのどこにもないじゃん。オレのこの呪いの力が強すぎて、二人はオレに執着せざるを得ないだけ。別に自分の意思じゃない」
そう考えれば納得できる。こんなに凡庸でも、迷惑という迷惑をかけまくっても自分から離れて行かないその訳が。
「ニーシャ、そんな風に思っていたのか?」
「まさか、自分の気持ちと呪いの区別くらいつく」
「どうだか!」
戸惑いの表情を浮かべる二人に向けて、声を張り上げる。
「オレは確かに何もプラスになるも何もの持ってないよ。基礎魔法も使えないくらいよわよわで、ホントただのヒトって感じだよ。でも!」
ニーシャは負の方向にならステータス全振りなのだ。この世の誰より突き抜けているのだ。
それこそきっと最強と言っていいほどに。
「生贄ぴったりで! 不幸製造機で! ド級の呪い持ちだぞ! この三つ掛け合わせたら、勇者も魔王様も凌ぐめちゃくちゃ強い力になってもおかしくない……!」
それなのにこんな国家が真っ青になる規模でニーシャを巡って争ってるなんて、馬鹿みたいだ。意味がない。
嫁だとか、連れ添いたいだとか、独占したいだなんて、全部彼らの意思で出ている言葉ではない。
決してニーシャ本人に魅力がたっぷりだからではない、呪いの力によるものなのである。
「……ニーシャ、いい加減にしろよ?」
低く地を這うような声を響かせたのはヴィスタ。
「オレはオレの意思でお前のことが好きに決まってるだろ。お前の可愛くて堪らないところいくらでも言えるよ、存在丸ごと好きだよ、お前の全部が欲しいのは何かの強制力じゃなくて、小さい頃から一緒に過ごして色んなこと積み上げて来て、お前のことをよく知ってるからだよ」
お怒りになっている。本当に怒っている時の声音だと、長い付き合いのニーシャには分かっていた。けれど、それに怯んで発言を翻したりはしない。
「だから、それが全部っ」
「偽物なんかじゃない。やめてくれ、そんな理由でオレを拒むのか? そもそも今回黙っていなくなられたのだってかなり堪えたのに。そうだよ、ニーシャの属性やスキルは超一級だ。目を離した隙にどんな理不尽な目に遭うか分からない。オレの知らないところで何か取り返しのつかない目に遭ってるんじゃないかって思ったら……! 離れてる間どれだけ怖かったか、ニーシャはこの気持ちまで偽物だって言うのか?」
「っ……」
怒りのためかぎゅっと握った拳を震わせる勇者から、ニーシャは目を逸らした。
そうしたら、もう一人と目が合って。
「ニーシャ」
こちらの反応はヴィスタとは正反対だった。
ディークラディアは形のいい唇をきゅっと持ち上げた。
「まさかそんな風に思われていたとは」
「ディー……」
「その身に刻まれた呪いにそれほどまで悩んでいたとは、気付いてやれずに済まなかった」
確かにニーシャの持つものは凄まじい効力を持つ、と魔王様はこくりと頷く。
「何をすればその不安は晴れる? というかそれは必要な不安か? むしろ決してニーシャを裏切ることはない、その担保になるものでは?」
が、こちらも呪いの力の強制力を本気にはしていなかった。いや、呪いが本当でも構わないというスタンスだ。
「ニーシャ、お前の呪いは別に人の心を操るものではない。お前がただただ相手から逃れられないというだけのものだ」
「オレが傾国の美少年だったらそれも納得するよ。でもさっきから言ってる通り、オレは平々凡々なの、逃げられないほどにしつこくされる意味がそもそも分からないって話で、だからそこに強制力があるんだって。そもそも生贄ポジで、魔物には美味しく見えるって言うし」
「確かにニーシャは美味そうだ。だが平々凡々? 面白いことを言う。こんなにも愛らしくていじらしくてどうしようもない生き物を、俺は他に知らないぞ?」
ペロリ、赤い舌が唇を舐める。性的にと言うよりは、物理で食されてしまうのではと思う恍惚の表情をディークラディアは浮かべていた。
「とにかく! 何言ったって、オレは信じないから! だからこんな無意味な争いは……」
もうやめた方がいい、そう言い切る前のことだった。
ズドン! と大きな音と共に光が炸裂する。
「っとに、油断も隙もないな」
「残念、仕留め損ねたか」
そんな素振りは全く見えなかったのに、ニーシャと話していたクセに水面下ではお互いに牽制しあっていたらしい。
「まぁとにかく分からせてやらないといけないようだな?」
「それはそうだな」
「ニーシャにこの愛の純度を理解してもらうには、みっちり時間をかけないといけないようだ」
「あぁオレとニーシャの話、という注釈は付くが。だからこそ今日こそ決着をつけようじゃないか」
「異論はない。生き残った方がニーシャの人生をもらい受ける権利がある」
次の隙を狙って、お互いが構える。
ニーシャの訴えがまるで効いていない。
「ちょっと! 何勝手に話進めてんの! 誰にもらわれるつもりもありませんけど!?」
呪いに強制された偽物の愛情などいらないのだ。
それに自分の不幸はスキル。だから誰とも家庭を築くつもりはない。
だってそこに幸せがないことが、最初から保障されているから。
人を不幸にするのがどれほど怖いことか、ニーシャは嫌と言うほど知っている。
あんな恐怖を味わうくらいなら、人を巻き込んで犠牲にして生きて行くくらいなら、ニーシャは一人でいいのだ。だから二人のうち、どちらのものになるつもりもない。
最終手段だ、と思った。
「これ以上やるんだったら……!」
嫌いになるぞ! と叫ぼうとした。
一歩間違えればでは好きになってもらえるまで頑張るとか、嫌いだなんて気の迷いでは? とか言い出して監禁コースになるやつだが、上手く行けばあわあわし出して一旦この場は収められるはず。
だが。
「きら……!」
喉を震わせた、その時だった。
「あ?」
ぐわり、身体の中を血液がものすごい勢いで一周したような、何かが巡る強い感覚。
「あれ」
「ニーシャ!?」
「どうした!」
唐突なその異変に身体が傾ぐ。
と、すぐさま二人が駆け寄りニーシャを左右から支えた。
「どうしたニーシャ、苦しいのか」
「ぅぁ」
「喋るのも辛いのか? ニーシャ?」
ドクドクと体中の血管が激しく脈を打っている感覚に近い。
でも、正確にはそうではない。脈拍はそう大きく乱れていなかった。
そうではなくて、別のもの。何かのバランスがおかしい。
「ディー、ごめ、腕あつい、離して」
「え、あぁ、すまない」
何故かディーに掴まれた側の腕が燃えるように扱った。放してもらうとしてもらうと、その妙な熱はいくらか引く。
「こ、こんなの」
どう考えてもおかしい。
何かあやしいものに触れたり、口にしたりしただろうか。
一番最初に思い出したのは先ほどウルスが出してくれた冷たい紅茶だったが、まさか彼が何かをするとは思わない。では別の何かか。
この二日の逃避行のことを思い返す。
極力迂闊にモノに触れないように心掛けていたし、一人で何とかするために防魔グッズも山ほど仕込んだのだ。身は守れていると思っていた。
けれど何かやらかしていて、遅効性のものだったのかもしれないとニーシャは思う。
事故も呪いも日常茶飯事だ。
が、呪いと思い浮かべたところで、何故かまたウルスの顔が浮かんだ。理由は分からない。
が、こういう時の勘は妙に当たる。
「契や……書の、写し……」
先ほどやりとりしたばかりの書類を、ニーシャは震える腕で取り出した。
保険の契約。しっかり確認はした。おかしなところはなかったはずだ。
だが。
「ぎゃーーーー!!!!」
改めてその書面を見た瞬間、ニーシャは新鮮な悲鳴を上げた。
「ニーシャ!?」
「本当にどうした!?」
誰か嘘だと言ってくれ、眼球の方に異常があるのだと言ってくれ。
ニーシャは祈ったが、それはあまりに無意味な祈りだった。
「騙されたぁあ!」
「えっ!?」
契約書の文字が、何故か高速で置き換わっていく。
銀に光る文字には馴染みがない。ないが、微かに見覚えはあるような。辛うじて読める単語をいくつか拾えば、それが何か当たりをつけることはできた。
「呪いの重ねがけされてるうぅうう!」
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