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「なんでダメなんですか!!」
益子が部長席を叩いた。机の上には、益子が勢いのままに認めた記事の原稿がある。鍵の盗難から牟児津と田中の対決、そして生徒会長の乱入に至るまで、今回の事件の全てが書かれていた。
牟児津と瓜生田は、昨日の事件とその結末を報告するため新聞部を訪れた。そこで、寺屋成ともめる益子を見つけたのだ。寺屋成は、席に座って目を閉じている。
「こんなビッグニュース、一刻も早く伝えるべきです!!昨日の今日で学園中の興味は最高潮!!増刷に次ぐ増刷は間違いありませんよ!!」
「な、なになに?どしたの益子ちゃん?」
「あっ!ムジツ先輩!瓜生田さん!おはようございます!いや部長が、昨日のことは記事にしちゃダメだって言うんですよ!お二人からもなんか言ってください!」
「えっ!?マジで!?記事にしないの!?ぁざーーーっす!!」
「さすがにあれはね〜」
「ちょっとお!ここは私を援護する流れでしょ!」
「そんな流れはない!!」
益子の当ては外れた。牟児津にしてみれば、登校した時点ですでに記事にされていても仕方ないと思っていたが、意外なことに寺屋成がストップをかけていたようだ。どう足掻いても避けられないと思っていたことを避けるチャンスが訪れ、ご機嫌に頭を下げた。
寺屋成は益子を落ち着かせるため席に座らせ、牟児津たちにも適当な椅子を勧めた。そして、理由を端的に述べた。
「時期尚早だよ、益子くん」
「ジキショーソー?」
「確かにセンセーショナルなネタだし、これが頒布されれば高等部だけでなく学園全体で一大牟児津旋風を巻き起こすことができるだろう。新聞部としては願ってもないことだ」
「人の名前を勝手に旋風にするな」
「台風みたい」
「しかし同時にこれは、田中くんの敗北を報せるものでもある。そんなことをしたら、我が部はどうなる?彼女は学生委員長であり副会長でもある。何より強かだ。今回、牟児津くんが曲がりなりにも勝利できたのは、旗日君と川路君に助けられて、さらに生徒会長の取成しがあったからこそなんだろう?」
「そうですよ!激熱じゃないですか!」
「激熱だがこんなものはすぐに冷める。第一、新聞部には何の後ろ盾もないんだ。今これを記事にしても、田中くんに握り潰されて新聞部に圧力がかかるだけだ。部の登録抹消も辞さないだろう。すなわち廃部だ」
「マ、マジで?懲りるとかないんかあの人……?」
冷静に分析する寺屋成の顔は、いつもの詭弁家の顔とは違う、真剣な表情だった。忘れていたが、寺屋成は田中や川路たちとは違い、学園に無数にある部のひとつをまとめる立場に過ぎない。できることも守れることも、彼女たちに比べれば遥かに狭く少ない。理由さえあれば、田中が新聞部を廃部にすることなど簡単なのだろう。
「しかし、今回の件で逮捕された部会への処罰はごく軽いもので済んだし、廃部を余儀なくされた部会は0だ。牟児津くんは田中くんの思惑を阻止したと言えるだろう。誇っていい」
「誇らなきゃダメですか……?」
「聞いたことない日本語を使わないでくれ。せめて我々だけでも君のしたことを称えないともったいないじゃないか」
「はあ、そう」
「でも寺屋成部長!それはつまり、公権力に忖度して報道の自由が脅かされてることになりませんか!?いいんですかそんなことで!メディアは真実を報道すべきです!」
「駅前にいる人みたいなこと言うなあ」
「もちろんさ。だからこそ時期尚早だと言ったんだ」
「まだ早い……いつかは報道するってことですか?情報は鮮度が命って前におっしゃってたじゃないですか」
瓜生田の問いに寺屋成は不敵に笑う。ちっちっち、と指を振って、また詭弁家の顔を覗かせた。
「ワインは樽の中で熟成させることで、より香りと味に深みが増すんだよ」
「未成年にも分かる喩えにしてくださいよ」
「味噌は樽の中で熟成させることで、より香りと味に深みが増すんだよ」
「分かるけどおしゃれじゃね〜」
「要するに、今このネタは寝かせておくのが吉だ。既に似たような噂は流れているし、敢えて我々が報じなくても田中くんの信用にヒビは入る。今は発行してしまうより発酵させておく方が得策だ」
「上手いこと言いますね。都合の良いこと言ってるようにも聞こえますけど、一理はあるかも」
「そもそも田中くんの闇はこんなものじゃない。今回の事件だって、彼女にしてみればゴミ箱にちり紙を投げ入れてみたようなものだ。失敗したところで大勢に影響はない」
「そうなんですか!?あんな大騒ぎだったのに!?」
「彼女自身は一演技して部屋で待っていただけだからね。思いがけず熱くなってしまったのは彼女のミスだが、それも生徒会長によってフォローされた」
結局、牟児津は田中に勝利したのか敗北したのか、田中の思い通りになったのかならなかったのか、よく分からない。部会の削減や鯖井への追及は避けられたものの、目論見が外れたところで田中は何も失ってはいない。とんでもないことに巻き込まれた割に、最後には何事もなかったかのように元通りだ。牟児津はそれに、なんとなく物寂しさのような感情を覚えた。
「というわけで、益子くんが書いてくれたこの記事は保留だ。契約では協力するごとに記事にするという話だったが、今回は面白い話が聞けたからサービスしておこう」
「わあ。いずれ記事にするつもりなのに、まるで免除したみたいに言ってる」
「おやおや。やっぱり瓜生田くんは賢しいな。ははは」
「あはは」
「いっつも最後これがこえ〜んだよな」
寺屋成の詭弁を瓜生田がすぐに見抜いて指摘する。初めはバチバチに火花を散らしていた気がしたのに、今ではお決まりの流れのようになっている。しかし二人とも目が笑ってない笑顔をするので、傍から見ている牟児津は背筋が寒くなるのだった。
「サービスと言えば、ムジツ先輩、生徒会長から何もらったんですか?」
「なんかいい匂いのする入浴剤とあったかいアイマスクと、あと和菓子屋の商品券と……なんか他にもいろいろ」
「いろいろ?」
「スキンケア用品とか観劇チケットとか、とにかく薄くて良いものがたくさん」
「あれにそんな入ってたんだ。すごいね」
「なんか悪い気がしてきた。もらい過ぎじゃないかな?」
「返すのも失礼だから気にしないでおいた方がいい。さあ、そろそろ朝のHRの時間だ。部室を閉めるから君たちも行きたまえ」
「はい。お邪魔しました〜」
「失礼します〜!ムジツ先輩、今日はどんな事件が起きると思いますか?」
「なんで起きる前提だ!起きねーよ!」
寺屋成に促されて三人は部室を出た。牟児津は階段を上って2年生のフロアに行く。教室が近付いてくると少し緊張してきた。一晩経って鯖井は昨日の事件から立ち直れただろうか。クラスメイトは鯖井のことを受け入れてくれているだろうか。
元通りだと思っていた学園の風景が、昨日までとは少し違って見える。自分を助けてくれた人たちは、自分が救いたい人を許してくれているだろうか。不安な気持ちはあるが、牟児津は急ぎ足で自分の教室に向かった。事件を通じて牟児津は、たくさんの人が自分を助けてくれることを知った。そして自分にとって理想的な学園生活を送るためにリスクを冒す人たちが多くいることも知った。その中で、自分だけ問題に向き合わずにいることはできないと、強く感じたのだった。
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