砂糖祭り

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 それまでの穏やかな空気が、一気に霧散する。アスランの瞳に鈍い光が走り、そして消えた。  押し殺したのだ。  さっきまでおれのパフェを褒めてくれていた各国のおっさんたちも、気まずそうにちらちら目交ぜでやり取りしている。  彼らがちらちらうかがっているのは、広間を取り巻く二階のバルコニー席だった。豪奢な織りのカーテンが下がっていて、姿は見えないけれど、そこには女性の参加者と招待客がいるはずだった。男性と同席しないのはこの国のしきたりだ。  そのせいで、いったい誰がそんな言葉を放ったのか、おれにはわからない。 「シャヒン様だ」  おれがそれ以上きょろきょろしないようになんだろう。親方がそっと教えてくれる。    シャヒン様と言ったら、アスランの弟を産んだ人だ。スルタンはアスランだから、母后とは呼ばれないけど、現状この国の女性で一番偉いということにはなる。  弟は、たしか、領地の仕事が忙しいとかで姿が見えないけど、彼女だけは参加しているようだ。  この世界では、スルタンは〈神に選ばれた完璧な存在〉じゃなきゃいけないって、以前にも聞いた。呪われてるっていう噂、風聞が立つのは、おれが考えるよりずっとやばいことらしい。  砂糖祭りで民や外国使節団の前に出て、威厳ある姿を見せつけても、それ一度じゃみんなを納得させるには足りないらしい。一気に不穏になった場の空気から、おれはそう感じた。  アスランは、じっと口を閉ざしている。声の主がシャヒンだってわかっているけど、名指しで言い返すわけにもいかないんだろう。    こいつがアルファに生まれついたのは、こいつのせいじゃない。こっちの世界で属性の存在が知られていないせいで、呪いなんて言われてしまうことも。   「おかしくないですか」    おれがひとこと発すると、幾つもの視線が一斉にこちらを向いた。やば、と思ったけど、もう遅い。 「仮にアスラン様が本当に呪われているのだとして、その場合、責められるべきなのは呪ってきた奴のほうじゃないんですか」  おれは憤っていた。  日本でも、異世界でも、結局人は変わらないのかよと。  おかしなところがあるからいじめられるんじゃない。いじめたい奴がいるから、わざわざそいつのおかしなところを見つけ出そうとするんだ。優れたところや、いいところは見ないことにして。   「呪われるっていうのは、アスラン様が優れているからで、そんなアスラン様を呪いたいほど恐れてる人が、どこかにいるってことじゃないの」    気がついたら、そう言い放ってしまっていた。  何十人もの人でひしめき合う大広間なのに、物音ひとつしない。  でもおれは怯まなかった。だって、間違ったことは言ってない。  なんなら、もっと――    そう思ったとき、誰かの腕が伸びてきて、おれは後頭部を押さえつけられていた。 「なにすん……っ」  だよ、まで言い終わらないうちに、再び後頭部を強く押されて、したたかに鼻を床に打つ。 「今日は皆様を充分にもてなせるようにと、後宮中の者を駆り出したため、思わぬ不調法をした。この者は遠方から買われてきたばかりで、言葉も間違って覚えているようだ」  アスランの声だった。  アスランがおれの頭を絨毯を通り越して床にめり込まんばかりに抑えつけている。  なに言ってんだ。おれはこっちに来たその瞬間から言葉なんか理解してる。  起き上がってそう言ってやりたいのに、アスランの力は強い。無様にもがいていると、再びアスランの声がした。 「しかし、一席の砂糖細工とこのデザートを作ったのは実はこの者だ。どうか、腕に免じて先ほどの誤りはご容赦いただきたい」 「なんと、この者が」  ひげ面の誰かが感嘆の声を上げる。それを機に、張り詰めていた空気がふっと緩んだ。 「素晴らしい」 「遠方から呼び寄せた者でしたか」 「それならばまあ、仕方ないですな」 「ええ、ええ」  宴の場は和やかさを取り戻す。少なくとも、カーテンのこちら側は。 「引き続きゆるりと楽しんでくれ。私はこの者にしかるべき罰を与えなければならない」 「そう厳しくしなくとも」  ひげ面の誰かが庇ってくれる。甘いものの効果絶大だ。 「それでは、示しがつかぬゆえ」  アスランはそう言うと、おれを香辛料の詰まった麻袋でも担ぐみたいに肩に担ぎ上げた。宴会場の外へと運び出される。  おれだって小柄なほうじゃないけど、アスランのほうが圧倒的に力が強い。祭りだから、いつもよりさらに力の入った重そうな刺繍の入った長衣をまとっているのに、苦もなく運ばれてしまう。 「は……なせ!」  今にも殴りかかりそうなおれを、スルタンは例の隠し部屋に連れて行った。 「なんで言われっぱなしになってんだよ!」  アスランの腕から解放されて、開口一番おれは噛みついた。アスランは眉根に皺を刻んで、呆れたように言う。 「あの場でことが大きくなっていたら、今頃おまえのその小さな頭と胴体は繋がってなかっただろうな」 「――」  おれが表情を強ばらせたのを目にして、アスランは逆にふっと微笑む。からかうように。 「正面衝突は疲れるんじゃなかったのか?」 「そりゃおれはいいけど! おまえが馬鹿にされんのは」  言いさして、我に返る。  今おれ、なんて言おうとした? 「……王様なんだからさ」  本当に言おうとしたことは他にあるような気がしたけど、結局おれの口からこぼれ出たのは、そんな言葉だけだった。  アスランはちょっと肩をすくめると、床にあぐらをかいた。ぽん、と隣のスペースを叩く。だから子供じゃねえっつうのと思いながら、おれは渋々そこに腰を下ろした。  アスランはぐっとおれの肩を抱き寄せた。じっと顔をのぞき込む。  近い。  キ、キスされ――?    もっと凄いこともされているのに、そのために呼び出されたわけじゃないときにこうして距離を縮められると、妙にどきどきした。  アスランはおれを見つめたまま、骨張った男らしい指を顎に――ではなく、鼻先に向け、ちょん、とつついた。 「てっ」  おれの短い悲鳴にふっと目を細めると、懐から小さな丸い器を取り出す。螺鈿っていうんだろうか、きらきらした細工の施された蓋をはずし、中に入っていた軟膏をすくい取る。  そして、ちょん、ちょん、とおれの鼻先に塗り始めた。  ああ、さっき、床にこすりつけたから……  ほっとしたような、なんだか残念なような。  残念? なんでだ。  ふるふると頭を振ると「じっとしていろ」と窘められた。仕方なく大人しくする。顔が近すぎるから、目を閉じた。  軟膏を塗ってくれながら、アスランがぼそりと呟く。 「……スルタンとしてはああするしかなかったが、個人としては、感謝している」  長いこと、私に味方はいなかったからな。  そんなふうに続けられると、考えずにはいられない。  子供の頃に、目の前で母親を失ったこと。  たぶんおれなんか考えつかないくらい大変な目に遭って、なんとか王様になったこと。  王様になったとたん、この世界じゃまだ誰も知らないアルファの発情を経験して、呪いなんて言われたこと。  それでも王様だから、自分で自分を閉じ込めていた、こいつの孤独。  もういいぞと言われて目を開けると、アスランは青いステンドグラスの窓を背にして言った。 「おまえが来てから、私は生きることがずいぶん楽になった」  やさしい声音に、どうしてか胸が苦しくなる。  今まで、誰かがこんなふうにおれをやさしく見つめてくれたことがあっただろうか。  歴代の母親の恋人は、おれを殴った。躾と称して、風呂に頭を突っ込んだ。  助けて、とすがった視線を、母親は背を向けて無視した。  でも、ここでは。 「ウミト」  アスランが恭しくおれの手をとり、口づけを落とす。
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