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なんでおれがオメガなんかに
「おまえさあ、、先月も連休取ってたよな?」
一日の仕事を終えたロッカールームで、おれ、羽田海斗は先輩パティシエにからまれていた。朝から晩まで働いて、やっと帰れるというときに、本気でやめて欲しい。そんな感情がため息になって口から漏れてしまった。先輩がそれを見逃すわけもなく、
「なんだその態度!」
ガン、とロッカーを叩き、怒りをぶつけてくる。
ここは、東京から快速で二十分ほどの中堅都市のパティスリー。白とミントグリーンを基調とした可愛らしい店は、その実こんな上下関係の巣窟だ。以前からおれの金髪も気に入らないらしく、ねちねちとやられていたのだが、今日は運悪く帰りが一緒になってしまった。
「オーナーには了解とってあるんで」
必要なときに気兼ねなく休むために、日頃早出サビ残だってこなしてる。おれはロッカーからボディバックを取り出して、ロッカールームをあとにした。
「……休みたくて休んでるわけじゃねえっつーの」
バッグ前面のファスナーがある辺りを撫でる。そこには、発情抑制剤が入っているはずだった。
高校を卒業してすぐ、この店に就職した。手に職をつけたかったからだ。オーナーは「やる気がある人は残るし、そうじゃない人は辞めてく」という考えの持ち主で、製菓の専門学校出でもないおれを雇ってくれた。
その代わり、丁寧な指導もない。辞めていく人間もまったく引き留めない。そんな中おれは雑用を人一倍こなして、少しずつ仕事を覚えていった。
三年が経ち、どうにか生きていけるかなと思っていた矢先。怠さが数日抜けずに病院に行って、診断された。
おれは、オメガなのだと。
なんでだよ。十四歳で受けた属性テストではベータだったはずなのに。
愕然とするおれに「精神的、肉体的な問題で、あとから診断結果が変わることは稀にあります」と医者は告げた。
初めての発情がその夜だったのは、不幸中の幸いだったのか。
発情なんていっても、部屋でじっとしてりゃ誰に襲われることもないんだろ――そんなふうに高をくくって薬を飲まずにいたせいで、おれは軽く地獄を見た。
体はまるでインフルエンザにでもかかったみたいに震えが止まらない。なにもしていないのに下半身が疼く。性的な意味で。
しかもそれは「突っ込まれたい」という欲求だった。
自分の頭がそんなことを考えているのが信じられなくて、恥ずかしくて、おれはのたうち回りながらようやく薬を口にした。
以来、月に一度の発情期には、休みを取るようにしている。薬があればどうにかはなるけど、万が一仕事中にあんな状態になったらと考えるのも怖くて、念のため連休にしてしまう。遊びに行ってるわけじゃない。
「せっかく仕事が面白くなってきたとこで、おれだって休みたくなんかねえよ……」
すっかり暗くなった街を、ぼやきながら歩く。店からおれの住む街へは、電車に乗れば一駅だ。けど、おれはいつも電車賃をケチって歩くことにしていた。いつものルートの公園に足を向ける。
この公園は野良猫が多いから、たまに撫でさせてもらってから帰る。どこかで遊ぶ金もない、おれの密かな息抜き。
が。今日に限って、猫の姿もない。ロッカーでうだうだケチつけられた分、店を出るのが遅くなった。お猫様たちの行動パターンとずれてしまったのかもしれない。
「おーい……?」
諦めきれずに、いつもより奥の方へ足を踏み入れたときだった。
「――ぐっ」
突然腹に衝撃を受けて、俺は上半身を折った。誰かに腹を殴られた――? そう思った次の瞬間にはもう、足払いをかけられていた。
無様に地面に転がる。すぐに立ち上がろうと思ったところへ、正面から蹴りを入れられた。喧嘩は弱くないはずだけど、あまりにも不意打ちすぎた。
そんなおれをあざ笑うかのように、声が降ってくる。
「死なない程度にしとけよ」
「わかってるって」
聞き覚えのある声。店の先輩たちだ。
「先月も同じときに休んでるよな。それで気がついたんだよ。おまえ、オメガなんだろ」
『オメガなんだろ』
その言葉を耳にした瞬間、蹴られたのとは別の痛みが、おれの体を貫いた。
属性の研究と社会的な理解が進んで、属性による差別はなくなった。
と、言われている。
実際には、オメガはどうしても他の属性より一段下に見られることが多い。人と違う。自分より劣っている。そう判断した相手に対して、人はどういう扱いをするのか、おれは知ってる。だからバレないように気をつけていたつもりだったのに。
「おまえ、そんな金髪でいきってるけど、顔は女みたいだしな。一回使ってやって、どっちが立場が上かわからせてやるよ」
言うやいなや、前髪をひっつかまれた。無理矢理上体を起される。
「い……っ」
かちゃかちゃと金属音が響いて、後ろから腕を押さえつけていた奴らが、おれの頭をぐっと前に押し出した。汗と汐っぽい臭いを感じた瞬間、吐き気と怒りがこみ上げる。
――ざっけんな!
思い切り歯を立ててやる。
「うあっ……!!!!」
おれはぺっと唾を吐き出して、呆気に取られている連中の腕を振り払った。
「おい、大丈夫が」
「あいつ、くそ、許さねえ……!!!!」
おれは奴らに背を向けて、めちゃくちゃに駆け出した。
くそ、なんでこんなことに。
おれはただ、ふつうに仕事して、ひとりでもなんとか生きていけるようになりたかっただけなのに。
オメガなんかに、生まれついたばっかりに――!
公園の暗闇から、表通りの灯りを目指して走る。あそこまでいけば、終電直前のこの時間でも、まだ人がいる。交通量もある。奴らもそんなところで下手な真似はしないはずだ。
「待てこのやろう!」
奴らの声が、思ったより速く追いついてくる。
くそ、駅前まで逃げ込めればなんとか。
焦ったおれには、周りがなにも見えていなかった。
キキィ――
悲鳴のようなブレーキ音が響き、視界がライトで灼ける。
跳ねられる瞬間って、衝撃だけで痛みは感じないんだな、なんて、呑気なことを考えた。
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