それ、呪いじゃないよ

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それ、呪いじゃないよ

 それから何回イかされたのか、いつ気を失ったのかも覚えていない。  そもそも意識が戻ったとき、動かせたのはまぶただけだった。  目に入ったのは、いつもの雑魚寝部屋じゃない、豪華なモザイク模様が施された天井。青と金色で統一されたそれを見ているうちに、どうにか記憶が戻ってくる。   そして、顔が爆発するみたいに一瞬で熱くなった。  おれ、凄いかっこして、凄いことして、凄いこと口走ってなかった、か?  じたばたしたい気持ちで一杯だったけど、体中がだるくて動けない。激しくあれやこれや致したの疲れのせいなのだと考えると、それもまた恥ずかしい。  気持ちはどたばたしているのに、体は怠くて動かせない、というもどかしい状況でどうにか顔だけ動かすと、隣に男の寝顔があった。  ただの男じゃない。絶世の色男の寝顔だ。昨夜おれを犯しまくった張本人は、静かな寝息を立てていた。寝ているせいで、まるで美しい彫刻みたいに思える。  ……死んでないよな?  綺麗な顔過ぎて、なんだか現実味がわかない。息をしているか心配になって、鼻の前に手をかざしたとき、スルタンはぱちっと目を開けた。  ばっちりと目が合う。 「……」  スルタンは、目を見開いたまましばらく固まっていた。もしかしたら、こっちに来た日のおれも、こんな顔をしていたのかもしれない。  スルタンは二、三度まばたきをして、おもむろに起き上がる。長い黒髪が、綺麗な川の流れみたいに肩を滑り落ちた。 「おまえ……いったい私になにを?」 「こっちの台詞だよ!!!!!!」  おれは思わず起き上がって叫んだ。いてて、自分の声が腰に響く。 「なんかされたのはこっち! だっつーの! よーく思い出してみろよ!」  おれの剣幕に圧倒されたようにスルタンは「あ、ああ」と唸ると、俯いて眉間に皺を寄せた。その皺が、みるみるうちに深くなる。  しまいには額に拳をあてがって、 「……すまない」  と絞り出した。 「すまないですむか」  よ、まで言い切らないうちに、おれの体はふらっとぐらついた。無体に無体を重ねられた上に、起き抜けに興奮したからだろう。寝台に再び倒れ込んでしまう。  「そのままでいろ」  起き上がろうとしたおれを、スルタンが制する。長い髪を揺らすと、視界から消えた。再び戻って来たときには、綺麗な細工の小さなゴブレットを手にしていた。スルタンはおれの背に手を添えて上体を起こさせると、ゴブレットに口をつけた。そして、その唇をおれの唇に重ねる。 「ん……」  口移しで流し込まれるのは、甘い液体。果汁と砂糖でつくる飲み物、シルベットだ。 「――落ち着いたか?」  おれはこくりと頷いた。いや、国で一番偉い奴に口移しされて、落ち着いたとか言ってる場合ではないんだけど、とにかく糖分と水分が体に入ったのは良かった。 「そうか」  スルタンが目を細める。その表情は落ち着いてやさしく、なんというか、権力のある者の余裕みたいなものが感じられた。 「昨夜は悪かった。……だが、この呪いに囚われて以来、こんなに爽やかな気持ちで目覚めるのは初めてだったから」 「呪い?」  おれは思わず訊ね返していた。スルタンは一瞬ためらったように見えたけど、ふう、とため息をついて髪をかき上げると、物憂げに話し始める。 「いつの頃からか、一月に一度、なんとも言えない暴力的な気分に襲われるようになった」    始めの頃は、気のせいかと思ったらしい。スルタンになって、政治に携わるようになった。皇子だったときみたいに、自由に体が動かせないようになったから、知らず知らずうちに鬱憤が溜まってしまったのかと。  それなら、と遠乗りや鷹狩りで気を紛らわせてみたけれど、どうもすっきりしない。  そうこうするうちに謎の衝動はどんどん強くなった。  それが性的なものだと気がついて、毎晩ハレムに通ってみたりもした。  だけど毎夜選りすぐりの美女を前にしても、全然そんな気にはならなかったんだそうだ。 「誰かと交わって性を放ちたいという欲求はたしかにあるのに、これじゃない、という感情が胸の奥底から湧いてきて、私を苦しめるんだ。……自分でも、わけがわからなかった」  王族だから、幼い頃から感情をコントロールするよう躾けられている。なのに、どうしても自分で自分を制御できない。それはひどいストレスになった。  しまいには、その辺のものを手当たり次第に破壊してしまうほど衝動は強くなった。一晩中暴れまくって、部屋は嵐か窃盗団が通り過ぎたような有様になったという。  見事な絵付けの陶器が割れて散乱した様を見て、スルタンは絶望した。そのうち人に手を上げてしまうようになるのではないかと。 それで、自分で自分をここに監禁することにした――そう、スルタンは語った。 「……やがて、そんな俺を呪われていると言う者が現れた。スルタンは、神に選ばれた完璧な者でなければならないのに、これでは欠落者だ、と」  厨房で働きながら、この世界のことを少しずつ覚えているおれには、思い当たることがあった。  この、東京ドーム何個分あるかわからない、広い広い宮殿の入り口にある〈皇帝の門〉には、こう記されている。 〈王、けして驕ることなかれ。汝より偉大な神がおわす〉  王様だからって調子に乗んなよ、神様のほうが偉いんだぞって意味らしい。  この世界では、王様は神様に選ばれて、人間を統治する役割をいっとき与えられているに過ぎないという考え方をする。  だから、水害とか干ばつとかの不吉なことが起きたりすると、すーぐ「神が王にお怒りだ」「王たる資格無しと神がおおせだ」とか言われてしまうらしい。  んなあほな、って思うけど、それはおれが現代日本から来たからで、こっちの人たちは本気でそれを信じている。  スルタンも、本気で気に病んでいるのだろう。男のおれから見ても、ぞくっとするほど色男なスルタンが伏し目がちに呟くと、悲壮感が漂う。    でも。  えっと。  これって。 「それ、呪いじゃないよ。あんたなんにも悪くない」  おれの言葉に、スルタンがゆっくり頭を上げる。おれは慌てて「……です」と付け足した。 「あ、あの、おれの住んでた遠いところでは、男女の性の他に、属性ってのがあって」  おれは、それから属性――〈アルファとオメガ〉というものについて、説明した。  アルファとオメガは発情するということ。  アルファとオメガの体は、互いに惹かれ合うということ。  発情は体調不良や暴力衝動なんかを伴うけど、定期的にSEXすることで緩和すること。  おれの体があんなにとろとろになったんだから、スルタンは間違いなくアルファだ。  普通、アルファの発情はオメガの発情に誘発されるもんだけど、こいつの場合はその前兆みたいなものが出ていたんだろう。  おれがベータだと思って生きてきたのに、突然オメガだと言われたように、あっちの世界でもまだバース性の全てが明らかになったわけじゃない。イレギュラーはある。  そしてこっちの世界は、おれが元いた世界より、さらに属性の研究が進んでない。というかたぶん、全然知られてない。概念が存在しない。  だから、オメガの発情とかアルファの暴力衝動とかを、全部〈呪い〉で処理してきたんじゃないか?  今回はたまたま王族に現れたから、こうして周りの人間が知ることになったけど、庶民の間に生れた場合、アルファは〈呪われた乱暴な奴〉、オメガは〈呪われた淫乱な奴〉として隠されて来たんじゃ――? 「だから、アルファが、オメガが近くにいなかったら、調子が悪くなるのは仕方ないことで」  おれの説明を聞き終えたスルタンは、初めて自分の尻尾に気がついた仔猫、みたいな顔をしていた。  無理もない。おれだってたぶん、初めて自分がオメガだって言われたときには、こんな顔をしていたと思う。  呆然とする顔は、なんだかちょっと幼く見えて、急に親近感が増す。昨夜まで「信長タイプ、こわ」と思っていたから、なおさらだ。  おれが微笑ましい気持ちで見つめていることに気がついたのか、スルタンは我に返ると、信じられない、という様子で呟いた。 「そうなのか……これは呪いではないのか……俺は、正気なんだな?」  いきなり襲いかかって一晩抱き潰す。それが正気かどうかと言われると、あっちの世界ではもちろん正気じゃない。立派な犯罪だ。 だけどここは現代日本じゃない。そもそも、こっちの世界の人間では、こいつが一番偉いわけで。  そんな偉い奴が「呪いじゃないよ」とおれが言ったとき、救われたような顔をしていた。  まるで、今まで誰ひとり味方がいなかったみたいな顔をだ。  初めての発情で震えて泣いた日を思い出し、おれはゆっくり頷いた。スルタンを勇気づけられるように。  スルタンはおれの顔をまじまじと見つめ、それから訊ねた。 「おまえ、名はなんという」 「ウミト。……です」 「ウミト」  スルタンはおれの名を聞くと、なぜかちょっと目を瞠り、そしてふっと笑う。笑うと、彫刻に血が通ったようで、まるで奇蹟の瞬間に立ち合ったような気になる。 「〈神は一つのドアを閉めても、千のドアを開けている〉とは本当だな……」 どういう意味? と思っているうちに、スルタンはさらに告げた。 「ウミト。おまえを私付の小姓に取り立てよう。そして毎夜、夜伽を命じる」
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