お務め

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お務め

 数日後。 「行ってきます」  おれは親方にそう声をかけ、銀盆に新作の菓子を載せて厨房を出た。向かう先は、いつものスルタンの執務室だ。  あの日『おまえを俺付の小姓に取り立てよう』と言われたおれの返事は、 「嫌です」  だった。   「嫌……?」  とたん、スルタンの瞳に刃物みたいな鈍い光が宿る。おれは慌てて弁解した。 「あの、だって、偉い人付になったら、菓子が作れなくなるんで」 「菓子?」  なにを言ってるんだこいつは、みたいな顔をするスルタンに、おれは説明した。  菓子を作るのが好きなこと。以前の勤め先では思うように作らせてもらえず、悔しかったこと。今やっと調理も菓子作りも親方から教えてもらえるようになって、毎日が充実しているということ。もちろん、それがここではない世界の、日本という国での出来事だということは隠して。 「だから、厨房を離れるのは困る」  ゆくゆくはここを出てチョコレートで大儲けするつもりだし、ということも黙っておいた。説明が面倒だ。  ともかく、おれの言い分を聞いたスルタンが命じたのが〈専属菓子係〉だった。  たぶんそんな役職はそれまでなかったんだと思う。その場で目を閉じて三秒くらいでひねり出していた。いいのかよ。  具体的には、今まで通り厨房で働ける。その代わり、スルタンが『菓子を持て』とおれを呼び出したら、すぐに応じる。  それはつまり、そういう名目で呼び出して、SEXするということだ。  さすがに「なんだそれ」と声が出た。 「そういうの専門のオメガを探せよ! ……です」 「もちろんそれも検討するが、なにしろ今日の今日知ったことだ。手配するまでは時間がかかる。それに、数が少ないのだろう? オメガとやらは」  しまった。おれは内心舌打ちする。属性を〈呪い〉だなんてこの見た目も肩書きも立派な男が言うのがあまりに哀れで、ついそんなことまで話してしまったことを後悔した。  ――待てよ。  おれはすぐに思い直した。  これでスルタンの役に立てたら、普通に段階を踏むより早くここを出られるんじゃないか?  本来なら、厨房の親方、奴隷長、皇后様、スルタンと順番に働きを認められなきゃいけないところを、一気にスルタンに近づいたのだ。かなりのショートカットと言える。 自分の店を持てる日が、早まるかもしれない。  それに、おれもオメガの属性を持ったまま転生したことがわかった以上、定期的なSEXは必要だ。  なにしろ、この世界に抑制剤はない。  おれは、初めて発情した日の、あのなんとも言えない情けなさを思い出していた。  自分が自分じゃないみたいな、あの感じ。SEXのことしか考えられない、けだものみたいな感じ。  それが嫌で、押さえつけようとしたら内臓全部持ってかれそうな吐き気が襲ってくる、あの感じ。  あのときは自分の部屋で、ひとりきりだった。でも今は、慣れない世界で、しかも暮らす部屋は他の奴隷たちと一緒の大部屋だ。そんな状況で、うっかり発情したら?  色々考え合わせると、要求を飲むしかなかった。仕方がない。相手を務めるオメガが見つかるまでの辛抱だ。  ここを出て店を持つため。店を持つため――心の中でそう呟きながらたどりついたスルタンの執務室の前には、衛兵がふたり立っていた。 「菓子をお持ちしました」 「――入れ」  おれは恭しく頭を下げて、中に通してもらう。突然出来た新しい役職のおれを、衛兵は毎度偉そうな目つきで睨んでくる。 くそ、おまえたちのご主人様を助けてやってんのはこっちだぞ。 「ウミト」  スルタン――アスランが書類から面をあげて名前を呼ぶ。王様だから感情を押し殺してるけど、実は喜んでいることがおれにはわかった。芸術品みたいに綺麗な顔。王族は感情を露わにしないのがいいことってされてるらしくて、人前で不用意に笑ったりしない。 神様に選ばれた、完璧な存在でいなければならないから。  だけど、出会ったあの日にすべて見せ合ったからだろうか、おれにはこいつの感情の動きが、ちょっとわかった。  アスランは、目配せだけで事務方の小姓を下がらせる。去り際、小姓の肩がおれにちょっとぶつかった。わざとだ。  こいつも衛兵と一緒で、突然贔屓にされているおれが妬ましいんだろう。めんどくさ。 だけどこんなの、あっちの世界で受けてた嫌がらせに比べたら全然可愛いもんだった。  いつ実際にケーキを作らせてもらえるかわからない。自分の店を持つなんて、いったい何年かかるのか。先の見えない状況で、さらにオメガだと判明して、いじめがエスカレートして……それに比べたら、まだこっちのほうがゴールが見えている分堪えられる気がする。  とにかく、こっちの世界のオメガが見つかるまでの我慢だ。そしたら、お務めのご褒美として奴隷から解放され、店を持たせてもらう。    自分に言い聞かせて、おれはアスランの元まで菓子を運んだ。 「今日はバクラヴァの新しい食べ方を試してもらうぜ」 「ほう?」  組んだ手に顎を乗せ、挑戦的な顔をするアスラン。こういう顔をするとき放たれる色気には、未だに慣れない。  バクラヴァってのは、宮廷でよく食べられる菓子だ。  薄いパイみたいな生地の間にピスタチオのペーストなんかを挟んで、さらにシロップに浸す。パイ生地のパリッとしたとこと、シロップに芯まで漬かってしとっとしたところの食感の違いが楽しい。  だけど、なにしろ甘い。めったやたらと甘い。  この辺りの国では、遠方から運んで来なきゃならない砂糖を沢山使えるってことが裕福層のステイタスだから、どんどん使えって言われるけど、単調な甘さは、元が日本人のおれには飽きが来る。そこで思いついたのが今日のメニューだ。 「バクラヴァとは、ずいぶんありきたりだな?」 「まあ見てなって」  おれは隠していた別の器を取り出す。その中に入っているのは、おれが一から作ったアイスクリームだった  イズディルは暑い国だけど、なんと後宮には氷室があって、一年中氷が使えるのだ。権力者最高。 「このバクラヴァはシロップに漬けたあと、温め直してある。ここにこのアイスを添えて、アクセントに薔薇の花びらの砂糖漬けを散らしてザクロで甘酸っぱい風味を足した薔薇シロップを回しかければ……」  うん。色合いも綺麗だ。ちなみに、砂糖と同じく観賞用の草花も豊かさの象徴として大事にされていて、王宮の至る所に植えられているし、タイルや刺繍も植物柄が好まれる。中でも薔薇は、食材としてもよく使われていた。  アスランは、繊細な植物柄の施されたスプーンでバクラヴァとアイスを口に入れると、目を細めた。 「なかなかやるな。おまえは新しい組み合わせを見つけるのが得意なようだ」 「まあな!」  おれはふふんと鼻を鳴らす。まあ、ぶっちゃ けあっちの世界のアップルパイの食べ方に寄 せてみただけだけど。そんなおれに、アスランはもう一度目を細める。慈しむ、っていうんだろうか。アスランは彫刻みたいに整った顔をしているけど、そこにこんな角の取れた表情が載ると、それこそ背後に薔薇の花びらでも舞いそうな美しさがある。  その瞳が、一転、艶めかしい光を宿した。 「さて、では、こちらも味わうとしようか」  冷たいスプーンで、おれの喉仏をなぞる。 「……わかったよ」  そういう約束で、下積みをすっ飛ばして好きに菓子を作らせてもらってるんだから、仕方ない。  おれはアスランの命じるまま上着のボタンを外し、執務机の上に乗った。
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