さいごの日

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さいごの日

 滝香とレオ夫妻は長生きした。 「逝くとしたら、私が先ね、きっと。  なんにも苦労してないから、幸せが底をつくのも、たぶん早いわ。」 「そんなこと言うなよ。  悲しくなるじゃないか。  幸せだから早死にするなんて。  そんなのおかしい。」  滝香がある日口に出した思いに、レオは本気で悲しくなって、めずらしく強く反論した。 「そんな気がしただけよ。  つまり、気のせい、気のせい。」 「そうだよ、気のせいだ。」  レオは目元を拭った。 「あら?  あなた、歌うたい大会の時間に遅れるわよ。  ベソかいてる場合じゃないわ。」 「あ、本当だ。  行ってくる。  もし遅刻したら、奥さんにベソかかされてたって言おう。」 「やだ、やめてよ。」  歌うたい大会とは、「歌、歌いたいかい!?」「いえーい!」の掛け声で始まる、カラオケサークル活動だ。 「いってらっしゃい。」  滝香はいつも通り、門まで出てレオを見送った。  暖かな5月だった。  数時間後、レオがカラオケから戻ると、滝香は門の内側に座って鉢植えに片手を掛けたまま、眠っていた。 「滝香?  暖かいからって、こんな所で寝たら無用心だぞ。  中に入って甘栗食おう。」  いつもの、甘栗。  大事な人たちと同じくらい大事な、甘栗。  だが、滝香は目を覚まさなかった。 「……滝香?」  レオは傍らにしゃがんで肩に手を置いた。  滝香の体がくたりと寄りかかってきた。  指先の感覚にレオは黙り込み、静かに深呼吸した。  吐く息は情けないくらい震えていた。
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