ファウスト

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ファウスト

 大きな黒い獣――例えるなら犬のような、狼のような姿をしたソレは、ある青年を見つめていた。  影のある表情。思い詰めたような暗い瞳。  絶望の淵に佇む青年は、自分を見つめる影に気付かない。 『ファウスト様――ああ、私の愛しい主よ!』  黒い獣は声にならない声で叫ぶ。  青年こそ、ソレが探し求めていた相手なのだ。 「深幸(みゆき)くん」  暗い表情の青年に男性が声をかける。  青年――林森(はやしもり)深幸はその声に顔を上げた。 「美幸(みゆき)のことでそんなに思いつめないでくれ。きっとすぐによくなるから」  深幸と同じ名前が男性の口から出てくる。  美幸――乙女(おとめ)美幸は、男性の娘であり、深幸の恋人であり、恩人だった。    自分の名前が好きでなかった深幸。  美幸と出会ったとき、同じ名前の女性としか思わなかった。 「深い幸なんて素敵な名前ね」  同じ『幸』の字を持つ、同じ名前の女性。  彼女と過ごす時間が増えるにつれて、深幸は嫌いだった自分の名前を好きになることができた。  最初は友人だった関係も、深幸が自分の想いを告げたことで二人はカップルになった。  深幸は美幸と過ごす時間の中で人並みの幸福を望んだ。  しかし、幸せな時間は長く続くことはなかった。  結婚の約束をした二人。  式に向けての準備をしている最中、突然美幸が倒れたのだ。  眠るように意識を手放したまま目覚めることのない彼女。  専門を問わずあらゆる医師が診察、検査を行ったにも関わらず原因はわからない。  花嫁が目覚めないため結婚式も白紙になり、気付けば一年が経っていた。
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