春を告げる想い

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「ただいまー」 やすいアパート。102号室 その気になれば壊せそうなしょぼい鍵。 戸をあけて、呼びかける。 返答はないが、廊下と風呂場のつけっぱなしな灯りから、居ることはわかった。 「ああ、うんそれで?」 扉を開けると電話中だったらしく 目があうと静かにしろという顔をされた。 仕方なく静かにしながら、夕飯の支度をはじめる。 今朝の皿が、そのままだ。 一日中家に居るのに、掃除も夕飯用意もなにもせずにいられるなんて、すごいと思う。 クズ、しかし、顔は良かった そして、自分なんかと付き合ってくれる 男だ。 「はぁー……」 細く長く、ため息をつく。 冷蔵庫からしなびた白菜を、ずるりと引き出し 洗って切って鍋にいれた。 味噌汁……粉末だしをきらしていたが……なくていいか。だし入り味噌だし あとそういうひと手間を加えたところで、どうせ気づいてはもらえないから。 食に関心がない人のために作る食事って、ほんとやる気でない。 海音ちゃんだったら めっちゃ気合い入れてつくるのに。 粉末だしなんて使わずに時間かけて昆布と鰹節からとると思う。 「あのさあー」 「何?」 「俺これから友達と飲み会行ってくるから」 「ええ?夕飯つくりはじめちゃったのに……」 「いいじゃんいいじゃん。明日にまわして」 なにがいいのか。 うきうきと出かける準備をしだす彼氏は、香水をつけたり、シワのない服を選んだりと ノリノリだ。 いつも自分と出かけるときは、身支度をのろのろとして、髪ボサボサで、パジャマのような格好なのに。 心を許してくれるからとは思わない。ただただ、だらしないと思う。そういう細かい扱いの差から 心が削られていく。 「行ってきまー」 「はいはい……」 扉の閉まる音。 ……仕方ない、この味噌汁は今日と明日で一人で食べよう。味噌汁だけだと足りないから、米でも炊いて……あぁでも炊く気力がわかない。 普通に女性を好きになれていたら、こんな毎日なにかを諦めるような恋をしなくて済んだのだろうか。 「……惨めねー……やっぱマッチングアプリで出会うとこう……いや、どこで出会ってもおなじか」 ベランダにでて タバコに火をつけた。 あまり好きではないが酒や煙草を、やらずにはいられない日がある。笑っているような三日月に 馬鹿にされている気がした。 煙が舞い上がり、暗闇に消えていく。 「なにが飲み会よ……女のとこに決まってる 節操なしが……」 イライラ、イライラ。 『綾人さん、また明日 絶対来るね』 「…………」 そういえば シフォンケーキ……美味しそうに食べてくれてたから正式にメニューにいれてもいいかも。 仕事のことに頭を切り替えると、彼女を思い浮かべると、途端に気分がスッとしてきた。 そうだ、それでいい。 コンビニで好きなものかって、それと味噌汁たべてはやく寝てしまおう。 私はロングコートを着て家から出た。 すこし、凍てついた風がふいていた。 まだ冬なのだなと感じる そろそろ温かくなってもいいころなのに……。 冬は苦手だ 一人が寂しく感じる。 春が待ち遠しい。 「……あれ?」 そんなことを思いながら、深夜のコンビニにたどり着くと、レジに立っていた人物に驚いてしまう。 長い黒髪に、すこし猫背気味の立ち姿。落ち着かないのかキョロキョロと見渡している 小動物のように愛らしい目。 「海音ちゃんじゃない」 おもわず、声をかけていた。 「わ……?!あっ綾人さん?!」 「こんな時間までバイトなんて……やっぱり無理して店に来てたのね?ごめんなさい気づかなくて……」 さては 実家がお金持ちというのは嘘だったのね? 「い、いいいの違うのバイトが趣味なの! これからも通わせてください!」 「そんな趣味の人いないと思うわ……あがるの何時なの?女の子が一人で危ないわよ」 「お、おおおかあさんに迎えに来てもらってるんでっ、いつもっ」 知り合いにバイト先がバレたのが気まずいのだろう いつもより挙動不審の彼女に、なんだかおかしくなる。 「まあ、親が来るならとりあえず安心だわ」 「いやぁ、もういい歳なのに、恥ずかしいです。 ……それにしても綾人さん私服 格好い……きれいですね」 「あら、ありがとう。海音ちゃんもかわいいわあその制服、新人感丸出しで……」 「ひどぉい」 けらけらと笑う彼女をみてておもう。 本当にいい子だ、と。 親のお金じゃなくて自分のお金でうちに通ってくれたんだとおもうと、なんだかこう、胸が締め付けられてしまう。 彼女は、私と色いろな話をしてくれる。 学校のこと、家族のこと、その日感じたこと それだけじゃなく こんなメニューはどうか、こんな小物はどうか 値段の設定などの相談にものってくれるし 皿洗いもすすんでやってくれたことがある 一生懸命尽くしてくれて そしてそれを自ら望んでやっているのだと 本当に楽しそうで。 また、ほかに客がきたときは すっと静かになって、ほかの客の居心地いい空間を守ってくれる。 空気も読める子だ。 私がそのころはそんなしっかりしてなかった。 ほんとすごい 輝かしい未来のある、可愛い女の子 すごい私に懐いてくれているとは感じるけど そのうち彼氏ができて、忙しくなって店に来なくなってしまうのだろう……ああ、そうなったら耐えられない よほどいい男じゃないと。 「綾人さん」 「あ、ごめんね待たせて えーと、これ買うわ」 「はい、560円です、弁当はあたためますね このチョコは別の袋に……」 「あぁ、大丈夫よ袋は ……このチョコは貴女にあげるから」 「え、えーーもうそういうことするんだから 綾人さんは」 頬を赤らめる彼女をみて、おもう。 よほどいい男って……。 たとえばどんな男だったら 私は満足して見送れるのかしら? ……なんかすごくもやもやするんだけど…… あぁ、多分娘を取られちゃう父親の気持ちなのね これは きっとそうだわ。 だって、私が女の人を好きになるはず、ないもの 好かれてもきっと 迷惑だろうし。 「……はぁ……」
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