春を告げる想い

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ブォォオ、髪を乾かしながら スマホを何度も覗き込む まだこない まだ……まだ すると、ドライヤーの音をかき消すくらいの音量で 専用の着信音が聞こえた。 「海音ちゃん、電話いま大丈夫?」 「大丈夫です! 私もいま丁度綾人さんの声聞きたかったので」 「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」 駅のホームで泣き別れてから 2ヶ月、綾人さんの喫茶店には行ってないが、こうして毎晩電話している。 普通に話すのと違い、耳元にダイレクトに声が来る感じ、ちょっと緊張するんだよね、何度電話しても慣れない。 風呂上がり、寝る前がその時間 大体、いつも20分くらいだ。 「そういえば、はじめての一人暮らしって色々大変でしょうネット回線とか」 「それがありがたいことに 社員寮は家具は備え付けだし、インターネットはじめから使えるし、電気ガス水道にも困らないんですよー全部会社がやってくれて 食事と大浴場だけ、共同スペースって感じです」 「あら、そうなの!社員寮経験がないから知らなかったわ、便利ね」 「はい!社員寮はストレスやばいぞって聞いたことがあるけど実家よりも気楽です 出てみないとわからないものですよね」 「わかるー はじめて一人暮らしした時私ウッキウキだったわー前の住人の請求書きたりして」 「それってウキウキですか……?ヒヤヒヤなような……。あ、あの、最近行けてないけど今日はお店の様子どうでしたか?」 「あ、今日はねぇ 新規のお客さんが来てくれたんだけどね 食べ方が汚くてねー クチャラーていうのかしら、口開けて食べてて 他のお客さんが嫌な顔して帰っちゃったのよね」 「ああーそれは酷いですね 次から来るなとも言えないし そういうの無意識な人多いし……対して 綾人さんはほんと食べ方きれいですよね!音たてないしこぼさないし魚の骨とるのうまいし」 「そうかしら、そんな見られてたとおもうと照れるわ」 「わたしの方は仕事は…… 今日は研修でレジのやり方とか 客がクレーム入れてきた時の対応とかやりました!」 「それは大変だったわねえ クレームは心の中で殺せばいいわよ、あとすぐに上司に相談ね」 本当はこうしてずっと話していたいけど 次第に会話のネタが尽きてくる。 まあそれでもつなぎっぱにしつづける人いるけど わたしはああいう作業通話みたいなの慣れないんだよね、いつ終わればいいのかわからなくて 相手に悪いなと思っちゃうし あと、明日もはやいし 「それじゃあ、今日も話せてよかったです おやすみなさい」 「ええ、おやすみ」 このやりとりにドキドキしながら 音が途絶え無音になった部屋に嫌気が差す。 一気に現実に引き戻された感じ。 そう、明日もはやいんだ。仕事……が。 明日、研修が終わり正式に店舗に配属されるんだけど……実はすでに嫌な予感がしている。 研修の時点で最悪だったのだ。 「あの、いまの説明聞き逃しちゃって……」 「ちゃんと聞いときなよ 二度も言いたくない」 一回で覚えろて感じに言われるし 「え、これわたし一人で地下に運ぶんですか?」 野菜がいっぱいつまった 持つだけで腰を抜かしそうなダンボールを 押し付けてくるし 「若いんだから大丈夫大丈夫!」 若さだけで全部解決できるとおもってるし こう言ってくる人ってなんなんだろう 若者を妬んでいるんだろうか……。 「はぁ……」 全国展開している弁当屋に就職したのはいいものの……ああ、なんでただ出来上がってるもの売るだけなら楽そうて思っちゃったんだろう 裏の雑用がきつすぎる。 とりあえず、綾人さんに愚痴るわけにはいかない。 嘘は言ってないが不満のゴミ溜めの中からなんとか良いと思った箇所を拾い上げて話している感じだ。 仕事が嫌だ、いきたくない そんな不安を抱えながら固く目を閉じる。 体を強張らせたまま……夢をみた。 綾人さんの隣には、知らない男の人が立っている 足元がぐにゃぐにゃして、呼吸が苦しい 「ごめんね、海音ちゃん、やっぱり私……」 「ううん、いいの、わかってた わかってたから……」 ねぇ、綾人さんはわたしが男だったら選んでくれた?それとも男でもやっぱ選ばれないのかな どっちだったら諦めがつくのかな 「……それでね、彼が嫌っていうから あなたと友達として会うのもやめたいの」 「ええっ!なんでそんなこというの そこまでしなくてもいいよね!ねえ 綾人さん……!」 「あなたにとってもいいことよ 私と会っててもつらいでしょう 報われないことがわかっているなら」 ジリリリ! 「うわぁ!爆音!」 自分で設定した目覚まし時計に起こされて叫ぶ。 なんて嫌な夢だ 夢でくらい報われたかった。 「はぁ……」 今日も、憂鬱な一日がはじまる。 出勤し、自分に合ってないサイズの制服に袖を通した。更衣室埃っぽいんだけど。こういう細かいとこから嫌になってくる。 なんとか髪をまとめて帽子に押し込み 裏口から店内に入ると、すでに先輩は作業をはじめていた。 「おはようございます……」 「はい、遅いよー 私がはやめに来てるんだからあなたもはやくこようねー」 すでに弁当は五十個くらいはできている。 いやいや、一応就業時間は8時〜から17時のはずでは。 「この作業そのうちあなた一人でやることになるんだから、自分が開店に間に合うならそれでいいけど そういうのも考えて自分で出勤時間選んで」 先輩ですらはやく来てやるレベルのことを新人のわたしはいつから来てやればいいのか。 当たり前のようにワンオペって。 胃がキリキリと痛い。 朝ごはんも食べれてない私の目の前にたくさんの食品が並んでいるが、食欲もわかない。 わたしはとりあえず使い捨て手袋をつけて 見本をみながらおなじように弁当を詰めていった。 無言で手を動かすだけの時間 先輩の動きはわたしの数倍はやく効率がいい が (たかだか定位置にからあげ置くのがはやいだけの人を、すごい……!わたしもああなりたい……! て思えない!) なんだろうこの立っているだけですべての気力が根こそぎ奪われていく感じ。 すでにへとへとになりきった頃に、開店時間がやってきた。 「結局準備間に合わなかったし とろいなー」 「はぁ……」 それ言われて、頑張らなきゃ!てなる人はこの世にどれだけ居るのだろう。 開店から10分、客は1人もこない べつにはじめからこんなに作って並べなくても良かったんじゃないのというレベル。 お客さんこない間くらい座りたいよ……嫌だなあ。 「いい?売れるギリギリの個数だけつくっても 見栄えがよくないから たくさんあるほうが美味しそうにみえるの 美味しそうにみえて売上がのびれば それによっていくら廃棄が出てもいいから」 「そういうものですか……」 食品ロスが問題になってるというのに。 皆、地球の資源なんてどうでもよくて目先の利益だけなのだ。結局は だから食品ロスなんてなくなりようもない それでも、昼時にもなるとちらほら客が来た。 ちょっと家事をサボりたいそんな主婦ばかりだ。 まあ売るときはレジの操作さえ慣れれば楽だ。 表面から見える仕事部分ってここだけだから 楽そ〜わたしも働きたいここで てなるんだよなあ。 1人、ネギがはみ出た袋を抱えたおばさんがやってくる。 「この卵焼き弁当なんだけど卵焼き苦手で、他のなにかに変えてくださる?」 「ぅぇっ!?はい、わかりました 確認します」 アレルギー持ちとかだったら仕方ないけど 一つだけ変更ならまだしもメイン変更しなくない? わたしだったら卵焼き弁当買わないけど! 確認し、できるだけ同じ価格帯の食材を詰めて見せ直すと 「うーん、あまり美味しそうじゃないわね いいわ」 そういって客は去っていった。 「売り込みが足りないのよ」 「…………」 なんかもういますぐ弁当をあちこちに投げて発狂したい気分だ。 明日は結局何時に行けばいいんだろうと 不安を抱えたまま、とぼとぼ帰る帰り道。 服からはなんか惣菜臭い匂いがした。 あと、靴になぞにキャベツついてんだけど。 「つらいよ……綾人さん……」 今日、電話はできない 声を聞くだけで泣いてしまいそうだ。 付き合ってもない男の人に、頼るわけにはいかない……。 この仕事続けられないかも でも、じゃあ他に何しよう わたし、綾人さんの喫茶店で働く姿に憧れて 飲食店で方向性はいいはずなんだけど とにかく、これじゃない……。 もっとどうやったら店の売上あがるか考えたり メニューきめたり 新しい食材を仕入れたり そういう…… いまのとこじゃ店長になっても、どの店舗でも同じものを出さなきゃいけないから結局本社に従わなきゃいけないんだよね 自由性がないというか…… 「ぐすっ……」 泣いても仕方なかった。 また、明日は来るのだ。 ちなみに週6勤務である。 「もう嫌ー!」
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