春を告げる想い

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今月の売上を見てため息をつく。 『綾人さんみたいになりたい』 そう言ってもらえたのは嬉しかった。本当に、すごく。しかし、自分が喫茶店を開けたのは学生時代株をやってたら、たまたまそれでまとまった資金が入り、それ以上続けると損しそうなのでやめ、それを喫茶店を開くための資金にしたからだ。 だから借金せず店をもてたし、しばらく店に利益がなくても食べていけたのである。 そしたらそのうち自分の生活はまあ困らないくらいには客が来るようになって今に至るが ようは、バイトにしろ社員にしろだれかを雇ってその人の生活を守るほどの給料が出せないのだ いまのままじゃ。 『じゃあ、私の店で一緒に働かない?』 そう言ってあげたかった そう言える力がまだなかった。 「…………数人の常連が通うだけじゃだめだわ 質を落とさないように 新規を呼び込まなきゃ……」 おしゃれな喫茶店はいくらでもある どうやって差をつければいいんだろう? メニューの調整、店の外観アレンジ…… 「SNSで宣伝もいいけど…… 宣伝するだけの材料がほしいわね…………」 それもたとえば、デカ盛りやってみたとか 映えそうな色にしたとか、そういうインパクト重視の一発屋だったら、安定しないからなしだ。 それよりもっと、確かな技術で、長く愛されるような。 「……ラテアートの大会……とか」 そこである程度成績をだせば 見に来てもらえるのでは?ここらへんの喫茶店は研究し尽くしているが、ラテアートは甘かった気がする。 差をつけられるかもしれない。 そういう技術は裏切らないはずだ。 そして売り上げ次第ではちょっと変わったコーヒー豆とかも入荷できる。 「…………」 その日、寝る間を惜しんでラテアートの研究をした。 「誰かに飲んでもらいたいわね もったいないから……ううん、冷やして自分で明日以降飲もうかな」 何度も形が歪み、安定しない。 でもなんか、いいなこの時間 ただ、だらだら寝転がりネットをやるよりも 夢のために 誰かのために頑張れているこの感じ 「……よし!うまくいった」 海音ちゃんをおもうと、なんだか いくらでもそうしていられる気がしたのだ。 風呂上がり、髪をタオルでふきながら 今日も電話をする。 「そう、上司に辞めたいってこと言ったのね」 「はい……ボロクソ言われましたけど でもなんとかやめられることになって」 「大丈夫?一度やめたいっていったあと それでもすこし出勤しなきゃいけなかったりするじゃない?引き継ぎとかで そういうときにいじめられたり……」 「それは大丈夫でした!むしろ今になって周りが優しくなったというか なんか、育てるためにわざと厳しくしてたらしいです……まあ、それがわかっても辞めるんですけどね」 「それがいいわよ 芸術方面の厳しい師匠とかでそういうタイプいるけど、それをよくあるチェーン店でやられてもね そもそも仕事だけに自分の人生かけるほど熱ないし、そのやり方はあってないわ。今どき それにね、本当に教育のための厳しさなら愛情を感じるはずよ 結局、色々な暴言を浴びせといてあとから教育のためとか冗談だったとか 言いたいだけなのよ保身のために、そいつらは」 「そうですよね……そう感じます で、やっぱり仕事探しは難航してて…… しばらくニートです…… 実家に戻るから、また綾人さんとは距離が近くなるんですけど でもニートの身で遊ぶわけにもいかないので 相変わらず会えませんね」 「……そっか、思いつめないようにね」 色恋に走る前に、まず自分のこと、真面目な子だ。 それが私の気を引き締める。 彼女の次の仕事が案外、すぐに決まり そしてそれがずっと続けられそうだったら万々歳だ それはそれとして 彼女を支えられる自分になるために 私も、頑張らなくてはいけない。 通話を終えて、私は有名バリスタへ送る手紙の文を考え直した。 うん……もう少し言い回しを……。 「ある程度もう自分でやり方は学べたけど……」 ミルクの量とか、温度とか、カップの傾け方。 定番のアートは大体作れる 元々無知だったわけじゃないしね ただ、普通レベルから一歩抜け出すには 直接弟子入りしたほうがはやい。 「…………」 できることなら、全部やりたい。 思いつく限りのことを パシャ、パシャ と撮影音。 私は事細かにSNSでラテアートの練習風景をアップしていった。 そういう努力って隠れたところでやるものだと思うけど これが案外 『へー!短期間でこんなにうまくなれるんですね』 『これどこにある店?』 『応援してます』 意外と反応があるのである。 「見せたほうがいい努力もあるってことね」 結構人は、はじめからなんか出来ちゃいましたが?という天才より、努力してうまくなったその過程を知れたほうが好んでくる傾向にあるのだ。 自分の本来の性格だとそれでも天才のほうに憧れるものだが。 『この喫茶店おしゃれー』 『なんか修行してるんだって』 『てか店長美人じゃない?』 月日が流れる。 比較的弟子をとってくれるタイプの人を狙っていたおかげで 私は無事有名バリスタの弟子入りを果たしていた。 どうやってるのかわからないくらい すらすら、と絵が描かれる。 その人は無精髭でそれでも服装とか髪型は清潔感があり、高い香水を使っている渋いおじさまという感じだった。 昔の私なら一目惚れでもしてそうなんだが…… 仕事だから割り切れたのか なんか……全然ときめかないわね 「……そうか」 私、もう、ちょっと好みの外見がいるってだけで 心が動かないようになったんだ 性対象かどうか以前に これがちゃんと、人に恋してるって状態なのね。 「うまいんだけど左右対称になってないね あとミルクの温度が高くて線が滲んでる こういうとこ見られるから」 「はい、ありがとうございます」 「大会まで残り少ない、頑張っていこう」 「……はい!」
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