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老々介護になるかと思われたものの、稲子は早々に守男を施設に入れることを決めた。それに異論を唱えたのが美穂だ。自分も義母の介護をしていた美穂は稲子ではなく、当時独身で東京で働いていた美土里を罵った。
『いつまでも結婚しないで、自分一人で好き勝手やってる』
『一般職なんていくらだって代わりがきく仕事なのに』
『大学まで出してもらったくせに』
『お母さんは美土里に甘い』
料理や皿洗いを手伝っている間、美穂がひよりに愚痴っていたのを覚えている。ひよりはお盆もお正月も帰省せず、時期をずらして帰ってきていたらしい美土里とは数えるくらいしか顔を合わせたことがない。美土里としても、自分にあたる姉と顔を合わせたくなかっただろう。
美穂が愚痴るのを聞かされていたせいか、ひよりは美土里に対してあまりいい印象を抱いていなかった。だが守男に似たおっとりした顔を見れば、悪い人には見えない。
「これ、よかったら」
「気を遣わせちゃったみたいで」
「気っていうより、賄賂っていうか……」
ひよりのごにょごにょした本音に、美土里が吹き出す。
「ばっばね。ありがたくいただくわ」
ばっばという言葉に、ひよりは瞬きを繰り返す。
ばっばとは、祖母を指す幼児言葉だ。稲子のことだと思うものの、ひよりが知る稲子とばっばという言葉が結びつかない。ばっばなんて呼んだら、ちゃんと喋りなと睨まれる可能性が非常に高い。
そんなひよりに気づいた美土里は苦笑を漏らす。
「お母さんも丸くなったのよ。人はいくつになっても変われるものなのね」
美土里に再度促され、ひよりは玄関を目指す。玄関を開ける前に、そばにある水道で手洗いするのは幼いころからの繰り返しで体が覚えている。
冷たい水を手に受けながら、ひよりは考える。
美穂に稲子が丸くなったことは知らせない方がいい。幸か不幸か、ひよりは青田家とは没交渉中だ。もし美穂が知ったら、また美土里に対して嫌味を言い出しかねない。
それは誰も幸せにしない。
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