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玄関前の広いスロープを上って玄関を開け、お邪魔しますと中に入れば見慣れないものが目に入る。木目調の手すりだ。手すりは玄関から廊下にも張り巡らされており、家の中も段差がなくフラットになっている。ひよりの記憶にない設えはリフォームされたものだ。
誰のためのリフォームか。年齢から考えれば稲子だ。なんだかんだと理由をつけてひよりが青田家に顔を出さないうちに、年月は確実に過ぎた。それこそ家の中に手すりが必要になるほどに。
まだ若いひよりに対し、稲子には残された時間しかないことに気づき、喉の奥にこみあげてくるものがある。それに耐え、なんでもない顔をして居間をのぞく。うっかり涙声なんて出したら、稲子から嫌味が飛んでくるのはわかっている。
「こんにち……うおっ!」
「何ゴリラみたいな声上げてるんだい」
驚きのあまり声を上げられないひよりに遠慮なく声をかけるのは稲子だ。
勝手口から入って来たらしい稲子は相変わらず姿勢よく、とても手すりが必要には見えない。だが確実に増えた白髪と皺を見れば、ひよりが成長したせいもあって小さくなったと思う。
「だって、おじいちゃん!」
ひよりがゴリラのようなと言われる声を上げたのは、施設に入ったはずの祖父・守男がいたからだ。指定席らしいソファに座り、ニコニコとひよりを見ている。
「いい歳して、だってなんて言ってるんじゃないよ」
「だ……でも」
「でももヘチマもあるかい」
「……」
相変わらずだ。稲子は昔から口が強い。美穂としょっちゅう口喧嘩をし、完膚なきまで口一つで叩きのめす。逃げ道も与えない。
「おう、ひよりちゃんだな。はじめまして」
稲子の口の強さに辟易していると、台所の方から男性がやってくる。一八〇センチ近い細身の長身で、よく日に焼けた肌をしている。お盆の上に乗せたグラスをひよりたちの前に置き、自分は稲子の隣に座る。
グラスの中身は氷を浮かべた麦茶で、カランと夏らしい涼し気な音がする。網戸越しにせわしなく聞こえるセミの鳴き声と麦茶に浮かべられた氷の音。それはひよりが知っている田舎の夏の音だ。
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