一章  冬の朝

3/64
前へ
/315ページ
次へ
 樹は動けるようになると療養していた太郎坊の家を出て、一先ず実家に戻った。そして両親に就職が決まった事を告げると、そのまま職場に近い部屋を探し始めた。  事務所がある地域はそれほどアパートの数はなかったが、それでも手頃な家賃の1LDKの部屋を見つけ出し、樹は年が明ける前にそこへ引っ越したのだった。 「そんなに緊張することないよ。所長は代り映えなく、いつもの所長だし。 あ、そういえば樹君、一人暮らし始めたんだって?」  歩きながら想が聞いてくる。 「はい。流石に片道一時間もかけて会社通うのは大変だと思って、近場に部屋を借りたんですよ。  それに一人暮らしなら仕事中に何かあっても、親に言い訳しなくてすみますし」 「できれば仕事中に何か無い方がいいんだけどね」  想が苦笑した時、前方から声がかかった。 「お久しぶりです、樹さん。お元気でしたか」  前にいたのは俵涼だった。手にはコーヒーの入ったカップと、菓子が入った小鉢を乗せたお盆があった。 「お久しぶりです、涼さん。  水沢さんと所へ持っていくんですか」  樹の問いに涼は「ええ」と微笑んだ。 「調度良かった。それじゃみんなで所長のとこに顔を出そっか」  そう言うと想は少し先にある扉の前まで行き、おもむろにノックをした。すると中から水沢の返事が聞こえてくる。 「お邪魔します、所長。樹君を連れてきましたよ」  想は後ろにいた樹を振り返り、ぐいっとその腕を引っ張った。 「あ、えっと、お久しぶりです、水沢さん」  久しぶりに会うとどうにも照れくさく、樹は俯きがちに水沢に挨拶をした。 「ああ、直に会うのはそうだよな。  樹元気だったか。体に異変は出てないか」  心配そうに見つめる水沢に、樹は笑みを見せて「大丈夫です」と答えた。
/315ページ

最初のコメントを投稿しよう!

184人が本棚に入れています
本棚に追加