番外編 暑中お見舞い申し上げます

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番外編 暑中お見舞い申し上げます

「暑いですね……是清さんは暑くないですか」 「暑いに決まっているだろう」 休日、二人は縁側で団扇を仰ぎ涼んでいた。 浴衣姿の二人は暑さに伸びていた。 「お千代、そろそろいいじゃないか」 「そうですね。井戸から出しますか」 スイカを冷やしておいた二人は楽しみにこれを井戸から出した。 「これは大きいな」 「はい。それにね、叩いてみてください」 「よし」 是清が叩くと低い音がした。 「ズン、と言ったぞ」 「お上手!身が詰まっている音ですもの」 手を叩いて褒めてくれた千代子に是清は頬を染めた。 「どれどれ、大きいから俺が切るか」 千代子が用意したまな板と包丁で彼はスイカを前にした。 「行くぞ!」 「待って是清さん、切るのはそこじゃないわ。そう切ると甘い場所が均等にならないわ」 「え。違うのか」 うんと言う千代子は、スイカの黒い筋の方向に切った。 「へえ、そう切るのか」 「歳月の兄さん達はうるさいんですよ。さあ、どうぞ」 「おう」 こうして二人は食べた。是清は種を縁側から庭に飛ばした。 「どうだ。お前もやってみろ」 「私がですか……」 すると、千代子の飛ばした種は結構遠くまで行った。これに是清は闘争心を燃やした。 「どうだ!俺が勝った」 ……私よりも年上なのだけれど…… どこか子供っぽい彼を千代子はクスと笑っていた。 「なんだよ。おかしいか」 「いいえ、何でもないです」 「いや?笑った。白状しろ」 そう言って肩をぶつけてきた彼に千代子は笑顔で誤魔化した。すると彼が大声を出した。 「そうだ!思い出した」 「どうなさったの?」 「すまない千代子」 縁側で胡坐をかいた彼は申し訳なさそうに話した。 「取引先の社長が、自分の娘を貰ってくれてしつこいんだよ。だからもう結婚しているって言ったんだけど信じてくれなくて」 「それは大変でしたね」 「ああ。だからお千代、協力してくれ」 「え」 こうして千代子は是清の頼みで夜の会に参加することになった。 「本当にお前か」 「……女将さんにお化粧してもらったのですけど。鏡を見る時間が無くて」 「いや、いい、さあ、行くぞ」 「はい」 帝都ホテルの立食パーティー。会場で合流した千代子は彼と腕を組んで進んでいた。 千代子のドレスは歳月の女将のお下がりで髪型は仲居達が手伝ってくれたものであった。 髪を夜会巻にし、熱いということで首元をあけ真珠のネックレスを借りてきた千代子は慣れないスカートで静々歩いていた。 ……視線を感じる……何か私、おかしいのかしら…… 「是清さん。私のドレス、背中が開いていませんか」 「……問題ないぞ」 「そうですか」 どうも腑に落ちない千代子はとうとう是清が話していた対象者に会った。 「お世話になっております、これが妻の千代子です」 「初めまして」 「いやいや、これは失礼しました。こんなに美しい奥さんがいるとは」 「はっはは」 思いっきりアピールしている彼のそばで千代子は周囲を伺った。 ……そうか。是清さんは有名人なのね、なるほど…… そのために注目されていると判断した千代子は、やがて商談を進めた彼から離れ、食事をしていた。 「ねえ君。一人かい」 「いいえ、夫と来ています」 「夫……まあ、いいさ」 男は酔っているのか千代子に話し掛けてきた。 「そのドレス、素敵だね」 「これは流行遅れですよ」 「高いのだろう」 「さあ?借りたのでわからないです」 「ねえ。名前は何て言うの。今度、どこかに」 「失礼!妻を返していただきます」 ここで是清は腕を取り千代子を連れ出した。 「まったく。油断も隙も無い」 「すみません。あの人しつこくて」 「そうじゃないんだ」 ……ああ。連れて来るんじゃなかった…… 今宵の千代子はあまりにも愛らしく、美しかった。本人は無自覚であるが男性の注目を集めた是清は早めに夜会を抜け出した。 「たくさんの人でしたね」 「ああ、そうだな!」 「……何を怒っているんですか」 「別に!」 「……」 不機嫌な彼に千代子は立ち止まった。 「どうした」 「……私。何か怒らせるようなことをしましたか」 「あ」 落ち込んでいる千代子に是清は焦った。そして慌てて人力車を呼びとめ、二人で乗った。 「俺が悪かった。すまない」 「……」 「お前があんまりきれいだから、心配だったんだよ」 「なにが心配なのですか」 是清はそっと千代子の手を握った。 「他の男に、その。取られないかと」 「是清さん、今夜は千代子が奥さんだって言うために参加したんですよ。なのにそんなことをするはずないじゃないですか」 「わかったって!それにしても」 「何ですか」 まだ怒っている千代子を彼は笑った。 「綺麗だよ」 「もう、あ」 頬に口づけをした彼を千代子は許すほかなかった。 夜のガス灯の銀座を二人を乗せた人力車は銀座の街を駆け抜けていた。 「おはようございます。是清さん」 「……まだ寝る」 「だめです。今日は大事な会議でしょう、ほら」 千代子に起こされた是清はまだ布団で粘っていた。 「もう少し」 「だめです。小林さんが困るもの、あ、そうだ!帰ったらまたスイカを冷やしておきますよ」 「スイカ……」 「そう。スイカですよ。ね、起きて」 「わかった……」 身を起こした彼は妻を見た。 ……いつもの千代子だ、俺の奥さん。 化粧はしておらずいつもの千代子に彼は抱き付いた。 「そんなに行きたくないの?」 「……千代子、もう化粧はするな」 「急に何を」 困惑している千代子の胸で是清はうなるように語った。 「そのままでいてくれ……そうしてくれないと仕事にならないのだ」 「……わかりました。さあ、ゆっくり立ちましょうね。せーの」 「おっと!ああ、今日も暑くなりそうだな……」 蝉がうるさい朝、すでに二人の仲も暑かった。 完
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