三 遺産の行方

2/2
前へ
/27ページ
次へ
「みなさん、落ち着いてください。千代子さんはその袋ということですね。それでは、試験の内容の事が書いてある封書を開けます」 一同が見つめる中、西村は水を飲んでから読みあげた。 「金のつばを選んだ者は、『壺』を。銀のつばを選んだ者は『屏風』を託す」 「やったわ!私は屏風ね。お母さん」 「お黙り!先生、続けて」 「はい……ええと。螺鈿細工のつばを選んだのは百助君ですね。これを選んだ者には、所蔵の日本刀をすべて渡すと」 「なんですって!あれを全部?」 ここで億夫は怒りに満ちた目で弁護士を見た。 「先生。父の骨とう品がまだたくさんあります。それは、どうなるのですか」 「その前にいいですか……漆のつばと、朱色のつばは愛人の方の権利になります。これらを選んだ方には『古伊万里の大皿』と『宮本武蔵が描いた掛け軸』になります」 「だから先生。他の物は」 「残りはすべて千代子さんのものです」 予想外の答えに一同は静まり返っていた。しかし、千代子は驚かず俯いていた。 是清はそっと妻に尋ねた。 「どういうことだ?お前は知っていたのか」 「……そのつばはどれも価値があるのはわかっていました。でも、私はその刀袋が気になって」 「そうか。たしかにそれは刀袋ですね」 番頭の池森は急に生き生きと説明を始めた。 「しかし、これにどんな価値が」 「袋に数字が入っていますでしょう。ここに『一番隊長』と」 「本当だ」 感心する池森を一代は怒鳴った。 「だから何なのよ!」 「ええと、それは」 「千代子。これのどこに価値があるのだ」 是清に千代子は静かに語った。 「おそらく、これは新選組の沖田総司のものではないですか」 「そうです。その通りのようです!いや、御見それしました」 答えの紙を読む西村に千代子は続いた。 「お父様は、数字が全てだと言って、私達の名前に数字を入れたほどです。だから私はこの数字が気になりました。他の布袋にも数字がありますが、『三番隊長』も新選組の人ではありませんか」 「そうです。実はその刀のつばよりも、包んでいた布の方に価値があると、ここに書いてありますね」 この結果に本家の妻は弁護士に迫った。 「じゃあ何よ?骨董品は全部あの娘のものってこと?」 「それが遺言です」 「そんな」 「先生、これはおかしい、我々は裁判をします」 「私もよ!」 大騒ぎの中、疲労が見えた千代子を是清は連れ出した。この時、百助も一緒に連れて是清は二人を帰宅させた。 翌日の千代子はさすがに疲労を隠せなかった。是清は彼女を休ませると仕事に向かって行った。 ◇◇◇ 「大変なことになりましたね」 「ああ、それはそうと例の九段下の件を進めないとな」 広い土地を探している人物がいるという情報を受け、是清は九段下の土地を買おうとしていた。銀行は金を貸してくれる約束であり、土地の台帳を確認したが、一切問題はなかった。 ……千代子を嫁にするには、俺も成果を出せねば…… 千代子が手にする資産は相当な金額だった。男としての一旗揚げたい是清はこの投資を成功させ、千代子に求婚しようとしていた。 そんな是清は福沢退助に逢いに行った。手土産を買った二人は四谷の家へ向かっていた。 「福沢さんはこの時間に家にいるのか」 「はい。事務員が一度様子を見に来ていまして、この時間なら必ずいると」 「よし、では行くぞ」 立派な屋敷を見上げた是清と小林は訪問した。 「はい、私が福沢退助ですが」 「私は佐伯商事の佐伯と申します。これが部下の小林で」 老齢の男は名刺を受け取ると室内に案内してくれた。立派な家具に高価な絵画が飾られていた。通された和室からは立派な庭が見えていた。 「立派な庭ですね」 「いやいや。手入れが大変で困っています。それにすみません。家内は孫の世話で留守をしていましてお茶も出さずに」 「いえいえ。お構いなく」 ……これは本物の金持ちだ。話が早そうだ…… 「ええと、どういったご用件ですかな」 「実は九段下の土地の事で」 「ああ。あれは遺産でもらった土地でしてね」 今はまだ売るつもりはないと笑う福沢に対し、是清は土地を売ってくれと頼み金額を提示した。福沢はしばらく考えさせてくれと言ったが、後日、売りたいと言ってきた。 これを聞いた夜、是清は千代子に報告をした。彼は酒を飲み上機嫌だった。 「千代子。これから大金が入るからお前に贅沢をさせてやるぞ」 「私は今の暮らしで十分ですよ」 「何を言うのだ。そうだ!指輪でもなんでも買ってやるぞ」 ……機嫌がいいけれど。お疲れのようね…… 連日の多忙の彼を千代子は心配していた。この夜も酒を切り上げさせた千代子は寝支度を手伝い眠そうな彼に布団を掛けた。 「千代子……これが終わったら新婚旅行に」 「はいはい。おやすみなさいませ」 是清は千代子の手を握りながら眠った。千代子は複雑な思いで彼の寝室の襖をを閉じた。 ……本当に今のままで十分なのに…… 母の病のせいで貧困だった千代子は、今の是清との暮らしが贅沢に感じるほどだった。日本橋の父親の遺産は分配され、今は骨董品だけ揉めておりこれは弁護士任せであり、資産についても使う気はなかった。 「う。寒い」 秋の夜長、どこか室内は冷えてきた。千代子の心もなぜか寒かった。 父を亡くし母もいない千代子は、是清とのこれからの結婚生活を憂いこの夜も眠れぬ夜を過ごしていた。 ◇◇◇ 翌朝、是清は佐伯商事で小林と打ち合わせをしていた。 「では。いつものように取引前にもう一度台帳を見に行きますか」 「ああ。金額が多いからな」 九段坂の土地の売買を慎重に進める是清は、再び土地台帳を閲覧しに来た。前回と同じ内容に二人は納得して契約書を作成した。 そして。是清は取引銀行に福沢を呼び出し、銀行員を交えて奥の部屋で金を支払った。受け取った福沢は現金で持って帰ると笑った。 「お恥ずかしい話。一晩一緒に寝てみようと思いましてな」 「ははは。どうぞご用心下さい」 金を鞄にしまうに福沢にそう話した是清に対し、銀行員は説明をした。 「では佐伯さん。福沢さんの書類は問題ありませんでした。ええと、では私の方で明日の朝、土地の名義変更をして来ますね」 「よろしくお願いします」 ……ああ、これで、やっとだ…… 夕刻。高額取引を終えた是清はケーキを買って帰って来た。 「ただいま」 「お帰りなさいませ」 「……これ、お土産だ」 「まあ。ありがとうございます」 そして余市が先に休んだ夜、夕食を食べていた二人は話し合いをした。 「そうだ。秋に一緒に温泉にでも旅行に行こう」 「温泉ですか」 「ああ。まあ、新婚旅行だな」 恥ずかしそうな是清に千代子もうつむいた。 ……是清さんは、私を思ってくれているんだもの…… 書類上の夫だった是清はいつだって自分を大切にしてくれていた。この日、トメに悩みを打ち明けていた千代子は心を前に進めた。 「私、トメさんに相談したのですが……秋のお彼岸までを喪中にしたいと思います……」 「そ、そうか。ではその頃だな」 喪が明けたら夫婦になりたいという千代子の恥じらう答えに是清も頬を染めて俯いた。もう拘りのない二人は、秋の彼岸で改めて夫婦になると無言で誓った。 晩夏の夜は秋の匂いがした。虫の音が減って来た庭の風の中、清らかな二人はそれぞれの寝室で静かに眠っていた。 ◇◇◇ 「大変です!佐伯さん」 「どうしました」 翌日の正午。銀行員は血相を変えて佐伯商事にやってきた。 「あの土地は別人のものでした!」 「なんだって」 走って来た銀行員の息が整うのを待てずに小林は発した。 「そんなはずないですよ。あの台帳はみんなで確認したじゃないですか」 「私も見ましたが。今朝見たら全然違うのですよ」 真っ青の顔の銀行員に是清は自分に言い聞かせた。 「小林。四谷の福沢の家に行くぞ」 「はい」 是清はハイヤーに飛び乗った。四谷までの道は長く遠く感じていた。 完
/27ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3994人が本棚に入れています
本棚に追加