四 誰もいない家

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四 誰もいない家

「すみません!福沢さん!いませんか」 「社長。なんだか様子がおかしいですよ」 そこで二人は近所の人に確認をした。 「あの家の福沢さんの事でお聞きしたいのですが」 「福沢さんは今、大阪だよ」 「え」 近所の老婆は教えてくれた。 「なんでも大阪の息子夫婦のところに行くって言って。しばらく見かけないね」 「……その男の人ってこう。やせ形で白髪で腰が曲がっていて」 「違うね。頭は剥げているし。太っているよ」 「そんな」 「あんたたちは話しているのは、留守人だろう」 老婆の話では、留守の間掃除や植木の世話をしている男が通っていたと話した。 「留守人はそんな人相だよ」 「その人の連絡先は?」 「知らないね。それに辞めるって言っていたよ。大金が入るから」 「……これは」 完全にやられた、と是清は目をつむった。そして是清と小林は銀行に事情を話し、その足で警察署に向かった。 ◇◇◇ 警察で詐欺の被害届を出した是清は自宅に戻る気になれず、佐伯商事で頭を抱えていた。 「しかし、俺達が見た時は土地の台帳は「福沢退助」になっていたよな?」 「そうですよ、私も見ましたから。それがどうしてこんなことに」 慎重に進めていた是清に不備はなかったはずだった。こんな彼は疲労困憊で自宅に帰った。 「お帰りなさいませ」 「ああ、飯はいらない、すぐ寝る」 「は、はい……」 あまりの疲労と何も知らない千代子の優しさに、是清はいたたまれなかった。騙された資金は銀行から借りたもの。是清を気の毒に思った銀行は、返済を始める時期を一か月遅らせるといってくれたが、彼の肩には途方もない返済額がのしかかっていた。 「おはようございます。是清さん」 「……朝か……」 眠っても寝ていないような感覚。是清は言葉もなく朝飯もそこそこに会社に行ってしまった。 ……どうされたのかしら、あまりに元気がないわ。 「余市さん、旦那様はどうされたの」 「お仕事で大変なのですよ。そっとしてあげましょう」 「そうね」 しかし、彼の様子はどんどん暗くなっていった。一緒にいる千代子は心配していた。 「あの是清さん。明日はお休みですよね」 「……悪いが。仕事だ」 「そう」 口数の少なく、彼はいつも機嫌が悪かった。そんな彼がいたたまれない千代子は、神楽坂の女将のところに顔を見せに来ていた。 「まあ、良かった元気そうで」 「何のことですか」 「例のあれよ!九段下の不動産取引の件よ」 情報通の女将は心配そうに千代子にお茶を出した。 ……そうか。女将さんは是清さんの仕事を知っているのね…… 「え、ええ、大変でした」 「大がかりな詐欺だって、噂になっているわ。あれなら誰でも騙されてしまうもの」 女将は見てきたように是清の被害事件を語った。千代子は知っている振りをして何もかも聞き出した。 ……そんなことがあったなんて…… 「でもね。おかしいわよね」 「なにがですか」 「土地の台帳よ」 女将は首をかしげて話した。 「是清さんが見た時は確かに犯人の名前になっていたそうよ。銀行員もそう証言しているし」 「女将さん、千代子はその台帳を見たことがないですけど。それは誰でも触れることができる本なのですか」 「そうよ。だって自分で棚から取り出して、読むのだから」 「自分で……」 この帰り道。千代子は夕日の中を歩いていた。目の前には会社帰りの女性が歩いていた。 ……もしも、私が是清さんに偽の台帳を読ませるとしたら…… どうやってそれをするか。千代子は考えた。答えはすぐに出た。 ……でも、それをするのには、条件がある……でも、その方法なら…… 風は秋の匂いがしていた。千代子は髪を押さえながら、彼が不在の家に帰って行った。 「今夜も遅いのですか」 「へえ。なんでも出張とか」 ……余市さんは是清さんの被害を知らないようね…… 女将から事情を聞いた千代子は、是清は返済のために仕事を増やしていると思った。 ……なぜ私に相談してくれないのかしら。 蚊取り線香を付けた千代子は悲しく揺らぎを見ていた。 千代子は遺産がある。それはすぐには使わないもので、彼女にとって興味が無いお金だった。骨董品は裁判中であるが、今はどうでも良い千代子は、自分の遺産を是清に使って欲しいと思った。 ……今度、お会いしたら、そう言おう。私は妻なのだから…… 是清と出会い、千代子は初めて人を愛することを知った。今は彼に感謝の気持ちと、彼の役に立ちたいと胸を焦がしていた。 夜の一人寝はひどく静かだったが、いつの間にか雨音がした。 彼を待っていたが、是清はこの日から、帰って来なかった。 ◇◇◇ 「佐伯!でてこい。いるのはわかっているんだ」 「逃げようたって無駄だぞ」 「……社長どうします」 「開けてくれ。少しだけ払うから」 「わかりました」 真夜中の佐伯商事にやって来た借金取りに、是清は少額の金を払った。物騒な男達は、この夜は帰って行った。 「くそ!この事務所が早く売れれば少しは足しになるのに」 「社長。お怒りになることを前提に話します」 しばらく家に帰っていない小林は、無精ひげの顔で社長に向かった。 「千代子さんに正直に話すべきです。そして遺産を借りましょう」 「お前」 「それは必ず返すのです。それならいいじゃありませんか」 「……それは俺も考えたよ」 是清も疲れた顔で椅子にもたれた。出張と言っていたが、二人はずっと会社に寝泊まりしていた。それは家族に借金取りを行かせないためだった。 「千代子なら貸してくれるだろう。しかし、俺はそれだけは絶対、嫌なんだ」 「どうしてですか」 「……千代子は、本当にすごいんだ」 是清は悲しくうなだれた。 「人もうらまず、優しいし。今回の件で俺がどんなに八つ当たりしても、あいつは気にせず受け流してくれるんだ……さすがに情けないよ」 「ですが、今回は事故のようなものです。ここはまずお金を借りて」 「小林。俺は千代子と離縁しようと思うんだ」 「なんですって」 是清は悲しく夜の街を見た。 「こんな借金まみれの男は千代子を不幸にするだけさ。あいつにはもっと、幸せになってほしいんだ」 「社長……」 「さて。そうと決まったらお前に協力してほしいことがある。悪いな、小林」 「……う、ううう」 「泣くな、よ」 夜の東京。是清がみた景色は滲んでいた。 完 *今週、最終話まで行きます。 どうぞ二人を応援してくださいね。
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