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最終話 君は書類以上の妻だから
数年後、佐伯商事は忙しく社員が行き交っていた。
「社長。どうします?丸の内の駐車場の事ですけど」
「どれ、俺が返事をする、あ」
「お電話代わりました、私、秘書でございます、社長はあいにく外出しておりまして」
彼女はそう言うと鼻を摘まんで話をした。
「それについてですが、実は同じお話を他の会社からも打診がきておりまして。はい、私共としては最初にお話をいただいたので、御社にお願いしたいのですが、あまりにも金額に差がありまして、え?では、返事をお待ちしております」
電話を切った彼女に是清は呆れた顔を見せた。
「で?」
「競合相手がいるなら、値下げを検討して、また連絡しますって」
「まったく。競合相手なんかいないのに」
「ん?何か言いましたか?」
ここで小林は書類を持って来た。
「社長。ここに印鑑をお願いします」
「私、まだ苦手なの。是清さん、お願い」
「お前は社長なんだぞ」
「だって、それは書類上で」
「まだ言ってるし。いいですか?お前の方が社長になって、わが社は最高利益で」
「どうでもいいので早く押して下さい」
呆れた是清であるが、ここは新社長に判を押させた。
「曲がったわ」
「いいんだよ、押してあればそれで」
そして小林は部屋を忙しく出て行った。
「さて、俺は目黒の土地を見て来るよ」
「気を付けてね」
「……やっぱりよすかな」
「え」
仕事を円滑にするため千代子を社長にし、自分は専務になり自由に動くようになった是清は、自分で言い出したくせに寂しそうに彼女を見つめた。
「だって、家に帰れば子供の世話ばかりで、俺に構ってくれないし」
「しかたないじゃない」
「むう」
「是清さん」
膨れている彼の頬に千代子はそっと口づけをした。
「……今夜は遅いけれど、明日は早く帰りましょう」
「わかったよ」
そう彼はおでこに口づけをして会社をでていった。そして千代子は家族写真がある机に向かっていた。
東京神田、神保町の事務所は優しい黄昏色に染まっていた。
終
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