2-14

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 道の途中にある看板や土産物の紹介で散々なネタバレを受けて、着いたのは港に隣接する公園だった。港と言っても、漁港というよりテーマパークに似た雰囲気だ。  入り口のゲートをくぐると、再生ガラスで舗装された道がどどんと伸びている。道の左右……東西で、おもむきはだいぶ違っている。  海に近い西側はベンチや何らかのオブジェが置かれた広場になっている。今は使われていない客船を改修した施設もあるようだ。近付くと、船体はかなり大きいのが分かる。未就学児は無料で中を見学できる、と入口に立つ係員が声高に告知していた。船に隣接する灰色や赤茶色のコンテナは、観光案内所や土産物店、船舶の仕組みや海の生物を紹介する施設になっている。  近くを一周する遊覧船もあるようで、小さな船着き場は混雑していた。特に小さい子供連れの家族が目立つ。彼らにぶつからないよう進み、空いているベンチで休憩することにした。  東側には、流木や貝殻で工作ができるスペースや土産物店、フードコートが長屋のように並んでいる。赤いテントはアルコールを提供する店だろうか。  長屋の端、公園の最奥には、お椀をひっくり返したかたちの建物が見えていた。目当ての展示はそこで行われているらしい。その手前にある真っ白なサイコロみたいな建物は何だろう。推測するに、美術館のような施設だろうか。 「前にも来たことはある? 」  家族連れなら一度は行っておきたい、とかで旅行のパンフレットに載っていそうな場所だ。公園の一角では、三、四人の集団が楽器を演奏していた。金管楽器に反射した太陽光が眩しい。ゆったりしたワルツが風に乗り、喧噪に遮られず届いてくる。 「うん。父さまと母さまと一緒に、一回だけ」  きみは帽子をとって顔を仰ぐ。思ったより暑いし、やっぱり疲れただろう。駅から距離もあったし、自分のペースで歩けなかったし。  きみをベンチに待たせて、近くのドリンクワゴンへ向かう。飲み物を二人分買って戻ると、しおれかけの植物のようになっていたきみは、大人しくジンジャエールのカップを受け取った。 「ありがと。ごめんね、色々」 「こういうときはお互い様だろ。僕も休憩したかったから」  というのは本音だった。やけに氷が多く入ったブレンド茶をあおる。からからになっていた喉に一気に水分が行き渡って、ちょっとだけ噎せた。 「こんなに暑いなんてな。風があるのが救いだ」 「住んでたときは何ともなかったのに……気温が上がってるのか、ぼくの耐性がなくなったのか」  両方かも、ときみはひとみを回して、 「展示の前に行きたい場所があるんだけど、いい?」 「きみに任せるよ。船? お土産?」  ジンジャーエールのカップをぺこりと潰して、きみは例のサイコロを指差す。  案内看板によると、そこは「雨と海のミュージアム」というらしかった。  真っ白な外観とはうって変わって、内部は壁も床も濃紺だ。照明は最低限まで落とされ、色とりどりの淡いライトが壁に経路を映し出していた。  順路を示す矢印と反対方向に進もうとするきみを留まらせて、最初の「雨の部屋」に進む。僕ら以外に客はいないのか、人の気配は全くしない。  雨を表現しているのだろう、天井から垂れる細長いビーズ製のカーテンを除ければ「雨のいっしょう」「雨のできかた」など、子供向けの説明パネルが一斉にまたたき出す。小さく響いていた葉擦れのような音が急に高くなり、雨音を表現していたのだとようやく気付く。  隣に立つきみをちらりと見ると、口を引き結んで天井のライトを見ていた。  森の中のイメージだろうか。重なり合った葉や枝の隙間から雨が漏れてくる様子が、ピンクや紫のライトで表されていた。  豪雨が止むと、眩しいくらいに木漏れ日が降り注ぐ。小鳥の鳴き声とともに、それまで青色だった部屋全体が緑を基調にした色調に変化する。  ふらふらと次の部屋に移動するきみを追いかける。きみはじっとしていることもあれば、あまり興味がないのかすぐに移動してしまうこともあった。僕も自分が楽しめる範囲で、きみと離れないように順路を進む。  最後のブースは「海の部屋」と名付けられた一室だった。  きみは部屋の真ん中で立ち止まる。僕は端に並び置かれたスツールに腰掛ける。  それを見越したかのように―ライトが一瞬で全て落ちた。  驚いて腰を浮かしたけれど、演出の一環だったようだ。部屋全体が真っ暗になったかと思うと、深夜から朝へと変わるように、部屋の壁の上半分が白んでいく。海に棲む大型動物のシルエットが飛び出し、飛沫を上げてまた潜る。泡が部屋じゅうを覆う。小さな魚が群れとなって、僕らの足元を、肩を、顔をかすめて泳いでいく。  僕は投影された泡を自分でも吐きながら、泳ぐものたちに魅入ってしまった。本物の魚影ではないと分かっているのに、近くに寄ってきた菱形の魚に手を伸ばし、逃げられてしまう。きみはクラゲの大群に囲まれて、くすぐったそうに首を竦めていた。  ざあ、と波打ち際の音がして、魚の姿は消えてしまう。部屋は、再び静かな濃紺の世界に戻っていく。  僕は立ち上がり、出口に向かおうとした。  だけど、もう一度。  黄色やピンク、水色、黄緑、薄い水色。  花束のようなあぶくが足元から湧き上がり、きみの体を包む。呆気にとられる僕をよそに、きみは両手を上げてそれらを掴もうとする。天井が水面なのか高い空なのか、陸にいるのか海の底にいるのか、もはや分からない。  泡はだんだん小さくなっていく。最後に映し出されるのは、より細かい泡の粒だ。白一色のそれはゆっくりとゆっくりと、光に照らされて消えていく。  泡沫がまるで羽根のようだとは、とても言えやしない。  きみから羽根が抜けていくようだとは、とても。  気付けばきみに近寄って、その腕を掴んでいた。自分でも呆れるくらい必死に、呼吸も忘れて、きみを引き止めていた。 「エギナル? どうしたの?」 「……なん、でも、ない」 「そう? ぼく、迷子になったりしないよ、大丈夫」  きみは首をかしげた。 「もし迷子になっても見つけてくれるでしょ」  当然のようにそう言って、きみは僕の手をそのままに、出口へ歩きだす。
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