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 昼の休憩時間が終わったら主任のところへ行こう。  そう思っていたらユンさんに連行された。 「だから面白いものを見せてあげようって。連行だなんて人聞きの悪い」 「相手の意思を確認せずに連れていくのは連行ですよ」  生物科がある教育棟を出て、より「綺麗な」建物らしい建物が多く並ぶ区画へ向かう。 「それに君も賛成したじゃない」 「今日の今日になるとは思いませんでしたよ」  講義後、荷物を置きにロッカーへ戻ったところで声をかけられたのだが、『昆虫じゃないんだけど、珍しい植物とか見てみたくない?』という誘いに乗ってしまったのがそもそも、というやつだ。 「賛成したのは僕ですね」と小さく返す。  ユンさんは学部を跨いだ研究チームにも所属しているらしい。「綺麗な」建物側にある学科にも馴染みの顔が多いようだ。すれ違う人々に挨拶をされて、ユンさんからはそのたびに僕を紹介するのだった。 「こっちでも植物の研究を?」 「研究とは言っても、ガッツリしたものじゃなくってね。ちっちゃいとき、ガッコで生き物係ってなかった?」 「僕のところにはなかったです」 「あ、地域差があるのかね。私のとこだと、亀やら金魚やらを何人かで交代しながら世話すんの。情操教育の一環なのかなぁ。ペット用の生き物も高いから、今はないんだろうなぁ……そうい動植物のお世話係を請け負っているのを研究って呼んでるんだ」  着いたのはキャンパスの隅で、古い建物にビニールハウス二棟をくっつけた建物があった。建物は壁面が全てガラス張りになっていて、植えられている植物がぼんやりと見えている。 「動物は畜産科、植物は農業科。うちにも実験用の個体ちゃんはいるけど餅は餅屋、それぞれの管轄ってね。私もサンプルが欲しいときはこっちまで来るんだ」  小さいけど立派な植物園だ、とユンさんは扉を開けつつ説明してくれる。 「ビニールハウスは基準になる子たちの、こっちは変わり種たちの住みかね」 「基準……マーカーってことですか」 「その通り。植物は、動物と比べて比較的生育が容易だ。予算の都合もあって、買うより育てる場合が多い」  入口は一人しか通れない細さになっている。所狭しと置かれた鉢植が、出入口の半分を占有していた。  鉢植えに書いてあるのは、旅行パンフレットに載っていそうな南国の植物や、見聞きしたこともない名前の花ばかりだ。なのに何の説明もせず、ユンさんは通路をまっすぐ進む。ようやく立ち止まったのは、関係者以外立入禁止、と書かれたプレートのかかったドアの前だった。  ユンさんに続いてドアをくぐると、手のひらに乗るサイズの透明な立方体―水槽にも見える―が、積み木のように丁寧に並んでいた。  積み木の中には土や色とりどりのビーズと、それらを土台にぴんと伸びた植物の苗が入っている。 「ここは、研究でできた変わり種ちゃんたちの部屋なんだ。遺伝子組み換えは免許とお金がいるから、交配でできた子たちでね」  ユンさんは積み木の後ろを指差す。僕には理解できない何らかの機械が積み木につながっていて、水耕栽培や特殊なライティングで、天候に関係なく管理できる仕組みのようだ。 「全部、違う特徴があるんですか」 「そう、このあたりは風媒花。従来の個体に比べて花粉の飛散範囲が広いんだ。……虫媒花はもっと向こうだね。花粉を運ぶ昆虫が少ないって問題から、レプリカ生体の研究も進められるようになったんだろ? 虫取り少年」 「らしい……ですね。僕の地元はけっこう前から置き換えが進んでたみたいで、差とか気にしたことなかったです」 「なるほどね。レプリカの飛行能力は実に申し分ない。ただ一点、オリジナルと大きく違うとすれば、それは生殖能力の有無か。ではその差異によって、植物への貢献度は変わってくるのか? ってのを農学科の人たちはやってるみたい」 「農学科の管轄なのは、農作物の収量に直結する技術だから?」 「大正解。より大きな花をつける、実がなる、枯れにくい……増やすなら人間に都合がいいのを増やせって話だ。実用性に直結する研究ばかりが集まる場所だ、ここは。何でもそうだよ。はっきり有益だとわかるものはお金をかけてもらえる。企業と提携しているプロジェクトも多い」  環境保全を謳うにしても、実際の緊急性よりも有益性が優先される。かかるコストのことを考えると当然だろうか。 「まさにその、実用性の話でね。今度、私たちも協力した企画展示があるんだ。生物科のみんなに声かけてるみたいなんだけど、聞いた?」 「あ、はい。主任から優待チケットももらいました」 「うん、人の入りがね……世知辛いよね……」  あまり大きな展示でもないし、とユンさんは頬をかく。 「僕は行くつもりですよ。こうした植物も展示されているんですか?」 「そうそう! 色々な生き物を扱おうってんでね、私は植物を担当なんだよ―それでだ」  ユンさんは指をぱちりと鳴らし、近くにあった植物プラスチック製の椅子に腰掛ける。やたらと大きい荷物から出てきたのは分厚い紙束だった。 「前にしただろ、フィールドワークの話。アーカイブ見た?」 「え? はい」  そんな話もしたな、と思い出す。講義で用いられた資料も見やすく、その楽しげな雰囲気から僕も受講できれば良かったのに、と思ったほどだ。 「レポートももう書いたし、紙の資料の方が詳しいから、これ、貸したげる」 「い、いいんですか」 「今の所は、いつ返してくれても大丈夫さ」 「本当ですか……ありがとうございます」  と手を伸ばしたところで、はたと気付く。  この人は、ただの善意で何かをしてくれる人だろうか? 「……交換条件は何ですか?」 「んー?」 「だから、交換条件。僕は代わりに何をしないといけないんですかね」 「ばれた。……実は主任から探り入れろって言われててさ」  何の、と目で問うと、ユンさんはばつが悪そうに頭を掻いた。 「見学、行ったんだってね。ピーターの」 「……ええ」 「プロジェクトの予行練習ってテイらしいけど、感想というか、感触というか」 「探り、って。言って良いんですかこれ」 「駄目でしょ。駄目って分かってるけど、嘘とか知らない振りとか苦手だし、ていうか隠し事できないし」  分かりづらいけど分かりやすいのがこの人だろう、多分。 「単刀直入に言うと、加入の件ね。どう? 主任も、君を心配してってより、早く人手が増えるのかを知りたいんだろうけどさ」 「……まさに今、伝えに行こうと思ってたところだったんですけど」 「わあ。ごめん邪魔した。そんで?」 「まだ……少し、迷ってて」  答えはほぼ固まっている。  だけど断言できないでいるのは、プロジェクト参加を断ることで折角の機会を逸するのでは、などと打算があるからだった。 「そっかそっか。かく言う私は加入してないんだな」 「してないんですか? 聞いてこいって言われたのに?」 「エギナル君は意外と言葉のいちいちが失礼だなぁ。参加していなくても、リンカに所属してれば知りたいことは教えてくれるよ。プロジェクトへの参加ってのは結局、お偉いさん方が自分達の正しさを多数決票取って証明したいだけさ」  おとなって汚いねぇ。そんな台詞をユンさんは、まるで文房具の使い心地を語るように口にする。 「私も一度だけ見学に行ったよ。協力者っつー子が自分より年下で、驚いた」 「……僕と同い年です」  ユンさんは、僕がきみと親しくしていることを知らない。 「そっかあ。……あのアプローチの仕方というか。やり方があまりにも下卑てるよね。主任を非難したいんじゃないけど」  頷く。主任は終始あっけらかんとした風に言ってはいたものの、あの人がプロジェクトをどう動かすかによって、色んな人たちの「明日のご飯」の有無が決まってくるのは事実だろう。  僕のように、何も責任を負っていないやつがあれこれ言うのは簡単だ。 「自分で言うのもあれだけど、私ことユンさんは成績が良いわけよ。昔は破天荒でもなくってセンセイのいうことをきく良い子ちゃんでね」 「今じゃ説得力も何もないですね」 「ね? それで、上の人たちはプロジェクトにも当然参加すると思ってたらしくて、あっはは、断ったときの皆の反応、思い出すだけで笑えてくるなぁ」  けらけらと、ひとりでものすごく楽しそうにユンさんは笑う。 「だから主任以外のセンセイに今でも嫌われてんの。どう? こんな先輩もいるって参考になるでしょ?」 「ですね……」  僕がプロジェクトに参加しても、できることは限られるだろう。懇親会で先輩たちが言っていたように、事務処理を任せられるのは目に見えている。  だとしても、参加しながら異議を唱えるのは―内部告発とはいかないにせよ―問題提起になるんじゃないだろうか。参加することは、「プロジェクトへの賛同と協力」を意味するものに他ならないけれど。  きみへの―尊厳への配慮を自己矛盾を抱えずに唱えたいのであれば、プロジェクトそのものを拒否すること以上に強い意味を持つ行為はない。  いつまでも迷っていられない。  時間の流れが、遅く変化することはなくて。  いつだって前のめりに、先へ先へと進んでいくのだから。 「あいつ、同い年なだけじゃなくて知り合いなんです。中等科の頃に一緒で」 「―そうなんだ。……友達?」 「と、いうより」  相棒、と。  良いね、ときみが嬉しそうにしていたあの日と同じ響きを持たせるように、僕は口を動かす。まるで子どもっぽい訂正に、頬が赤くなったのが分かった。  「良いね。すっごく良い。良くない? 私も使いたい」 「つ、使いたいなら使えばいいじゃないですか」 「ほんと? じゃあ使っちゃうよ? 私とエギナル君も相棒! 仲良し先輩後輩コンビ! 森の仲間!」 「ちょっと無理でしたやめてください」 「なんだ前言撤回か」  ユンさんはつまらなさそうに言いながらも、にまにまと僕の方を覗き込んでくる。  もしかしなくても、遊ばれている! 「君にとって、とってもとっても大事な言葉なんじゃないか。いけないよ、そんな風に簡単に他の人に貸し出しちゃ」 「……すみません」 「いや、謝るのは断然私なんだけどね」 「取り乱してすみません」 「取り乱したの? 新しい取り乱し方だ」  顔を覆っていた両手を外す。まだ首から上が熱い。ふへへ、となぜかユンさんの方が照れくさそうな声を出して、テーブルの向こうで微笑んでいた。
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