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 ユンさんからもらった紙束を全部突っこんだリュックサックは少し重い。時刻を確認すると余裕はなさそうだったので、そのまま主任の部屋へと向かった。 「……は?」  部屋を間違えたのかと思うほど整頓された空間が広がっていた。本はすべて本棚に収納されているし、机の天板も見えている。何より足の踏み場が大幅に増えていた。  何があったんだ、とほうけていると、主任が満面の笑みで迎えてくれた。 「ようこそエギナルくん。見違えたろう、この部屋!」 「この部屋だけ天変地異が起きたんですか」 「いやぁ、近々上からの抜きうちチェックがあるって隣の棟から聞いてね。慌てたよまったく」 「最初からこうすれば良いのに」 「さぁさ座って座って、この綺麗になったソファにね」  僕の突っ込みを無視して主任はソファを指差す。小さな冷蔵庫(そんなものあったのか)から缶ジュースまで出してくれる変貌ぶりに、僕は失礼ながらも引いてしまった。 「あの、……プロジェクトに参加するかどうかの返事の件で、来ました」 「分かってるよ。きみは授業態度が良くても、講義内容について質問しに来るほど勤勉じゃない」  主任は自分のコーヒーを用意しながらそう返す。  だよな、と思いつつ、言葉を続けた。 「プロジェクト。僕は参加しません」 「―承ったよ。予想はついてた」  顔を起こした主任は、いかにもつまらなさそうな視線でこちらを見た。 「残念だな。キミなら僕と一緒にプロジェクトをかき回せたかもしれないのに」 「在籍が危なくなるようなことはしませんよ?」 「ふっふ、冗談だって。キミはキミなりにやりたいことがあるんだろ。プロジェクトを通さないやり方でさ。その意志を尊重してやろうじゃないの。上にも人手は増えません悪しからずーって伝えておくから。このくらいお偉いさんにとっちゃ痛くも痒くもない」 「僕が個人的にあいつに関わるのは、何も問題ないんですよね?」 「今までと同じようにだろ? あるわけあるかい」  交遊関係まで縛るなんてやっちゃいけない、と主任の片眉が上がる。 「それにキミはしっかりしてそうだし。根拠のない根も葉もないあれやこれやを聞かせて不安にさせたり専門家でもないのに一丁前にアドバイスをしようとして悪化させたり良俗公序に反する言動や行動をしかけてみたり、なんてあの子に有害なことなんて絶対しなさそうだもん」 「……」  プロジェクトには、色んな人がいるのだろう。色んな―策略や思惑が、渦巻いているのだろう。  主任は「まともな」部類に違いない。こんなのでも。 「共通の話題がある友人がいるってだけで全然気持ちは違ってくるさ。……飛ぶ、って言うけどさ。キミは見たことあるの? ピーターが飛んだとこ」 「見た……というわけではないんですけど、飛びかたは知ってると言いますか」  祭りの日のことを思い出しつつ頷く。共に飛べはしなかったものの、その方法を知ることは、少なくともできていたと思う。 「主任たちはあるんですか」 「ないよ? っていうか人間が飛ぶなんて見たことも聞いたこともないよ。ピーターの他にはね。そう言う人がいるなら―主張するなら、それはそうなんじゃないのかな、ってスタンス。人間の思想は基本的には自由だ」 「プロジェクト全体ではどう捉えてるんです」 「人それぞれさ。あそこで重要視されるのはあの子の身体的な特徴と変化だ。精神的な負担やストレスの影響って点では、あの子が考えてることも気にしてるだろうけど、あの子の思想……想像や空想は、連中の関心の範疇にはない。……空想、想像。子供みたいなそれって、いつまで持ち続けられると思う? エギナルくん」  椅子のキャスターを四分の三回転させて、主任は僕に向かい合う。 「ホントはさ。翼が折れて元通りにならなくなる前に降ろしてやるのが大人の務めなんじゃないのかな。僕が医者でも研究者でもなかったらそうしてるよ」  諦めさせて、おろさせてやること。  きみの身体を治すのがプロジェクトの目的なのだから、それは妥当な―筋の通った意見だ。  だけど僕は躊躇なく頷くことはできなかった。  聞き分けの良い振りをして、自分に都合が良いことだけ、好きなことだけ選び取っていると分かっていても。息がしやすい、休める場所を作ってやりたいと思っていても。  きみから翼を取り上げて―空を諦めさせるとだけは、僕が口にするわけにはいかない。  きみが翼に固執する理由が僕だとしても。  それでも、それだけは言えなかった。  きみの望みを、僕は否定できない。  きみの身体が今必要としているのは、飛べる空よりも羽根を休ませられる陸地だろう。きみにだって分かっているんじゃないだろうか。きみは荒唐無稽な思い込みと想像を区別できるから。自分の知識をさかしらに持ち出すより、データを信用するから。  だからこそ、僕の言葉がきみの判断や選択を麻痺させているのだとしたら、僕抜きで考えられる状況を作りたかった。 「降りるかどうかは結局、あいつが決めることです。だけど、……不参加で言える立場じゃないとは分かってるんですけど、一つ……お願いしたいことがあって」 「―どうぞ?」 「あの見学方式を変えてもらえませんか」 「…………どうして?」 「検査の日程は学内の人間のみに知らされると聞きました。ですけどあの場には、他の学校の教授や研究機関の人達もいた。セキュリティとかプライバシーとか、そういうのが名目だけになっているんじゃないですか。あいつを―ちゃんと、人間らしく、普通に守る手立てがあるはずです」 「……書類上、あの子の了承は取っている方式だよ。確かにキミのいう通り、部外者みたいな連中が最近増えてるのは事実だ。そこは上にも言っておく。だけど僕には、あれを変えさせる権限はない」 「じゃあ、もっと上の人に掛け合えば変えられますか。それとも署名とか」 「となると、ピーターだけの話じゃなくなってくるね。プロジェクト全体の話となれば、扱っている症例はあの子のものだけじゃない。一般的には見られないヒト以外の特徴を備えた人達は、あの子以外にも一定数いる。プロジェクトへの協力は、勿論、彼ら彼女らの意見を尊重し」 「その方々もあいつと同じように見学の対象になってるんですか?」 「……」 「その人達もあいつと同じ扱いですか。それとも、あいつが……見ていて楽しいから、あいつの身体のつくりや―性別や年齢が理由で、ピーターの治験は特別に一般公開するよう言われて」 「エギナル君、ちょっと黙った方が良い」 「なんで」  冷静さを欠いた口調になっている自覚はあったけれど、つい口走る。 「あいつを見せ物にして、メリットを受けられる奴らがいるってこ―」 「それ以上は駄目って言ってんの」  脳天にチョップを食らった。痛い。 「ストップストップ、若気の至りストップチョップの刑だ。ここからは特別講義に入った方がよさそうだ。出よう?」
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