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早足の主任について向かったのは、研究棟の裏手にある雑木林だった。
「な―どこまで行くんですか」
「人がいないとこに行こう。万が一聞かれたらまずい」
「何が」
「僕が、プロジェクト非参加者とああいう話をしてるのがだよ。……キミを責めるつもりは全くないけど、僕がプロジェクトのメンバーに残るために、疑いは少ない方が良い」
「疑い……」
「主要メンバーの大半は、前に言った胸糞悪い連中とそれに近しい輩だ。僕みたいなのは目の敵にされてるって訳さ。……今の状態でメンバーから外されたら、あの子を守れなくなる」
入口のゲートからすぐの湿地帯―ユンさんが通い詰めているところだ―まで進んで、主任はその辺のベンチに足を組んで腰かけた。隣に座るには居心地が悪い気がして、僕はその正面に立つ。
「……参加者のリピーターは多いよ。詳細な理由が何であれ、ピーターに惹かれる人間は多い。キミも、あの子のあの検査を見て知的好奇心が満たされたろう。もっと見たいだとか楽しいとか、微塵も思わなかった?」
「……僕は―」
「非難するのは罪悪感を打ち消すため? 自分は実験を見に来てた他の連中とは違うって再確認するため? 我が身可愛さで、エギナル君はプロジェクトを否定するのかい?」
「……」
「……」
「……好奇心はゼロじゃなかった。それは認めます。だけどあんなやり方は間違ってる、って、そう思うのも嘘じゃない」
「そんなの顔見りゃ分かるよ」
「じゃ―じゃあなんで聞いたんですか」
「うーん……絵踏み的な」
「絵踏み?」
今の子は知らないか、とらしくないセリフを吐いて、主任は再びいつもの人当たりが良さそうな笑みを浮かべる。
「答えはさっきと変わらないんだけどね。ボクに検査をどうこうできる力はないし、意見だって現状、参加メンバーのパワーバランス次第で簡単に捻り潰される。あの子を見せ物扱いする連中がいるのは事実だ。正直、僕が把握してるよりもずっと多い」
「……でも、何もできない?」
「臨床実験やモニタリングって名前を付けちゃえば、見かけ上は何の不正も生じてないことになるからねぇ」
「プライバシー保護の問題提起はできるでしょう」
「出来る。ていうかね、一度ね、言ったんだよ反対ですって」
「それで―」
「そしたらもみ消されて、補助金も半分近く減っちゃった」
「無職がどうのって、そのことだったんですか」
「うん、まあねっ」
ふんぞり返って言うことじゃなかろうに。金がないのに成果を出せというのは、そのことがあってからなんだろうと僕は息を吐く。
「だから、違法性を主張するとしたら別の観点からになるだろう」
臨床実験や治験にはより繊細さが求められるようになってきていると、リンカの講義でも議論があった。
一般的な薬だって、ヒトを用いた臨床実験を経て出回っているものだ。本物の薬と、薬の振りをさせた紛い物とを対比実験するのは今でも有効性な検証方法ではある。それだって、協力者の身体……健康を担保にし、未来の治療に役立てているとして、たびたび問題に挙がる。
「それは、難病と言えど罹患者が複数人いる場合の話でしょう。あいつはどうです。他にも空を飛べる人達を集めてるんですか」
「僕らが参照しているのはあの子の身体だけさ」
「だったら尚更おかしい。倫理を扱う学科が主になっているプロジェクトで、どうしてあんな真似が」
「そりゃ、上はあの子を自分らと同じ人間だと思ってないからだろ」
あまりにもシンプルな返答に、反論ができない。
身体がぐらついてしまわないよう、足に力を入れ直す。
「秤にかけてどっちを選ぶかだ。あの子を人間と見做してなるべく痛くない方法で、なるべく意見を取り入れて治療していくか。それともあの子を―単なる実験試料と見做して、自分達の予想が当たるかどうかを精確に知るための手段を取るか。……個人の意志に立場や権力が加われば、それは簡単に正当な主義、お題目になるんだよ。とは言っても、僕らはあの子の負担にならないような手立てを提案できる。採用されるかは別として、あの子のためになるよう、いくらか働きかけはできる」
「……」
「キミの指摘ももっともだ。あの子を含めたプロジェクト参加者の症状は、単発的なものなのか遺伝性のものなのかすら分からないものも多い。次世代へ繋げられるように、役立てられるようにとプロジェクトの正当性を掲げれば掲げるほど、彼らを裏切ることになる」
「―……それでか」
自分の言うことを何も聞き入れてもらえないと、後世のためになるものなどないと熱にうかされたように呟いていたのは中等科のときのことだ。
あの頃既に、きみはプロジェクトに参加していたのだろうか。
そのことを会話に出さなかったのは、信頼の有無ではなくて―何か、別の理由であってほしいと思ってしまう。
幼さや無力感といった、諦めがつく理由付けを求める僕がいる。
「彼らの身体を面白がって、冒涜しているってとらえ方をされても反論しないさ。できないもん」
「……あなただけを責めるのはお門違いだって、そのくらい、僕にも分かってます」
「ほーん。素直だねぇ。そんなキミだから一緒に暴れたかったんだけどなぁ」
かき回すが暴れるに変化している。
そんなことより、と主任はにんまり笑った。
「プロジェクトの外で暴れたいってんならいつでも協力するよ。大事な教え子にやりたいことをさせられないで何が教育者って話さ」
あんたにも教育者の自覚があったのか、と突っ込みたいのをこらえた。
「ピーターも同じだ。プロジェクトの協力者である前にこのガッコの学生だろ。まだボクらに守られてて良いんだよ、それに、この前会ったときにさぁ、キミの話をしたらキラキラした目をしてたよ。いつもは死んだ魚の目だっていうのに」
「……そう、です、か」
「そ。ありがとね、エギナルくん。僕の患者さんに良くしてくれて」
時間をずらして戻ろう、と主任は先に雑木林を出ていく。
僕はしばらくの間、その場から動けないでいた。
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