2-2

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 僕が在学している学校は、町からそれなりに離れた学生都市内にある総合学校だ。モトラドだと四時間ほどかかるだろうか。 倍率は低くはない。正直、とても真面目とは言えない授業態度を取り続けていたのによく合格したな、と自分でも思う。もちろん、学科によって倍率はピンキリで―きみが所属する機械工学科は、エリア随一の難易度を誇ることで有名だ。  きみは中等科を卒業後、町の学校には進学しなかった。それは学力のことだと思っていたけれど違っていたらしい。街なかの学校を選んだのは、身体の治療のため。通院に都合が良い場所へ、というのが本当の理由だった。  たまのメッセージのやりとりでも教えてくれなかった進学先がまさか同じだとは。講義後に突然声をかけられたときは驚いた。それはもう、心臓が止まるくらい。  きみはだけど、体調のことで休学していたらしく、学年は一つ下だった。 「あんなに山ほど本が要るのか? 機工科は」 「半分は趣味で、もう半分はサークルで使うんだ」 「モトラド研究会、だっけ。ぴったりだな」 「うん! 毎日楽しいよ。こんなに楽しいのって、久し振りかも」  エギナルがいるから楽しいのかな、ときみは笑う。中等部の頃よくしていた困った笑い方ではなくて、いかにも自然なふうに。  僕はきみと、書店と繋がっているカフェの窓際の席についていた。きみの前には色とりどりの野菜とかりかりベーコンのサラダ、僕の前にはレモンの輪切りが浮いた水と温野菜の盛り合わせ小サイズ。 僕のシフトが終わるまで、きみはここで課題をしていたらしい。特大のマグに入った氷が溶けて、米粒くらいの大きさになっている。 学院のロゴが入った資料のほか、さっき買っていったばかりの本や紙束の山は、テーブルの端に追いやられていた。 このカフェはいつも落ちついた雰囲気で、人の話し声すらも音楽に聞こえる穏やかさがある。バイト先のすぐ隣だけど、とおすすめした手前、気に入ってもらっているようで良かった。 今日に限らず、きみがここでよく勉強しているのを見かけていた。こうして夕飯に付き合うようになって―僕はほとんど食べないから、こういう言い方になる―近況報告めいた話をするのは楽しい。  きみはジャケットを脱いで汚れた外側を内側へくるみ、荷物用のカゴへ入れた。さして待たずに運ばれてきた、ふわふわのフォームミルクが乗ったカフェオレを啜りながらきみは続ける。 「高等科も楽しかったよ? モトラドに詳しい子もいたしね。でも、いつまでもお喋りしてたいって思うのはエギナルなんだ」 「……それは、光栄だね」  何とか、からからになった喉からそれだけをしぼり出す。先を越されたなんて思うのはいかにもがきっぽくて、僕もそうだったよ、と言うのも気恥ずかしい。  ぼくも、きみの声や仕草や、全部を覚えていた。着地点の予想がつかない、きれいに整ってやしないきみとの会話が忘れられなかった。 中等科の頃のように、こうして二人で会話をしているのも、たかが数年前のことを懐かしく感じてしまうのも不思議だった。 「今もみんなと会ったりする?」 「そうでもないかな。高等科の時点で進路もバラバラだったから……ハイリとはよく会うよ。あいつの賃貸、僕のところの近くなんだ」  高等科を出てからは初等科の頃からの友達と会う機会も減った。中等科の同級生の半分ほどはあの町に残って、モトラド工場やそれに付随する企業で働いているとハイリから聞いている。 「そっか、ハイリくんも! ぼくのこと覚えてくれてるかな」 「覚えてると思うよ。あいつ外見もあまり変わっていないから、見たらすぐ分かる」 「っふふふ、そうなんだ。でも、エギナルも変わらないよね」 「きみこそ……」  背は少し伸びただろうか。僕も伸びたから変わっていないように感じる。よく見れば左耳にはシンプルな青いピアスが光っていて、テーブルにはファッションではなく視力矯正のための丸い眼鏡が置かれている。真っ白なシャツにカーキのズボン、という野暮ったい服装がさまになっていた。小洒落ているのは相変わらずだ。 「変わらないと言えば、言ってなかったよな。学院の近くにも昆虫の目撃情報が多い場所があるんだ」 「え?」  きょとんとした顔で見つめられてはっと我に返る。 と言えば、なんて言い方をしておきながら、すごく説明を省いてしまった。 高等科の頃もだから、三、四年以上は探し続けていることになる。半ば意地になって、悔しさをバネに僕はレプリカではない昆虫を探し続けているのだった。そう言葉を足すと、きみはますます目を丸くした。 「探してるの」 「時間が取れたら、だけどね。それにまだ成功はしてない」 「……そんな子供の話、もう忘れてると思ったのに」 「忘れないよ。あれから一度も見つけられてないんだ、悔しいだろ」  レプリカの使用区域がどんどん広がっているのも、見つけられない理由の一つかもしれない。  最も多く広範なレプリカの利用方法は、カメラ機能を生かした一次産業の補助システムだろう。体内に搭載したカメラで周囲を観察したり、虫媒花の受粉を手助けしたり。  また、バイオディレクタの一種として生態系のバランスを保つ働きをしているものもある。僕の町のような特区でしか、これは運用されていないらしいけれど。環境―生態系、自然と言い換えても良い―に利益を還元させるのが目的とは言え、やっていることは人間に都合が良いよう、非人造物を弄っているにすぎない。 最近はそれ以外の使い方もよく報道されている。まだ実用化はされていないものの、最も注目を集めているのは情報収集に特化したレプリカだ。昆虫の代用というより、その姿を借りた超小型ドローンと呼ぶのが正しいシロモノではある。高性能のカメラや温度センサーを登載させて、人や他の動物が入っていけない災害現場や危険地帯に飛ばしてやれということらしい。 もっとも、よからぬものを撮ろうとか運ぼうとか、よからぬ使い方も当然考えられる。規制が整備されつつあるものの実態はかなりグレーだと講義でも言っていた。僕が所属する学科―生物科の中には、そうした技術と法律について研究している人もいる。 生物科ってそんな感じなんだね、ときみは僕の話に相槌をうつ。 「レプリカを取り巻く環境は、中等科の頃とは全然違うね。昆虫研究は子供だけのものじゃないって、メディアが率先して喧伝してくれてる。最終的には、何にでも兵器利用の懸念が想定されるようになるんじゃないかな、ってぼくは思うよ。生物を下敷きにした実験や研究は増える一方でしょ。法律も倫理観も追いつけない速さで」  きみはカフェオレに突き刺したスプーンを回して、集めた泡を一口で食べる。 「レプリカが存在すること自体に倫理的欠陥があるって指摘は昔からあるよね。クローンとの比較を通してさ」 「機械に生き物の真似をさせる意味の再点検、だな。レプリカとクローンは似て非なるもの、って意識は、なんとなくでもあると思う」 レプリカはレプリカのまま。 僕たちも見分けがついていないのだから、そういう捉え方をする人は少なからずいるだろう。 でも、類似品に対して嫌悪感を抱いてしまう場合も、世の中にはあって。気持ち悪い、気持ち悪くない、の差を埋めるべきかどうかは個人の感じ方によるところが大きいと思う。割り切れるポイントが違うというか。 こんな僕の考え方だって、あまたある「レプリカに対する気持ち」の一つでしかないけれど。 「オリジナルの機能を替わってくれるシステムとしてのレプリカ、だけなら割と単純だよ。でも、そうじゃない。見た目を寄せることが重要な複製品もある」  自然環境に溶け込ませるため。他の生物を刺激させないため。レプリカを似せるのはそうした点を意識してのことだ。 「クローンとの違いはそこ?」 「……僕は、そう思う」  ペットのクローン製造が国内で禁止されたのは何十年も前のことらしい。愛着を抱かせる見た目でなければ意味がない―そう考えた人が一定数いたことは、想像に難くない。  今のところ、レプリカはバイオディレクタのようなシステムの一つとして認識されているが、ペットとして買われている生物は、なにも哺乳類や魚類だけではない。昆虫や爬虫類だって愛玩動物だ。レプリカの用途が広がれば、クローンと同様の問題も発生するだろう。 「必要なのはぼくたちが暴走しないためのルールの設置かぁ。ルールが、法律なのかガイドラインなのかでも変わってくるけど。感情や印象の問題て、難しいよね」 「機械っぽいものの見た目の話だと、そっちの……機工科の十八番じゃないのか」 「あぁー、そうか。講義でもあったや。コストダウンで使われる受付用ロボット、エギナル、分かる? よくチェーンの飲食店にいるようなさ」 「あぁ」 「みんな優しそうな顔してるでしょ。機械だから怖い、って思われないようにしないといけないけど、ヒトそっくりすぎても不気味だって思われるの」  不気味の谷。  きみに合わせて、僕も頷く。 「見た目は場面とか、状況とか、そういうのに合ってるかが大事じゃない?」  たとえば、モトラド工場の組立作業も大半はロボットアームによるものだ。金属が剥き出しになっているあれに人工皮膚が被せられ、人間の腕そっくりに作られていたら、受ける印象は違ってくる。 「……話はちょっとずれるんだけどさ。そもそも、類似品を造るときにオリジナルの生体を研究するプロセスが生じるだろ。オリジナルに負担をかけてまでレプリカを作るのはどうなのか、って、レプリカ制作会社にクレームを入れる人もいるらしいよ」 「クレームで済んでるんだ。デモとか起きそう」 「前は起きてたらしい。今は落ち着いてるだけ」 「……」 「哺乳類や有袋類のレプリカが存在しなくて、昆虫……甲虫のレプリカばかり増産が進められているのは事実だよな。作りやすさで選ばれているとしたらつまり、レプリカを含むバイオディレクタを使った大掛かりな環境再生プロジェクトは―」 「―壮大な実験場の整備と利用に置き換えられるね。だって、ほんとに環境を良くしたいんなら、やれることは他に沢山あるもん。それもすぐ」  何百年後の地球に豊かな自然を残したい、というよりも。 自分達の技術で、どの程度自然を操作できるのかを試すためにレプリカが作られている。 ばかげてるよね、と溜息を吐いて、きみはひとみを回した。 「ほんとにばかげてる。だけどぼくたちの生活って、きっとこういう風にばかげたことで成り立ってるんだろうね。気付かないだけで」 気付かないように、隠されてるだけで。 「ふふっ、中等科のころに戻ったみたい。エギナル、ありがとね、話に付き合ってくれて」 「僕こそ」 「えっへへ。……あ、生物科って、いくつかに分かれてたよね。エギナルは三種?」 「僕はリンカ。四種だよ」  生物科は一種から四種に分かれている。  一種は植物、きみの言った三種は人間以外の生き物、主に鳥や虫をメインに研究している専攻だ。僕が所属する四種、生体倫理・科学分野―通称リンカ―は他に比べいっそうマイナーな専攻である。倫理と付いているように、人文学的な研究も多く行われている。  四種を選択しようと思ったのは、きみと話したあれこれがもとになっている、というのはあえて言わなかった。ぼくの影響だね、と得意そうにするのが目に浮かぶ。 「てっきり文学方面かなって。お互い、妥当な進路かな」 「生物科に進むとは自分でも思ってなかったよ。きみは確かに妥当だ」 「うん、機工、面白いよ。大変だけど、いつかモトラド市場を刷新するためにね、今からやれることはたくさんあるし」 「……お父さんを継ぐのか?」 「え、ぼくはぼくでやるよ? 父さまが関わったモトラドのデザインは軒並み垢抜けないからね。オシャレでスマートでエコロジーな機体を作りたいんだ」 「―すごいな。ちゃんと考えてて」 「ふふ。考えてるっていうか、小さい頃からモトラドはあるのが当たり前だったから。父さまの影響もあるんだろうけどね。それを抜きにしても、ぼくには機械いじりに向いた頭と手先がある」 「自信満々すぎて否定しづらい……あ、はい、フォーク」  きみが注文したポークソテーのセットが運ばれてきた。僕が頼んだあっさりしたスープもだ。このくらいなら胃にも負担がかからないだろう。  きみは手を拭くと、手の平サイズの白いケースのようなものを取り出した。側面のボタンを押すとスライド式で開き、鮮やかな色の錠剤が三粒転がり出る。 「いつ見てもすごい色だな、それ」 「おもちゃみたいだよねぇ。エギナルのは?」 「……帰ったら飲む」  きみはケース―自作した、携帯用メディカルボックスをポケットにしまいこんだ。小さい頃から続く背中の症状の進行を止める薬だと、何かの折に聞いたことがあった。  メディカルボックスは特区以外では全く普及していないらしく、学生都市内でその姿を見たことはない。このくらい大きな街には薬局も医者も多く、ボックスを通しても通さなくても、薬価があまり変わらないのが理由のようだった。  それでもきみは手遊び程度の労力で、この携帯型を制作して使っている。いわく、飲み忘れ防止と在庫管理と体調の記録のためだとか。お年寄り向けに売り出したら重宝されそうだ。  僕は僕で、胃腸の働きをサポートしてくれる薬を一種類だけ飲み続けている。進学してすぐの頃はもっと多かったけれど、こちらでの食事の仕方には、それなりに慣れたつもりだ。 「お腹すいちゃったな。それじゃあ、」  いただきます! ときみは声を張り上げて食べ始めた。よほど空腹だったのか、喋ることなく次々と、だけど丁寧に食べ物を口に詰めていく。僕は呆気にとられつつも、熱いスープをゆっくりと口に運んだ。 見ていて気持ちが良い食べ方とはこういうことを言うのか、と思いながら少しずつ温野菜をかじる。ドレッシングを断ったら添えられてきた塩は結局使わない。味するの、ときみが訊くので、人参は人参の味がする、と答えたら、何が面白かったのかきみは腹を抱えて笑った。  僕があと数個のじゃがいもを残すのみとなったあたりで、きみのデザートの梨のゼリーが運ばれてきた。本当によく入るな、と眺めていると―きみの手から、滑るようにスプーンが落っこちた。高い音が鳴って、近くの席の人の視線が一瞬こちらへ集中する。 「大丈夫か」  咄嗟にかがんで拾い上げる。きみは小さく返事をしたけれど、半端な中腰のまま動かずにいた。  通りかかった店員に新しいものと交換してもらう。きみはぎこちなく片手を上げて受け取り、何でもなかったようにゼリーに手を付け始めた。  だけど僕は、無視できない違和感を覚えていた。 きみが伸ばした手は、店員が居た側とは逆の手だ。しかも利き手とは反対の。 どうしてわざわざ、そんな風に手を伸ばす必要がある―それとも、利き手を伸ばせなかった理由があるのか? 「……今、からだの具合は良いのか」 「―うん?」 「さっきの薬といい、まだ治療は続けてるんだろ」 「そうだね、定期健診もあるし―」 「悪化してはいない?」  他の席には届かない囁き声で尋ねる。きみは一瞬動きを止めて、僕を上目遣いでそっと見やる。 「……エギナルはさ、リンカ、なんだよね」  返って来たのはどこか的外れな返事だった。そうだけど、と僕は頷く。 リンカ。生物科四種、生体倫理・科学の略称。これも何かの略称らしいけど、入学式以降正式名を聞いていないし忘れてしまった。その名前の曖昧さは中身の曖昧さにも直結していて、要するに生物に関することなら雑多になんでもやってしまえ、という非常に緩い分野でもある。 「そうだよ。担当教授は機工出身だけど、リンカ」  肝心の生命倫理を専門的に研究しているのは准教授一人しかいない。 「実験とか解剖処理の演習もするの?」 「食い物の前でその話ができるのはすごいぞ……?」 「あっ」 「いいけどね。実験……解剖なら。バーチャルでだけど」  貴重な本物の動植物を、何匹何体も解剖に使えるわけがない。かと言ってレプリカ生体を使うこともできないので、特殊な画像処理がされたバーチャル生体と本物の道具を使った演習があった。  きみはゼリーも食べ終わって、スプーンを置く。 「じゃ、見せてもだいじょうぶだね。見といたほうがいい」 「―何を」 「ちょっとだけ、時間ある?」
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