2-14

1/5
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ

2-14

 展示会の二人分のチケットを持ったか何度も確認して、いくつかの交通機関を乗り継いで。降りた駅は潮風の届く、これまで通ってきた駅の中で一番大きい。  手書きの洒落た看板に出迎えられて、僕はきみに続いて改札を抜ける。スーツ姿で足早に人並みをすり抜けていく男性や談笑しながら駅ビルに向かう女性の二人組。学生はゲームセンターにでも行くのか、お揃いのキーホルダーを付けたカバンを提げて走っていく。とにかく色んな人が入り乱れているという印象だ。僕の町なんか、通勤通学ラッシュの時間以外は駅に人がいる方が珍しい。  転校したてのきみの雰囲気を思いだす。雑多なものが入り交じって調和しているような、同じものはひとつもないような。その正体はこれかと妙に納得する。そういえばきみが使っていた文房具はこの町で作っているものだと言っていた。なるほど、小洒落ていたわけだ。  南口と書かれた看板が下がるらせん状の階段をリズミカルに降りていく。階段の壁に貼られた広告に、しきりに野菜に写真が出てくるのを不思議に思ったけれど、こうした珍しい野菜が特産なのだという。甘味の強い人参や根っこまで食べられてしまう葉もの。値段は張るが、海外でも人気が高いらしい。 「母さま、ここのお野菜で父さまが作ったお鍋が一番おいしいって言ってたんだ」 「きみも?」 「ぼくは野菜よりお肉とお魚がいいなぁ」  階段を下りきると、そこは駅前に長く伸びるアーケードの入口だった。しかしきみはそこから逸れて、細い横道を入る。  僕の手を引くきみの手は、子供のようにあたたかい。 「こっちね、近道」  水色のポリバケツや黒いゴミ袋を蹴っ飛ばさないようにしながら、薄汚れた裏路地を行く。そこを過ぎれば、視界がぱっと明るくなって―じめじめした土の匂いが、潮の香りに変わった。 「あとはここを真っすぐなんだ」  夏休みだからか、歩行者の中には家族連れや初等科らしき子たちの集団が多いような気がした。道沿いにある店にも「休日大特価」と書かれたビラが貼ってある。僕らと同じ方向に進む人も多い。  歩行者用の道路は白い石でできていて、強くなってきた日差しの照り返しが眩しかった。帽子をかぶっている僕はともかく、きみは小さいタオルをかぶったりあおいだり大変そうだ。 「帽子貸そうか? 暑いだろ」 「え? ううん、エギナルがかぶっててよ」  大丈夫だから、とは言うけれど、それが本当なのか我慢なのか分かりにくいのがきみの厄介なところだ。もう少し大きいタオルや日傘があれば良かったんだろうけど― 「良いから。フードもあるし」  きみの頭にちょっと強引に帽子をのせた。このくらいしないと、なにがなんでも断られてしまいそうだったし。 「あー……ありが、とう……?」 「どういたしまして。……って、あれ」  きみの服の雰囲気が普段とは違っている。勉強するでも機械いじりをするわけでもないからだろうけれど、そうか。ざっくり編まれたカーディガンの下に着ているのは、あの夜に買ったワンピースだ。 「せっかくのお出かけだから着てみたの。すっごい海っぽくない?」 「ぽいね。似合う」  僕の言葉に、きみはこてりと首をかしげる。それから消え入りそうな声で「ありがとう」ともごもご言った。 「エギナルはいつも地……シンプルな服装だよね」 「地味で合ってるよ。この前ユリクトにも言われた」 「あはは。仲良しでいいねえ」 「そうかな。最近じゃテイの良い財布扱いだ」 「きょうだいに優しいお兄ちゃんだね」 「そうかなあ」 「ふうん? でもさ、服装なんて自分をだますものなんだから」 「うん?」  信号のない横断歩道で行儀良く左右を見、白線だけを踏んで渡るきみ。晴天の下、髪の毛がより黄金色っぽく見える。 「だますっていうの、聞こえが悪いんならごまかすって言おうか。なりたい私を演出するんだ。全身をスーツで包む、優しそうな色の服にしてみる、ゴツゴツした飾りがいっぱいついた腕輪や首輪とかをはめる。人格がどうであれ、見た目でぼくたちはそのごまかしに乗ってしまう。服の上からじゃ、誰も異常さに気付かない」 「防衛手段でもあるのかな。見られたくない本性を隠す」 「かもね。悪いことばっかりじゃないんだと思うよ? そうじゃなかったら毎年違う洋服が売れたりしないもの。色んな資源を無駄にしてね」 「確かに。……誤魔化されるのも悪くはないってことか。化けの皮が途中で剥がれなかったら、誤魔化す方と誤魔化される方、どちらのメリットにもなる」 「化けの皮って言い方も相当だよ」 「騙すんなら剥がれるのは前提じゃないのか?」 「ぼくも? エギナルも?」  前を行く集団に追いついてしまった。ゆったりと歩いているのは人数が多いからか、老若男女が入り混じっているからなのか。老夫婦の後ろで立ち止まって、きみは僕を見上げる。 「誤魔化しきれてるかな。それとももう剥がれちゃってるかな」  見られたくない自分を誤魔化すのか、他人から向けられる視線を誤魔化すのか。結果は同じでもニュアンスは違っている。僕は後者が良いけれど、きみはどうだろう。 「どうせ剥がれるなら、皮なんて不気味なのより金メッキが良いなぁ」  再び歩き出すと、きみの手が僕のものにこつりと当たった。 「それで多くの人に幸せを分けてあげるんだ。お話あるでしょ? 立派な像の王子さまと、鳥の」 「童話のね」  きみが選んだ呼称はピーター。永遠の国の住人の名前。 「小さい頃に読まなかったぶん、今はけっこう読んでるんだ。短くて読みやすいしね。寓話っていうの? 単純で難解で。教訓も―」  人波に押されてきみはよろめく。咄嗟に肩を抱きとめると、小さく息を詰めた。 「少し休むか」 「ううん、平気」 「無理するなよ」  きみはまた笑って誤魔化そうとする。誤魔化しはとっくに僕には利かなくて、金メッキも剥がれているのに。それとも羽根とは違って、メッキは剥がれても痛まないだろうか。 「無理じゃないよ」 「本当に?」 「……」 「…………」 「……ちょっとウソ。触られると痛いな」 「ほら」  きみの肩に掛けられたバッグを移す。僕の荷物だって大してあるわけでもない。 「いっいいよ、それくらい持てるよ。不意打ちっぽくなかったら痛くないし。普通に動かすだけなら」 「不意は不意だから不意なんだろ。何かあってからじゃ遅い」  意味を読み取れなかったのか―僕も変な言い方になった気がする―きみは目を丸くして、不機嫌そうに頷く。 「でも、勝手に中身見たりしたらただじゃおかないからね。せいぜい夜道には気を付けるんだよ?」 「物騒極まりないな」 「あはははっ」  僕の手にまた、きみの手がぶつかる。  ぶつかって、離れない。 「人がたくさんだからね。はぐれちゃいけないね」 「……あぁ」  はぐれないように、ただ離れないようにするだけ。  およそ外気と変わらない体温に、他の意図はなかった。
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!