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「エギナル君はお休みの日に何してるの」
思わぬ人からの思わぬ質問に、何を問われているのか一瞬理解が追いつかなかった。「見ての通り、バイトです」と応えると、シフトリーダーからやや強めにどつかれた。……なんでだろう。
「それは見れば分かるのよ。そーじゃなくって、もっと楽しくてキラキラしたことをお聞きしたかったんですけども」
「そうですか……」
天井を仰いで、何か言えることはあるだろうかと考える。趣味にいそしんで、課題をやって、たまに仲が良い同期と映画を見たり買い物をしたりして、アルバイトをして。だけどそのまま答えてもまたどつかれるだけだ。
シフトリーダーは、かたちの良い眉をきゅっと上げてこちらを睨んでいる。後ろで一つ結びにした長い髪の毛も相まって、ドキュメント映画で見る小動物みたいだな、と思ったけれど、あまりに失礼なので口には出さない。
「普通? に過ごしすぎてて話せることなんてないんですけど、あの。……何かあったんですか」
「えぇー? なんもかんもないってー」
と言いつつ、端々から何かあることが漂ってくる言い方だった。彼女にばれないように、店内をそっと見渡す。休日の昼下がりはわりあい混んでいるのが常だけれど、今日はどうやら客足が伸びないみたいだ。
学生都市内にある書店の中でも、ここはより専門的な書籍を扱う店だ。使い勝手やコストなどの理由で昔ながらの形式をとっている本を、幅広く取り揃えている。
環境への配慮によって、書籍の電子化が急速に進んだのは僕が高等部に上がった頃のこと。古書はともかく、新書は八割がた電子化されているとか。間伐材を利用した本も一時期は大量にあったらしいけど、そういった資源はより実用的で優先度が高いものへ回されるようになった。
紙製の本は一部の人間の嗜好品だ。そんな状況だから、専門書や実物大の図録を取り扱う書店ばかりになってきたのは当然なのかもしれない。古書は簡単に手が出せる値段ではないし、アルバイトの募集もほぼない。
レジ横のモニターで注文品のリストを確認してから、形だけでも訊いてみることにした。これもコミュニケーションだ。
「……話、少しなら聞きますよ」
「ほんと! エギナル君!」
「はい」
不本意ながら、と付けるのは心の中だけにしておく。
「じつはね」
「はい」
「昨日振られちゃったの」
「……はい?」
予想の斜め上をいく言葉に思わずまばたきすると、彼女はきつく目を細めた。
「別れましょうって、恋人から言われちゃったの! ご愁傷さまなのよ、わたし」
「仲が悪かったんですか」
「んーん、普通だったと思うよー。だけどねぇ」
無料のしおりの補充をしつつ彼女は溜め息をつく。
「おれのこと気にしてないでしょ、って。関心なさそうだよねって言われてね……我ながら、ドラマみたいな振られ方だなーって感心しちゃってさ。涙も出なかったや」
「……心当たりは」
「あのねえー、そんなん訊いちゃだめでしょ」
結局どつかれた。
「あはは……まぁね。わりかし的確かなって、ぐっさり刺さったよ。……勉強もバイトも頑張りたいしさ? 資格の勉強してー、他にも色々してー、余裕がなくなっちゃってたんだろうねえ」
「他人事みたいに言うんですね……」
「ね。―だから、そうなんだと思う。別れて良かったんだ」
「……人間のコミュニケーションって難しいですよね」
「えぇ? なーにそのフシギな感想! あっははは、エギナル君、意外と面白いんだねぇ」
喋ったらすっきりした、と彼女は目元を拭う仕草をした。
「そんでさ! ひとの楽しい話を聞いて気持ち切り替えよーって思ったの! ねえエギナル君、お休みの日は何してるの? 楽しい話をしようよ、今日はお客さんも少ないし」
「……勉強と趣味とバイトとって、普通なんですけど。……最近、仲が良かった友達とよく会って、話したりしてますよ。これも楽しい話に入ります?」
「え! 入るよ全然入る! 良かったねえエギナル君!」
良かったねえ、と彼女は何度も繰り返す。
「たまたま学校も同じで。学科は違うんですけど。それで……一緒に出掛けたり食事したりして、そういうのって嬉しいですよね」
「だね。エギナル君、そのお友達、大切にしなくちゃだよ」
「……そうですね」
「友達も、恋人も、できたら学業もプライベートも大切にしないと」
「……」
この人、本当にすっきりしたんだろうか。
けっこうな未練を感じなくもないけれど、こんなときにどんな声をかけたら良いのか皆目見当もつかなかった。
恋人がいることもいたこともなし。その場凌ぎの言葉しか思い付かないのであれば、黙ったままの方が良いのかもしれない。押しつけがましい善意ほど、悪意に変わるものはないだろうから。
ひとの善意は難しい。客観的な善意なんてものは存在しないからだろうか。
自分がしてもらったことは嬉しい、他の誰かにもしてあげたい。その思いの循環が善意なのだとしたら、どこまでもそれは主観的なものであり続ける。善意を好意と言い換えても良いんだろうけど。
機械とは違う、人間だから―生き物だからこその好意。
気持ちを傾けるひとができたとして。僕の好意はどんなふうに廻るのだろう。
なんて考えているうちにリーダーはバックへ引っ込んでしまい、長めの列になった客を一人でさばくことになってしまった。ラッピングやカバー巻きは未だに苦手だ。特定の行事がなくても、本は贈り物として重宝されている。
ようやく捌ききった、と一息ついたときだった。
無遠慮にも、どさどさとカウンターに何冊ものぶ厚い専門書が積み上げられる。
ちょっと待て休憩させてくれ、と目を上げると、
「よろしくお願いします、店員さん!」
あちこちが黒く汚れた作業用ジャケットを着たきみが、にっこり立っていた。
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