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基本、他人のケンカなんて放っておけばいいというのが俺のスタンスだ。
昔からケンカは強いほうじゃなかったし、痛い目にあうのもあわせるのも嫌だ。なにより、俺という人間は自他共に認める「事なかれ主義」なのだ。
そんな俺が、自分から他人のケンカに割り込んでいくはずがない。
でも「ひとり対複数」となると話は別だ。だって、さすがに卑怯じゃん。ケンカは、やっぱり「ひとり対ひとり」じゃないと。
だから、俺は下のフロアまで下りていった。できるだけ穏便に、助け船を出すつもりで。
ただ、俺が想定していたのは、あくまで複数の女子に囲まれている「女子生徒」もしくは「気弱そうな男子生徒」の構図だ。
まさか、オラつかれているのが、俺より背が高くてふてぶてしい「元カレ」だなんて思うはずがないだろ。
(やばい、どうしよう)
さすがに、あそこに乗り込む気にはなれない。
これまで聞こえてきたいくつかの罵倒から推察すると、たぶんあの女子集団のうちの誰かが青野に告白をしたんだろう。で、断られて、仲間に泣きついた。納得できない仲間たちは、青野を呼び出して取り囲んだ──ってのが、たぶん今の状況だ。じゃないと、俺の名前が出てくるわけがないし。
(うん、まずい)
これは、絶対に俺が出ていっちゃダメなパターンだ。
つーか盗み聞きしているのがバレただけで、間違いなくボコボコにされる。実際は聞きたくて聞いたわけじゃないから、すげー理不尽って感じだけど。
(よし、戻ろう)
今のは見なかったことにしよう。
大丈夫、青野ならきっとひとりで乗り切れる! 彼女たちよりも背が高いし、がたいもいいし、けっこうふてぶてしいところがあるし……
「あのさぁ、由芽は『お試し』でいいとまで言ってんだよ?」
金髪ロングの女子が、隣にいたボブカットの肩を抱いた。
「べつにさ、今は、由芽のこと好きじゃなくてもいいんだって。とりあえずお試しで付き合ってさ、ちょっと、なんか……いろいろヤッてみればいいじゃん」
え、「ヤル」って何を?
まさか……まさかの?
世の中の多くの青少年が抱くだろう疑問を、青野も持ったらしい。
青野が何かを訊ね、それに対して金髪ロングが「だからさぁ」と苛立ったように声を荒げた。
「『いろいろ』は『いろいろ』じゃん! そこまで言わなくてもわかるでしょ、星井と付き合ってたんだから!」
「ほんとそれ!」
「鈍いフリすんな!」
うっ、見事な3倍返し。
これには、さすがの青野も口をつぐんでしまった。
がんばれ青野。負けるな青野。
でもごめん、何もできそうにない俺はこのまま退散するってことで──
「つーか、あんた星井ともそんな感じだったんでしょ。あいつに食われて、それで好きになったって聞いたけど」
階段を下りかけていた足を、俺は再び元に戻した。
(え……なに今の)
お前が、こっちの俺を好きになったのってそういう理由?
たしかに、めちゃくちゃアプローチをかけていたとは聞いていたけど、決め手は「そっち」? 内面的な何か、とかじゃなくて?
じゃあ、何? お前が未練あるのって「俺の身体」?
たしかに俺と別れたあと「煩悩退散」って瞑想してたけど……俺をおんぶしたとき首筋まで真っ赤になってたけど……
そんな俺の混乱は、壁を殴るような音に遮られた。
「いい加減にしてください! そんなわけないでしょう!」
初めて、青野の声が俺のところまで届いた。
「俺があの人と付き合ったのは、あの人を好きになったからです! だから交際を了承したんです! 勝手に順番を変えないでください!」
青野の本気の憤りは、俺のちっぽけな不信をいともたやすく一掃した。
そっか……そうだよな!
お前、意外と俺のこと好きだもんな!
もちろん、それが「こっちの世界の俺」のことだってのはわかってる。
でも、嬉しかった。今すぐ頭をワシャワシャしてやりたかった。
よく言った、エラいぞ青野!
けど、感激したのは、盗み聞きしていた俺だけだったらしい。
「はぁっ!?」
「そんなの聞いてないし!」
「つーか惚気かよ!」
「由芽の気持ち考えなよ!」
すさまじい4倍返しをくらって、青野は今度こそ後ずさった。
壁にぶつけたままだった拳が、困惑したように宙をさまよう「いや」「けど」と唇が動いているけれど、勢いづいた女子の集団にはなんの効果もなさそうだ。
(ああ、くそ!)
今、出て行ったら絶対に火に油を注ぐことになる──頭ではわかっていたくせに、気づいたら俺は足を踏み出していた。
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