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そうだ、たしかに俺は嘘をついたんだった。あのあと繰り広げられた「由芽ちゃん劇場」のせいで、すっかり頭から消えていたけれど。
「え、ええと……そのうち忘れてくれるんじゃね?」
「証人が8人もいてですか」
げっ、そんなにいたっけ。
「たぶんあっという間に広まりますよ。前回もそうでしたし」
「ああ、俺らが別れたとき?」
「それもですけど、前回あんたが嘘をついたときです」
──うん? 嘘?
「あのときも、あっという間に広まったじゃないですか。俺があんたにキスされたこととか、あんたの一方的な交際宣言とか」
「あ、ああ……!」
そういえば、八尾から聞いたエピソードのなかにそんなものがあったっけ。
「ええと……アレだよな? お前がすげー可愛い子に告られて、焦った俺が『青野は俺と付き合うから近づくな』って叫んで、お前に無理矢理キスしたっていう……」
「いえ、正確には『俺が唾つけたから青野には近づくな』でしたね」
「唾!?」
「そうです、唾です。──忘れたんですか?」
「い、いや! たった今、思い出した! そういえば言ったよな、そんなこと」
アハハと笑って誤魔化したけど、内心冷や汗ダラダラだ。
くそ、なんだよ「唾つけた」って。小学生かよ、こっちの世界の俺。
舌打ちしかけたところで、青野がジッとこっちを見ていることに気がついた。
え、なに? まだなにか不審点でも?
「今回はつけてくれないんですね」
「なにを?」
「唾です」
──ハイ?
「前回は強引に唾つけたくせに、この差はいったい……」
「そ、そんなのどうだっていいだろ! つーか『唾』って言い方やめろ!」
「は? あんたが言ったことでしょう」
「そうだけど、それはあくまで過去の話であって……」
そこまで反論したところで気がついた。さっきから、俺の唇に青野の吐息がかかっていることに。
え、どうした? お前、いつのまにこんなに俺に近づいてた?
「夏樹さん」
「ハ、ハイ……」
「どうします、これから」
え、ええと……それは「嘘をついたこと」についてだよな?
今後どうやって誤解を解くか、とかそういう話だよな?
なのに、青野はどんどん顔を近づけてくる。
待て待て、これって……これって、まさか……
「どうもしないっての!」
力いっぱい叫ぶと、俺は青野の身体を突き飛ばした。
やばいやばい、本当にやばい!
唇周辺に、まだあいつの吐息がまとわりついている気がする。
それに、あの緑色の目。甘くとろけるような眼差しが、脳みそにこびりついたみたいに消えてくれない。
脱兎のごとく逃げ出した俺は、そのとき青野がどんな表情をしていたのか知らない。
知っていたら、きっと心臓が爆発していたに違いないのだけれど。
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