第1話

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 しばらくの間、俺はただただその場に立ち尽くしていた。  右手に残る、嫌な感触。人を殴ったのなんていつ以来だろう。たぶん、小学生のころ──ナナセと大喧嘩の末、つい手をあげちまって、両親にめちゃくちゃ怒られたとき以来だ。  わかんね。俺、なんで青野のこと殴っちまったんだろう。  「尻軽クソビッチ」なんてひどいこと言われたから?  でも、ここまでひどくないにしても「軽薄そう」「いい加減そう」みたいなことは、俺、わりと言われるんだよな。 (うん、初めてじゃない)  それというのも俺の明るい髪色のせい。  こっちの世界ではなぜか金髪だけど、昨日までいた世界でも俺はずっと明るめの茶髪だった。これは赤ちゃんのころからそうで、父方のじいちゃん譲りの、いわゆる隔世(かくせい)()(でん)ってやつだ。  なのに、中学生くらいまではたびたび「不真面目なやつ」みたいな扱いを受けてきた。  ほら、よくあるじゃん。教室の備品が壊されたり盗まれたりしても、犯人が名乗りでないこと。そんなとき、真っ先に疑われていたのが俺。「だって、あいつならやりそうじゃん」って、見た目の印象だけで決めつけられたりしてさ。  こういうことは恋愛絡みでもそこそこあって「お前ってふたまたかけていそう」とか「付き合った女の子をすぐにポイ捨てしそう」とか、たびたび言われたりもした。ひどいよな、ただ髪色が明るいってだけなのに。  高校では、俺以外にも茶髪が増えたおかげで、そこまで悪目立ちすることはなくなった。ただ、やっぱり「軽いやつ」って印象は変わらないみたいで「お前、見た目によらずに真面目なんだなー」なんて笑われたりして。  ぶっちゃけ、それってけっこう失礼だよな。こっちとしては少なからず傷つくし。  でも、そう言ってくれるやつはまだマシなんだ。だって、絶対に認めてくれないやつらもいるから。たとえば、俺がまじめに日直やってると「らしくねーな」とか「えーなんのアピール?」ってからかってくるやつ。  まあ、俺もちょっとふざけた感じで「えーギャップ狙い?」とか返すから、ダメなんだろうけどさ。  チャイムが鳴った。5時間目開始5分前。  仕方なく俺は、旧視聴覚室をあとにした。廊下に出るとき、ちょっとビビったけど、幸い青野の姿はなかった。  ホッとすると同時に、また罪悪感が沸き起こる。  あいつ、ちゃんと顔を冷やしてるかな。やっぱり殴ったのはやりすぎだったよな。  ほんとごめん。あとでナナセに連絡先を聞いて、謝ろう。  そんなことを考えながら、重たい足取りで階段を下りてゆく。  5時間目は古文だ。苦手な科目ということもあって、授業中はしょっちゅう眠たくなる。けど、がんばってちゃんと聞かないと。受験予定の大学、古文が必須だし。  職員室の前を過ぎ、教室棟にさしかかったところで女子数人とすれ違った。上履きのラインが赤──1年生だ。 「もうさ、今日こそ絶対許さないから!」 「ああ、放課後の?」 「そう! 今日サボったら3日連続じゃん!」 「あいつら、清掃当番をなんだと思ってんだろうねー」  あ、と思わず足を止めた。  青野の顔が、脳裏をよぎったから。  そうだ、思い出した。俺、以前、青野に──
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