150人が本棚に入れています
本棚に追加
/191ページ
外はすでに薄暗く、ポツポツと点る街灯がアスファルトを照らしていた。といってもまだ完全に日が落ちたわけじゃないので、そのあかりもどこかまだ弱々しい。
「夏樹さん」
「なんだよ!」
「せっかくだから手をつなぎませんか。一方的に引っ張られるのは、俺的にはちょっと……」
「知らねーよ、そんなの!」
つーか、腕を掴んだままだったの忘れてたよ!
ありがとな、思い出させてくれて!
というわけで、遠慮なく俺は青野の左腕を手放した。
「面倒くさい人だな」
青野は、不満そうに自分の腕をさすっている。
「素直に手をつなげばいいものを」
「つながねーよ、なんでだよ!」
「誰かが見ているかもしれないでしょう。それこそ、先日の『卒業女』の取り巻きとか」
「うっ……」
それは困る。特に金髪ロングに見られたら、何をされるかわかったもんじゃねぇ。
「ほら、つなぎましょう。手」
「……」
「大丈夫です。どうせ誰も見ていやしません」
だったらつなぐ意味がないのでは、と普段の俺なら返せたはずだ。
でも、今の俺はたぶんちょっとおかしい。
だから、つい──青野の申し出に応じてしまった。
「……うわ」
「えっ、なんだよ」
「夏樹さん、手かさついてますね。ヤバくないですか?」
「そんなのどうだっていいだろ!」
「ちゃんとケアしたほうがいいですよ。手荒れは細菌感染につながりますから」
そのかさついた手も、しばらくするとしっとりしてくる。たぶん、俺の手汗のせい。へんだな、俺そんな汗っかきじゃないのに。
「で、八尾さんとは何を?」
またその話かよ。
「ふつうに見舞っておしゃべりしてただけだよ。ちょっと相談事があったし」
「相談? なんの?」
「──将来のこと」
いちおう、嘘はついていない。俺が元の世界に戻れるかどうかって「将来」に関わることでもあるし。
そんな言い訳じみた思いが伝わったのか、青野はわずかに目を細めた。
周囲が薄暗いせいか、瞳の色はいつもより黒っぽかった。元いた世界の青野のことが、ふっとよぎってすぐに消えていく。
「うぬぼれていました」
「……え?」
「八尾さんへの相談……俺のことだとばかり。俺に聞かれたくない内容みたいでしたし」
でも違ったんですね、と青野は自嘲気味につぶやいた。
いや、間違ってねぇけど──との言葉は、悩んだ末に飲み込んだ。そんなのバカ正直に伝えるのは、やっぱりどう考えたって気恥ずかしい。
青野の手から、少し力が抜けた。
「八尾さんがうらやましい」
「は? なんでだよ」
「あんたの相談相手になれるから。将来のことなら、俺でも話を聞けるのに」
「いや、お前に話すのは……」
「どうしてですか。俺が年下だからですか?」
「そうじゃねぇよ」
「じゃあ、どうして」
そんなの決まってる。
(お前が、俺の言い分を信じてくれなかったからだよ)
俺がパラレルワールドから来たってこと、お前は嘘だって決めつけた。
信じてくれたのは八尾だけだった。
だから、八尾にしか相談できない。
でも、俺だって本当は……
「お前に相談したかったけどな」
口にするつもりのなかった言葉。
それがうっかりこぼれたと気がついたのは、あいつが「え……」と声を洩らしたあとだった。
「あ、いや……」
「夏樹さん、今の……」
「知らない! なんでもない! じゃあな!」
「えっ、ちょっと!」
青野の手を強く振り切ると、俺は勢いのまま駆けだした。
背後で、青野が俺を呼んでいた。けど、振り返るなんてできっこない。
ああ、くそ! なんだよ、なんであんなこと言っちまったんだよ!
デカめの交差点の歩行者用信号が、早く渡れとばかりに点滅している。そこを強引に突っ切ってもなお、俺は駅まで走り続けた。
今の、いたたまれない顔をしているだろう俺を、青野の目にさらさずに済むように。
最初のコメントを投稿しよう!