第6話

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 外はすでに薄暗く、ポツポツと点る街灯がアスファルトを照らしていた。といってもまだ完全に日が落ちたわけじゃないので、そのあかりもどこかまだ弱々しい。 「夏樹さん」 「なんだよ!」 「せっかくだから手をつなぎませんか。一方的に引っ張られるのは、俺的にはちょっと……」 「知らねーよ、そんなの!」  つーか、腕を掴んだままだったの忘れてたよ!  ありがとな、思い出させてくれて!  というわけで、遠慮なく俺は青野の左腕を手放した。 「面倒くさい人だな」  青野は、不満そうに自分の腕をさすっている。 「素直に手をつなげばいいものを」 「つながねーよ、なんでだよ!」 「誰かが見ているかもしれないでしょう。それこそ、先日の『卒業女』の取り巻きとか」 「うっ……」  それは困る。特に金髪ロングに見られたら、何をされるかわかったもんじゃねぇ。 「ほら、つなぎましょう。手」 「……」 「大丈夫です。どうせ誰も見ていやしません」  だったらつなぐ意味がないのでは、と普段の俺なら返せたはずだ。  でも、今の俺はたぶんちょっとおかしい。  だから、つい──青野の申し出に応じてしまった。 「……うわ」 「えっ、なんだよ」 「夏樹さん、手かさついてますね。ヤバくないですか?」 「そんなのどうだっていいだろ!」 「ちゃんとケアしたほうがいいですよ。手荒れは細菌感染につながりますから」  そのかさついた手も、しばらくするとしっとりしてくる。たぶん、俺の手汗のせい。へんだな、俺そんな汗っかきじゃないのに。 「で、八尾さんとは何を?」  またその話かよ。 「ふつうに見舞っておしゃべりしてただけだよ。ちょっと相談事があったし」 「相談? なんの?」 「──将来のこと」  いちおう、嘘はついていない。俺が元の世界に戻れるかどうかって「将来」に関わることでもあるし。  そんな言い訳じみた思いが伝わったのか、青野はわずかに目を細めた。  周囲が薄暗いせいか、瞳の色はいつもより黒っぽかった。元いた世界の青野のことが、ふっとよぎってすぐに消えていく。 「うぬぼれていました」 「……え?」 「八尾さんへの相談……俺のことだとばかり。俺に聞かれたくない内容みたいでしたし」  でも違ったんですね、と青野は()(ちょう)気味につぶやいた。  いや、間違ってねぇけど──との言葉は、悩んだ末に飲み込んだ。そんなのバカ正直に伝えるのは、やっぱりどう考えたって気恥ずかしい。  青野の手から、少し力が抜けた。 「八尾さんがうらやましい」 「は? なんでだよ」 「あんたの相談相手になれるから。将来のことなら、俺でも話を聞けるのに」 「いや、お前に話すのは……」 「どうしてですか。俺が年下だからですか?」 「そうじゃねぇよ」 「じゃあ、どうして」  そんなの決まってる。 (お前が、俺の言い分を信じてくれなかったからだよ)  俺がパラレルワールドから来たってこと、お前は嘘だって決めつけた。  信じてくれたのは八尾だけだった。  だから、八尾にしか相談できない。  でも、俺だって本当は…… 「お前に相談したかったけどな」  口にするつもりのなかった言葉。  それがうっかりこぼれたと気がついたのは、あいつが「え……」と声を洩らしたあとだった。 「あ、いや……」 「夏樹さん、今の……」 「知らない! なんでもない! じゃあな!」 「えっ、ちょっと!」  青野の手を強く振り切ると、俺は勢いのまま駆けだした。  背後で、青野が俺を呼んでいた。けど、振り返るなんてできっこない。  ああ、くそ! なんだよ、なんであんなこと言っちまったんだよ!  デカめの交差点の歩行者用信号が、早く渡れとばかりに点滅している。そこを強引に突っ切ってもなお、俺は駅まで走り続けた。  今の、いたたまれない顔をしているだろう俺を、青野の目にさらさずに済むように。
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