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第1話
「はぁ……はぁ……はぁ……」
弾む息を整える間もなく、俺は旧視聴覚室のドアを開ける。
やばい、心臓が破裂しそう。
とりあえず水──と言いたいところだけれど、そんなもの持ってきているわけがない。だって、必死だったんだ。「あいつ」から逃げなくちゃって。
「ワケ……わかんねぇ……」
なんでこうなった?
俺が何をした?
知らない。俺は何もしていない。
ただ、今朝目がさめたら、世界が一変──ってほどじゃないけど、なんか微妙にいろいろおかしくなっていて、しかも俺は、妹の彼氏と──
バンッと乱暴にドアが開いて、俺は文字どおり飛びあがった。
「やっぱりここですか」
なんで? なんでお前、俺がここにいるって知ってんの?
動揺しすぎて身体が動かない。頭のなかでは、もうひとりの自分が「逃げろ」って必死に声をあげているのに。
「『なんで』って? そんなの、夏樹さんがこの場所を俺に教えたからでしょう」
そいつ──青野行春は、ネクタイを緩めながらゆらりと俺に近づいてきた。
「忘れたとは言わせませんよ。まだ付き合ったばかりの頃『ここは穴場だから』って俺を連れ込んで、あれやこれや手取り足取り教え込んで」
「ひっ……」
教えるって何!?
俺が!? 青野に何を!?
「わかった、勉強──勉強を教えたんだよな!?」
「そうですね、あのときも、夏樹さん『勉強』って言ってましたよね。それで、まんまと俺は不純異性交遊ならぬ不純同性交遊をたたき込まれたわけですが」
嘘だ、そんなことするはずがない!
妹の彼氏に、俺がそんなこと──
「いつまでもとぼけてんじゃねーよ!」
ガッと背後のロッカーが震えた。青野が、拳をたたきつけたせいだ。
「今度は何ですか。また浮気ですか? 相手は女? 男? それを誤魔化すために『記憶喪失のフリ』ですか、下手くそが!」
違う、そうじゃない! 本当に心当たりがないんだ!
朝、目が覚めたら世界が一変──ってほどじゃないけど、微妙におかしなことになっていて。俺のよく知る人たちが、昨日までとは微妙に違う「誰か」になっていて。交友関係も一部おかしなことになっていて。
やっぱり、これは夢だ。
それか異世界──パラレルワールド。俺がよく知る世界とそっくりの、でも実はまったく別の世界なんだ!
だって、そうじゃなければ説明がつかないだろ。俺が「妹の彼氏」と付き合ってるだなんて。
「頼む青野、俺の話を聞いてくれ!」
お前が、本当に俺の「彼氏」だって主張するなら、まずは俺の言い分を聞いてくれよ。
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