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「なんだよそれ。歩、悪くねーじゃん。それなのに、どうしてこんな……」
言いかけて、急に舌が縫い止められたみたいになった。話したいことはたくさんあるのに、言葉が出てこない。
歩はそんな俺をいちべつして、普段の気やすさで窓の外を指さした。
「翔平、見ろよ。『卒業』の文字がもう完成間近だぞ。あれ、撮っておかなくていいのか?」
先輩たちがつくり上げた校庭のサンドアート。いつの間にか作業が進み、文字の輪郭がはっきり浮かんでいた。『❀』のマークは、本物の桜のようにピンク色で彩るらしい。わずかに赤みを帯びた光の中、春に先駆け、大きなつぼみがほころびはじめていた。
歩は、俺のかわりにデジカメを手にとると、作業途中のグラウンドの写真を一枚撮った。
「すごいな。こんなふうに変わるんだ」
そう言って、今撮ったばかりの写真と、すでに撮影済みのデータを見比べながら目を細める。歩は、今度はちゃんと笑っていた。
変わる、という彼の一言が、俺に何かを思い起こさせた。
かつてミーターが俺に問いかけた言葉だ。
古典の授業中、先生の代わりに教壇に立ったミーター。
ーーアユムは、〝変化〟を嫌っているのでしょうか?
分かった。今やっと答えが見つかった。
歩が変化を嫌った理由。
それは、過去に他人の言葉ひとつで〝糸尾歩〟という存在を、簡単に捻じ曲げられてしまったからだ。
本当の自分じゃない何かが、ひとり歩きする恐怖を味わったから。
歩は〝アユミ〟という名の中に自身の片鱗を託しつつ、機械を選ぶことで、揺るがない自己を保とうとした。『AQUA Utopia 』の中で。
方向性は多少違うけれど、俺も歩も、現実から離れてユートピアに自分を存在させたかっただけなのだ。
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