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02.クロのシャンプータイム
自宅に戻り、玄関でクロの足を濡れた雑巾で拭いてから家に上がる。クロはさっき店主からもらった鶏のササミが待ちきれないらしく、ササミが入ったビニール袋に鼻を近づけて匂いを嗅いでいる。麻薬捜査犬は密封された袋から麻薬の臭いを嗅ぎ分けるから、クロも肉の臭いが分かるのかもしれない。
犬用の食器にササミを移してあげると、クロは一切れずつ大事そうに食べ始めた。餌を与えた瞬間にガツガツ食べ始めて一瞬で皿が空になる映像をテレビ番組ではよく見るが、あれは飲み込んでいるだけだろう。対してクロは、一人切れずつ味わって食べているようにも見える。クロの性格もあると思うが、子犬の頃から横取りされる心配のない環境などで育ったからだろう。
特に見たい番組はなかったが、テレビの電源を付けて、お弁当と冷蔵庫から出したペットボトルのお茶をテーブルに並べた。おかずの容器からは、一般的な唐揚げの2倍くらいの大きな唐揚げがはみ出していて、容器の蓋は全く閉じられていない。落ちないように輪ゴムで括って乗っけているだけで、ほとんど蓋の役目を果たしていない。からあげは醤油ベースの味が、しっかり肉に染みているので飯が進む。俺が育った北海道では鶏の唐揚げのことを『ザンギ』と呼ぶが、呼び方だけでなく、味も東京で食べる鶏の唐揚げとは少し違う気がする。気になってネットで調べたことがあるが、特に違いは無いらしい。それでも俺の感覚ではザンギの方は衣が厚くて味が濃い気がする。
『12月1日水曜日、お昼のニュースです。NASAの公式ウェブページによると、12月5日の日曜日にこれまで未観測だった小惑星が、地球から約60,000kmの位置を通過することが判明しました。NASAの研究チームの計算では、地球への衝突の可能性はないとのことです。この小惑星を発見したのは、アメリカ空軍の宇宙観測チームのメンバーで、発見者のレオニー・シュナイダー少尉の名前から、この小惑星をレオニーと名付けられました。また、宇宙航空研究開発機構JAXAによると、小惑星レオニーは、直径約30kmの小惑星で、地球に接近した小惑星の中では観測史上最大規模ということです。地球から月の約10分の1の距離を通過するため、天気が良ければ日本時刻の午後10時5分頃から10時20分頃まで、日本全国から肉眼でも観測できるとのことです。思いがけない小惑星の接近となりますが、来週は人類史上最大の天体ショーとなるでしょう。続いてのニュースです。本日未明、東京都足立区の路上で50代の女性が刃物を持った・・・』
直径約30kmの小惑星か・・・。普段はあまりニュースを気にしないのだが、宇宙関係の話題は結構興味がある。
子供の頃は、よく弟の爽と実家の庭から、天体望遠鏡で月や旭川の上空を通過する国際宇宙ステーションを見ていた。大人になってから、特に2年前就職のために東京に出てきてからは、ゆっくり空を見上げることすらほとんどなくなってしまった。せっかくだから天体望遠鏡を出して小惑星でも見てみようかな。日本全国から見えるという話だから、天気が良ければ東京からも見えるかもしれない。あとでクローゼットを探してみよう。
クロを見ると既にササミを食べ終わり、窓際の日当たりの良い位置から、伏せの姿勢で目を細めながらもこちらを見ていた。目が合うと尻尾がパタパタと揺れる。構って欲しいようだが、俺はこれからシャワーを浴びる予定なので、見なかったことにする。
いや、待て。そういえば、10月にクロを風呂に入れてから一度も洗っていなかったな。最近は乾燥しているし、今日なら天気も良くて乾きやすい。丁度良いからクロを風呂に入れるか。
「クロ、今からシャンプータイムだ!」
シャンプーという言葉に耳をビクッと反応させたクロは、そっと立ち上がってソファーの裏に隠れようとしている。しかし、頭だけ隠れても体は丸見えだ。クロの背後からそうっと近づき、クロを後ろから抱き上げた。クロの耳はビクッとなって一瞬もがいて逃げようとしたが、逃げても無駄だということに気が付いたのか、悲しそうに鼻を鳴らして離してほしいとアピールしてくる。
「クロ、俺の良心に訴える作戦かもしれないが、無駄だ。俺は非道な男なのだ。フフフ。」
クロと二人だと誰かに見られたら恥ずかしくて死にたくなるようなアニメのセリフを躊躇なく言えるから楽しい。無慈悲にクロを抱えて脱衣所に連行した。
クロを抱きかかえたまま片手で脱衣所のドアを閉め、クロが逃げられないようにしてから床に降ろした。俺も自分の服を脱いで、もう一度クロを抱えて浴室に入った。浴室の扉を閉めてからクロを床に降ろし、手で温度を確かめながらシャワーがお湯になるのを待つ。その間にクロは入り口側の壁の隅で小さくなって、シャワーを視界に入れないようにしている。少しでもシャワーから遠ざかろうとするクロを見ると、自分がクロを虐めているのではないか、という気持になるが、ただシャンプーをするだけなのだ。心を鬼にしてクロにシャワーのお湯をかけると、固まって動かなくなった。こうなってしまえば、あとは洗うだけだ。よく濡らしたクロの毛にペット用のシャンプーをかけて、ワシャワシャと洗っていく。お腹の周りを洗うと、何故か後ろ足をパタパタ動かしているが、痒いのだろうか?毎回お腹を洗うと同じ動きをするが、考えても分からないので気にせず洗い続ける。全身が泡だらけになったところで、なるべく顔にお湯がかからないように、シャワーで泡を流してあげる。
「よーし、終わったぞ!じゃあ、俺も洗っちゃうからそこに入って待ってて。」
お湯の入っていない湯船を指差すが、理解してもらえないようだ。仕方ないので、固まったままその場から動こうとしないクロを抱えて湯船に入れた。クロが湯船の中で大人しく座って待っている間に俺も顔と頭、体を洗って、髭も剃ってからクロを湯船から出してあげた。
「よし、ブルブルしろ。」
すぐにはブルブルをしなかったが、30秒ほど待つと自分から体をブルブルさせて、ある程度脱水できたので、ドアを開けると一目散に浴室から出て行った。脱衣所に置いてあったクロ用のバスタオルをクロの背中にかけたまま、先に自分が体を拭いてパンツを履いたあとでクロの体を拭いてあげた。そして、バスタオルで拭いただけで放置してしまうと臭くなるので、全身の毛を念入りにドライヤーで乾かすと、フワッフワになった。
脱衣所を出てから、クロの首の下の最も白くてフワフワな部分に顔を埋めてみたが、最高級の毛皮のコートの触り心地だった。まぁ、最高級の毛皮のコートは触ったことはないが。
しばらくクロのフワフワを堪能していたが、そろそろ出かけなきゃいけない時間なので、名残惜しいがモフモフするのをやめた。クロが「えっ?」と言いたそうな顔で見て来るが、人を待たせるわけにいかないので立ち上がる。
出かける準備のために服を着替え、髪をセットしていると、俺が出かけることを察したクロがソワソワし始めた。
「さて、俺は出かけるから留守番頼むよ。」
既に一度散歩に行っているため一緒に出かけられないことを理解はしているが、玄関に向かう俺に付いてくる。そして、俺がお気に入りのアディダスのスニーカーを履いて、玄関のドアノブに手をかけた瞬間、「ワフッ」っと、控えめの音量で1回だけ吠えた。クロはいつも俺が出かけるときに同じ行動をするのだが、連れて行ってもらえないことの不満をアピールしているのだろう。
「行ってきます。いい子にしてろよ。」
クロに見送られながら家を後にした。
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