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03.中国人留学生 ワン・リン
今日は、週に1回の中国語のレッスンがある日だから、中野駅に向かっている。高円寺から中野までは中央線で1駅だが、今日は天気が良く雨の心配もなさそうなので、自転車で行くことにした。
俺の中国の先生の【ワン・リン】は、M大学に通う中国からの留学生で、中国の大学を卒業してから日本の大学に留学しているので、年齢は俺と同じ24歳だ。リンとの出会いは、だいたい1年半ほど前だったと思う。
東京の不動産会社で働いていると、中国からのお客さんの接客をすることがたまにある。物件を紹介するときは拙い英語でなんとか説明しているが、意思の疎通が難しいことも少なくない。お客さんが聞きたいと思っていることが、俺の語学力が低いせいで聞けないということがなくなるように、中国語を習うことにした。色々調べてみたが、大手の語学教室にだと社会人1年目で一人暮らしの俺には、レッスン料が結構高かった。そこで、個人で中国語を教えてくれる人をSNSで探していたときに、一番近くで一番安く教えてくれるリンを見つけた。さっそくSNS内でダイレクトメールを送り、お互いの条件が合ったので、週1回レッスンをお願いすることになった。
レッスンは、俺の仕事が休みの水曜日の午後に、M大のカフェで行うことになった。最初は事務的な会話しかなかったが、同じ歳ということがわかってからはお互い打ち解けて、すぐに仲良くなった。今では先生と生徒という関係だけではなく、レッスン後やレッスンのない日でも食事や買い物、カラオケに行くなど、頻繁に二人で遊ぶ仲になり、俺の東京での唯一と言っても良い友達になった。レッスンよりも遊ぶことの方が多くなったので、リンの方からは、もうレッスン料はいらないと何度も言われているが、その度に断っている。俺がHSK(中国政府主催の中国語レベル試験)の5級に合格するまでは、今まで通りにレッスンを続けてほしいとお願いし、渋々だがレッスン料を受け取ってくれている。1時間2,000円で1回につき2時間で4,000円、月4~5回なので大した金額ではないのだが、俺以外に生徒はいないと言っているし、親から仕送りはあると行っても、他にアルバイトもしていない学生のリンにとっては、貴重な収入だろう。友達だからこそ、そんな貴重な収入源を無料にしてもらうのは、申し訳ないと思ってしまう。
リンは、待ち合わせ場所の中野駅南口のアーケードの入り口の前で待っていた。髪は黒髪ポニーテール、服装はパーカーにジーンズ、スニーカーという普段通りの機能的な服装をしている。
「颯!遅い!」
リンが俺を見つけて手を振ってきた。俺も少しだけ手を上げてから、リンの前で自転車を降りた。
「お待たせ。ん?遅刻してなくね?」
「遅刻はしてないけど、リンが先に着いたから、待たされた!」
「あー、そういうことね。それは悪かったな。」
「今回だけは許してあげよう。あ~、このカバン重たいな~。」
「はいはい。」
リンから黒いナイキのバックパックを受け取ったが、言うほど重くはなかった。
「吃饭了吗?(ご飯食べた?)」
リンはたまに中国語で話しかけてくるときがある。前にリンは日本語が話せるのに、どうしてたまに中国語になるのか聞いてみたら、俺がちゃんと中国語が話せるようになるためにあえて俺が油断しているときに中国語を使っているということだった。
「吃了。你呢?(食べたよ。リンは?)」
「リンも食べた。そこでトンカツ食べた。」
リンは、とんかつ屋の看板を指差した。またトンカツを食べていたのか。前に聞いたら週1〜2回はトンカツを食べていると言っていたな。中国では、上海などの大都会には沢山トンカツ専門店もあるらしいのだが、リンが住んでいた中国貴州省の地方都市には日本料理屋はあっても、トンカツ専門店はなかったらしい。日本に来てから初めてトンカツ専門店のトンカツを食べてたときに、トンカツの美味しさに魅了され、それ以来週1~2回は食べているらしい。
「よくも飽きずに、トンカツばっかり食べられるな。それなのに、なんで太らないんだよ。」
「リンはどれだけ食べても太ったことがないから大丈夫だよ。リンの家族は皆太らないから遺伝だと思う。」
そういえば身長も150cmに少し足りないくらいでかなり小柄な方なのに、いつも俺と同じくらい食べていて全く太る気配はないな。どれだけ食べても太らないってチートじゃないか。羨まし過ぎる。
「なるほど。今日はどこで勉強する?」
「毎回お店で勉強したら、お金が無駄だから、特別にリンの家に入れてあげる。」
言われてみれば、リンの家には一度も行ったことがなかったな。けど、いくら友達とはいえ一人暮らしの女の子の家に行くのは色々と問題なので、金がかからないM大のラウンジを今日の授業場所に提案したところ、渋々承諾してくれた。こいつは天然なのかもしれないが、危機意識が低すぎる。早急にその辺の認識を改める必要があるな。
「なあ、さっきの話だけどさ、付き合ってもいない男を自分の部屋に入れるのは、止めた方が良いと思うぞ。」
自転車を押して並んで歩きながら、唐突にさっきの話題に戻した。
「どうして?」
「どうしてって・・・、世の中には理性的じゃない男もたくさんいるからだ。」
「それってどういう意味?」
日本語を理解していないのか、日本語は理解しているが意味が分かっていないのか分からない。こいつに説明するのは骨が折れそうだ。
「いくら親しい男友達でも、部屋で男と女が二人きりになったら、襲われるかもしれないから、気軽に男を部屋に入れたり、男の家に行ったりしない方が良いってこと。」
「そういうことか。颯はリンのことを襲うの?」
「俺は襲わないけど、他の男は襲うかもしれないだろ?」
「それなら大丈夫。男友達は颯しかいないから。やっぱりうちで勉強する?大学から家に帰るの面倒だし。」
「いやいや、人目があるだろう。おまえだって変な誤解されたくないだろ?」
この辺はM大生がたくさん住んでいるから、俺がリンの部屋に入るところを見られたら、彼氏だと思われるかもしれない。
「変な誤解?ん~・・・。彼氏だと思われるってこと?別にリンは気にしないよ。颯は誤解されると嫌なの?」
「いや、俺も嫌とかではないけど、とにかく今回はラウンジでやろう。」
「ん~・・・。分かったよ。」
なんかレッスンの前から無駄に疲れたな。浅野さんも似たようなものだが、俺の周りには危意識が低い女性が多すぎる。俺に男としてのフェロモンみたいなものが足りないから、異性として全く意識されていないということなのだろうか。それはそれで落ち込むな。
いや、浅野さんは別として、もしかしてだけど、リンは俺のことが…。いやいや、無いな。無いよな?いや、落ち着こう。優しくて面白い人が好みって前に言っていたけど、優しいはともかく、俺には面白い要素が一切ないからな。そして、顔も性格も平凡そのものだし、地方の私大文系卒だし、金もないし。ふぅー、危ない、危ない。勘違いして調子に乗ることろだった。あれ?なんでかな?目から水が・・・。
「你真的白目!(ほんと鈍感!)」
「什么意思?(どういう意味?)」
「不懂(知らない)」
バイムゥってなんだっけ?分からないけど、なんか怒っているみたいだし、これ以上はこの話を続けない方が良さそうだな。
タイミングよくM大に到着したので、とりあえず自転車を置きに行こう。
「自転車停めてくるからここで待ってて。」
「一緒に行く。」
結局リンも着いて来て若干気まずい雰囲気のままラウンジに入った。
そのあとはいつもどおり、リンから2時間真面目に中国語のレッスンを受けた。レッスンが終わってからもそのままリンと雑談をしていたらもう外が暗くなっていたので、家まで送って行くことにした。リンの家はM大から歩いて15分位だけど、リンの通学路には夜になると街灯がなくて真っ暗になる道があり。そこが怖いと前にリンから聞いて以来、暗くなるまで一緒にいたときは、必ず家まで送るようにしている。
大学の門を出て数分経ったところでリンが立ち止まった。
「ねぇ、自転車の後ろ乗っていい?」
「おいおい、俺は今年25才になったんだが?流石に大人になって自転車二人乗りは恥ずかしいだろ。」
「歩くのが疲れた。あと、リンも25才だから大丈夫。」
「いや、全然大丈夫じゃないって、それ何も解決してないよ?」
しかし、俺の承諾を待たずにリンは、俺が押していたママチャリの荷台に座った。仕方ないからリンの希望どおり二人乗りで帰ろうかと思ったが、大人になって自転車の二人乗りで警察に注意されるのは恥ずかしいから、リンが荷台に座ったままの自転車を俺が押して、歩き始めることにした。
「なぁ、そこだとお尻が痛くなるだろ。自転車押してやるから前に座れ。」
「あ?颯は乗らないの?」
『あ?』ってヤンキーかよ。こえーよ。って、思ったけど中国だと『えっ?』って意味で中国では誰でも日常的に使うらしい。
「日本で自転車の二人乗りは、道路交通法っていう法律で禁止されているからな。押していれば問題ないけど。」
「お母さんが子供を乗せてるの見たけど、それもダメなの?」
「小さい子は例外なの。これも確か法律で決まってたと思う。」
大学の授業のときに、先生の話が脱線して、この話をしていた気がする。たしか幼児用座席を設置して、6歳未満の子供に限るとか色々条件があったと思うが、俺としては本当に関係ない法律だから詳しくは覚えてない。少なくとも俺とリンが二人乗りするのはダメということで間違いない。
「おっ、じゃあ仕方ないね。」
納得してくれたようだな。自転車を止めるとリンが荷台からサドルに移ったので、再び歩き始める。
リンを乗せた自転車を押して歩きながら、子供の頃を思い出した。
俺が中学生で弟の爽(そう)が小学生の頃の話だ。母さんから頼まれて家から少し離れた公園で遊んでいた爽を迎えに行った帰りに、自転車の二人乗りをしているところを運悪く、警察に注意されてしまった。あのときは、初めて警察官に怒られて二人ともお通夜みたいな気分で家に帰ったな。その帰り道で、ショックで泣いている爽をサドルに乗せて、俺が自転車を押して家まで帰ったことを思い出した。
弟と言えば、明日の木曜日から爽が泊まりに来ることになっている。土曜日に旭川で従姉妹の結婚式があるから、俺も旭川に帰る予定なのに、わざわざ今週来る必要あるのか?まぁ、爽が来るなら帰りにお菓子と飲み物くらい買っておくかな。
そんなことを考えているうちに、リンの家の前に到着した。自転車を止めたが、リンが自転車から降りようとしない。
「ねぇ、日曜の夜に小惑星が地球に接近するって知ってる?」
昼にニュースで見たやつだな。
「うん。日本からでも見られるらしいな。さっきニュースで見たよ。」
「それそれ。暇だったら一緒に見ない?」
暇ではないけど、日曜の夕方の便で東京に戻るから、ギリギリ間に合うかな。
「良いけど、土曜に旭川に行って、日曜の夕方の便で東京に帰るから遅くなるぞ?」
15時の便だから、旭川から中野まで電車、飛行機、電車と乗り継いで、だいたい5時間くらいだから、飛行機が遅れなければ20時には高円寺に着くな。12月の上旬ならいくら北海道でも、さすがに雪で飛行機が飛ばないことはないだろう。
「間に合うならいいよ。でも、従兄弟の結婚式って言ってたよね。クロはどうするの?」
「一泊二日くらいだから連れて行かないで、ペットホテルに預ける予定。」
「わかった。じゃあ、私がクロを迎えに行く?」
「えっ、いいの!?」
ペットホテルの引取り時間がギリギリだったので、リンの申し出は凄く有り難い。。
「うん、いいよ。」
「助かる。じゃあ、ペットホテルの人には、リンが迎えに行くって言っておくよ。場所とか詳細は、あとで送っておくわ。お土産は何が良い?」
「オミヤゲってなに?」
「えっと、特产(おみやげ)のこと。」
「おー、特产か!それなら、十勝木の実とマルセイユバターサンドがいい!」
前に弟がお土産に持って来たときに、リンにお裾分けしてから相当気に入ったらしく、前回お盆で旭川に帰省したときも同じものをお願いされた。ちなみに、リンが中国に帰省したときのお土産は、波波糖(ボーボータン)というピーナッツのお菓子だった。中国のお菓子って美味しいんだけど、口の中の水分を持っていかれるものが多いんだよな。
「わかった。任せとけ。」
約束をするとリンは満足気に自転車から降りた。
「楽しみにしてる。バイバイ!」
リンは別れの挨拶を済ませると、機嫌よくマンションに入って行った。
リンが小惑星に興味があるとは知らなかったな。今度サンシャインシティのプラネタリウムにでも誘ってみようかな。一度行ってみたいとは思っていたが、男一人でカップルだらけの空間に行くのは、精神衛生上良くないから避けていたのだ。ん?今更だけど、爽と行っても良かったな。もしリンに断られたら爽を誘って行ってみるかな。
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