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『防衛費にするくらいなら、その金を、国民の生活を豊かにするために使えよな。そもそも、防衛費ってなんだよ?笑 どこの国の誰が、進んで不幸になりたくてウォーゲームなんてやってんだ?そんなしょうもない駆け引きするくらいなら、一斉に戦争をやめる為の、せめて、その為の話し合いに少しくらいその金を使ってくれた方がいいだろうか。その方が国民も希望が持てるだろうがよ。希望?希望ってなんだ?まあいい。
究極、それをやらねぇから、俺みたいな盗人が存在するんじゃないのか?なあ、そうだろ?
盗人の全員がそうじゃねぇと思うけど、でも、俺みたいな努力が報われなかった生活困窮者よりも、人の命を奪うためにその金が使われているなんて、バカげてねぇか?国が国民を幸福にしないなら、それはただの、為政者の玩具だな。それなら、防衛費も納得だ。かっこいい玩具をもっとかっこよくしたいもんな。くだらない他人より、自分のおもちゃの方に価値をおいて。当然だ。
まあ、とはいえ税金払えてないわけだ、俺は。稼ぎがないんじゃしょうがない。税金どころか、自分を養うことすらもままならねぇ。というわけで、これから稼ごうとしているってわけだ。
そんじゃ、ちゃっちゃとこなしますか』
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俺は、今まさに首を吊ろうとしていた。
目の前には、室内物干しざおに下がった縄の輪。
あ、警察に連絡していないや。それじゃ、発見が遅れて――
って、まあいいか。俺がいなくなった後の世界のことなんか、どうでも。
さてと、それでは――
《本当にそれで正しいのか?》
茫然と輪に首をくくりかけたところで、胸中に言葉が響いた。
何をいまさら。てか、ここで生き延びてどうする?
生き延びて、それでその後は?
なあ、そうだろ?だってもう俺には、何も――
だから、もういいんだ。もういいんだよ。
ふっ、と小さく笑うと、俺は今度こそ首をしっかり縄にかけて、台にしていた椅子を軽く蹴った――
♪♬~
――!?
唐突に意識が覚醒する。
失い掛けていたそこに、着信音が飛び込んできたのだ。
「――ぅう、うががっ!」
その所為で、もがき苦しむはめになってしまう。
くそっ!死にたい!早く死にたい、のに……
それでもなお死へと向かおうとする気持ちに、身体の方が勝手に生へと引き返そうとして、その板挟みにもがき続けた。そこで、
ンキイイィイィ――、グンンンッ!!!
物干しざおがVの字にひん曲がり、かけ穴から滑り落ちた。
首に縄が括られたまま物干しざお共々勢いよく落下し、その下敷きとなる。
その衝撃で物干しざおがポッキリと折れてしまい、縄が抜け落ちて俺の頸にだらりと下がった。
「いてて……」
♪♬~
自殺に失敗してしまった。
折れた物干しざおを背中から退かしつつ、依然としてなり続ける着信メロディ『ミッシェル』に手を伸ばす。そのビートルズの曲はしとやかに俺を誘う。さあ、早く電話に出なさい、と。
しかし、こんな死にぞこないに連絡してくる相手に心当たりなどなかった。
いったい誰が?とスマホの画面を見ると、さも当然の答えのように、それは非通知からであった。
「……はい」
「やっと出たか!いったい何をしていたんだ、貴様は?」
変声機を使用したくぐもったその声が苛立たし気に問いかける。
「……じ、その、自殺を、しようと――」
言いつつ、俺は首に下がる縄を外して床に置いた。
「……はぁ?自殺だって!?おいおい、なんて下手な言い訳だ。つくならもっと面白い嘘をつけよな」
「い、いや、でも本当で――」
「もういい!」
どうやら、その事実は相手方に受け入れられなかったらしい。
そのくぐもった声は、面倒そうに咳ばらいを一つすると、冷酷な声でこう告げた。
「さて、お前の息子は預かった。もしも返してほしければ、今から言う場所にあるものを持って来い」
「む、すこ? ……息子だって!?」
俺はすっかり混乱してしまった。息子とは既に親子の縁を切っている。戸籍上もである。それは俺の来歴上、仕方のないことだった。そして、その息子は死別した母方の遠い親戚に引き取られて、苗字も名前も変えて暮らしているはずだった。
なのになぜ、今になって――
「バカな、俺に息子などいない。人違いだ。他を当たれ。それじゃ――」
「なら、コイツを殺す」
「――!?」
「お前が父親であることなど、とうに調べがついている。面倒な小芝居など、しゃらくさいだけだ。では、まずは身代金となるあるものについてだが、」
誘拐犯は受話器越しでも分かるくらいに垂涎の笑みを漏らすと、
「【バクトリアの黄金装飾】だ。当然持っているだろう?もちろん、なぁ?」
うっ、と言葉に詰まった俺を無視して、誘拐犯は愉快そうに続けた。
「それだ。それを持って日没までに喫茶『ラバーソウル』に来い。到着したら、入口から2つ目のカウンター席のテーブルの下にあるスマホで通話をかけろ。中には連絡帳アプリ一つしか入っていない。次の指示はその時にする。以上だ」
そこで一方的に通話が切られた。
スマホを握り締めながらしばらく茫然となっていた俺だが、相手の話しぶりから、どうやら俺の素性を承知済みとみて、行くしかないとふらり、弱々しく立ち上がった。
だが、本当に俺の息子なのだろうか?
やはり疑念は捨てきれない。非通知の通話履歴からなんとか相手を割り出せないだろうか?と、スマホに目を戻していじり始めた時、犯人からの『日没まで』という言葉と表示時計が重なった。
時刻は18時半。
閉じ切っていたカーテンを勢いよく開けた。
世界はすでに薄青かった。光は、ただその底にオレンジの川が一筋流れているだけ。
まずい!
俺は慌てて玄関を飛び出そうとしたが、ドアノブに手をかけたところで、はっとする。
犯人が要求した【バクトリアの黄金装飾】。
それを床から拾い上げると、俺は再び玄関へと駆け出した。
愛用のゴム底のスニーカーに足を突っかけると、転がる様に自室を出た。
そこからというもの、俺は走った。
走って、走って、走った。
もし誘拐されたのが本当に息子なら、俺でも、こんな俺でもまだその命を賭けて守らなければならない。
さっきまで、死のうとしていた自分を情けなく後悔し出した時。
涙が溢れてきた。
次から次へと溢れて止まらなかった。
こんな、こんな父親でごめんな。
「――がっ!?」
石畳みの段差につまずいてしまう。
だが直ぐに跳ね起き、再び走り出す。
待っててくれ。生きててくれ。
絶対助ける!
だからどうか、俺に守らせてくれ!
強く、強く祈りながら、喫茶『ラバーソウル』へ急いだ。
必ず、必ず生きて盗みかえしてみせる!
喫茶ラバーソウルのドアに手をかけた時には、まだ死にぞこないの明るさが頭上に薄ぼんやりと横たわっていた。
荒げた息を直ぐに整え、平静を装って入店する。
そそくさと何食わぬ顔で指定されたカウンター席に着いた。
店内では、店名にもなっているビートルズのアルバム『ラバーソウル』のレコードが流れていた。
「ご注文は?……、おや?」
俺の姿をちらとみたマスターの横眼が薄く見開いた。
「これはこれは、また珍しいお客さんだ」
「こんにちは、マスター。お久しぶり」
「ええ、本当に。いつものバブルガムにいたしますか?」
「いや、今日はいつものじゃないやつを頼む」
一瞬、肩眉を上げたマスターだが、直ぐに平時の接客スマイルに戻すと、
「かしこまりました。直ぐにお出しいたしますね。先にこちらをどうぞ。サービスでございます」
小さなお菓子の包み紙を一つ置いて、店の奥へと姿を消した。
俺はあたりを見渡しつつ、カウンター下の簡素な荷物置き用の台に手を差し入れた。
そこには、確かに硬い何かがあった。
取り出すと、銀色の林檎のロゴが特徴的な真っ黒いスマホだった。
カチッ、と盗聴用の小型デバイスを取り付けてから起動する。パスワードなどはなくホーム画面が難なく開いた。
中には、連絡帳のアプリだけが存在していた。その中には『ミッシェル』という連絡先が一件だけ入っていた。
ミッシェル?俺には心あたりが……、いや、今はとにかくかけなければ!
一瞬手が止まった俺だが、タイムリミットを思い出して、すぐさま通話をかけた。
間に合ったのか?いや、間に合ってくれ!
そして数コールの後――
「ほほう、よく間に合ったな」
繋がった!
「流石だ。時間はきっちりと守る。泥棒の流儀ってやつか?」
こいつ、やっぱり俺の素性を知っているのか?
「泥棒?なんのことかは分からないが、息子!――息子は、当然無事なんだろうな?」
一瞬間、大声を張り上げてしまったが、ここが喫茶店内である事を聞こえてきた『ミッシェル』の曲によって思い出し、すぐさま声を落とした。
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『くっくっくっ、これか……よし、さっさと奪ってずらかるとす、――!?なんだ!?この声は?だ、誰だ!?いったい誰な――、なに?全員死ぬ、だと?ふん!そんなばかな。俺は殺さずの盗人だぞ?こいつを盗む前に、しっかり調べがついている。呪いに関しても、だ。それによって呪いが無い事も、誰も死なずに済む盗み方も。だから、この声は呪いの声でも亡霊のささやきでもない。誰かが仕組んだものだ。いったい誰な――、はぁ!?バカな、あの村が滅ぶだと?俺が盗めば滅ぶというのか?それこそ、嘘っぱちだ。ありえない。さてと、無駄な時間をとっちまった。俺はどこかのバカヤロウな政治家たちとは違う。誰も傷つけないし、死なせないし、ウォーゲームでも遊ばない。その上で、このお宝を俺の、俺の家族の為に――』
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通話越しに聞こえた、狭いコンクリート造りの空間特有の反響音。恐らく、何処かの地下に違いない。窓もないだろう。あの音源は、誘拐犯が弄んでいる金属の何かだ。恐怖心をあおる演出だろうか?いや、今はとにかく指定された通りにしなければ――
なんて、従ったふりだ。相手の場所はある程度特定できる。なぜ、この喫茶店を選んだのか?それは、この喫茶店が泥棒御用達だからだ。
俺はスマホを不自然なくカウンターに置きつつ、辺りを静かに見回した。
恐らく、他の客も全員が泥棒かその類の奴らだ。
さもすれば、この空間の何処かに誘拐犯の仲間がいて、俺を監視しているかもしれないが――、しかし、その線は薄い、というか限りなく無いだろう。
もし仲間がいたのなら、俺への指示がおかしい。
『持ってきた宝を自分で届けに来い。俺の場所をお前自身が特定してな』
もし仲間がいるなら、何処かに、例えばスマホがあったカウンタ―下の荷物置きにおいてさっさと帰らせ、直ぐに仲間が回収すればいい。
だからこそ、単独犯で間違いない。
こんどもまたタイムリミットを与えてくるあたり、決まりだろう。
しかし、誰だ?心当たりがまるでない。
「お待たせしました」
そこでマスターが店の奥から戻って来た。俺は差し出された四角い箱を丁重に受け取る。
受け取ったそれをカウンター下の周囲の死角で開けて装備した。
空になった箱をマスターに返しながら、汗に濡れた微笑で尋ねた。
「なあ、マスター。最近はどうだ?すごい奴の話は聞くかい?」
マスターがやや怪訝そうに眉根を潜めた。
「すごいやつ、ですか。お客様の言葉を借りるなら、気になるやつ、はいらっしゃいますよ」
「どんなやつだ?」
俺は片肘でカウンターに身を乗り出した。
マスターもひそひそ話でもするように口元に手を添えてこちらに屈んできた。
マスターからラベンダーの香りがふんわりとした。
「いえ、ね。気になるやつというのは、『ゴム底の女盗賊』と言われている方でして。その方が最近店に出入りしては、トイレを借りて帰る、ということを繰り返しているのです。余りにも頻繁でしたので、セキュリティーに自信のある私でも流石に不安を覚えて店内などを調べたんですが、特に盗まれたものや、その準備の痕跡も無かったんです。しゃらくさいと思いましたが、一先ずはその方をマークしている現状です。本日はまだお見えになっていませんので、もしかしたら、この後に来られるかもしれません」
俺は途端に緊張して、顔を引き攣らせた。
「なるほど、それは確かに気になる奴だ。ところでマスター、俺もお手洗い借りてもいいかな?」
「ええ、勿論。どうぞ」
俺は慎重な動作でマスターがくれた包み菓子をポケットに突っ込むと、店奥のトイレへと向かった。
店内で最も暗く落ちくぼんだ場所にある男女兼用個室トイレ。
俺はそのドアノブに手をかける。
本来であれば、これは引き戸式だ。
しかし、俺はそれを強めに押した。
するとドアを受けて止めている木製の枠が奥へと撓るように曲り、大人一人が横歩きで通れるだけの隙間が姿を現した。
俺は喫茶『ラバーソウル』の見取り図を想起する。
綺麗な正方形の造りにも関わらず、トイレだけ、まるで後付けされたような瘤みたいにその左隅にくっ付いているのだ。
だからといって、マスターが意図的にそうしたわけではないのだろう。
要は、その『ゴム底の女盗賊』とやらが、その造りを利用して、こんな仕掛けをこさえたに違いない。
俺も体を傾けて侵入する。
――が、一歩目で足を取られて転がり落ちてしまった!
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『……俺は、俺はなんということを。まさか、ほんとに、ほんとに村を、村の人々を殺してしまった……という、のか?誰、か……誰か!返事をしてくれ!誰かぁぁぁっ!!!
――くそ。もう、ダメだ。誰も殺さずに盗む。それを破って、人の死の上に得る宝など、なんの価値があるというんだ……、そんなものに価値など、なんの価値もありはしないんだ――』
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……いてて。
そこは地下への階段となっていた。予想はしていたくせに、暗がりに一歩目を油断してしまうとは。
間違いなく今の派手な落下音で、相手も気づいてしまったはず……。
逆さで背を預けるコンクリート造りの扉は、しかし、異様な静寂でひんやりと塗り固められていた。
もしかして――、俺は受話器越しのコンクリートの室内に反響する金属音を思い出した。
もしも完全防音造りなら、気づかれていないはずだ。ならまだ、まだ俺にも打つ手が残されている。
よし!
俺は体を起こして薄く扉を開くと、その隙間から手を差し入れて2、3枚のシールを貼り付けた。
そして、静かに扉を閉めると、極力音を立てないように努めて階段を登る。
木枠の隙間を元通りに戻すと、何食わぬ顔でカウンターへと戻った。
マスターがグラスを丁寧に磨いていた。
その手つきはプロの仕事そのものだった。
俺は腰にベルトのように巻きつけてあるお宝を手で触れて確認すると、トイレ側の一番端のカウンターに着いた。
気づいたマスターが微笑をたたえて近づいてくるので、
「店には迷惑をかけない。俺が始末をつけるから」
と早口に告げる。マスターも訳知りとそれに無言で頷く。その顔は先程の微笑を消した神妙な顔に変わっていた。
俺が立ち上がると同時、マスターがカウンター内へと招き入れてくれた。
俺は小さく会釈し、素早く店の奥へと向かった。すれ違いざまに鍵を受け取る。
奥の通路を左に曲がり、突き当たりの扉から建物の外へ出る。目の前に食糧庫(パントリー)が現れる。ちょうど正方形の建物から飛び出たトイレの真隣に位置していた。
借りた鍵を使って倉庫の扉から入り、左隅の地下食糧庫への床扉を押し上げて、一気に駆け降りる。
階段の突き当たりにあるその扉。
それはトイレの傍から入った地下室へと繋がる扉だ。
そう。あの地下室は地下食糧庫だったのだ。
本来なら、この扉からのみ入れたのだが、誘拐犯がトイレ横から強引に掘削して階段を造り出し、もう一つの扉を用意したのだ。
だから、俺はあの時足を踏み外したんだ。
凸凹に荒く拵えたその足場は、階段とわかっていても……
と、気にしている暇はない。俺は目の前の整備された入口に意識を集中させる。
その場にしゃがみ、手早く扉に仕掛けを施す。
よし、これでいい。向こうの仕掛けも出来ているし。
一発勝負。
絶対に取り返してみせる。
そう決意し直すと、俺は、勢いよくその扉から――、離れた!
直後。
ボォン!
と鈍い破砕音が唸った。
同時に、その重々しい扉が向こう側へと倒れた。
粉々になったヒンジが地面剥き出しの床に散らばる。
その音にこちらを向く人物が二人いた。
そのうちの一人が叫ぶ。
「父さん!?」
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『まさか、本当に村ごと消滅してなくなる、とは。……俺の手元に残ったのはこの縄上の黄金、だけだ。その決められた価値を決めた者たちの命を奪うことですっかり失った空虚な遺物、ただそれだけ。
俺は、いったい、どうしたら、どうやって、償えばいい?なあ、どうすれば、どうすれば、いい、ん、だ。
……………………………………………
……………………………………………
……………………………………………
そうだ、これを使って――』
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「ウェイト。本当に、ウェイトだったのか」
この瞬間、息子の姿を視認するまで半信半疑だったが、紛れもない、俺の息子が確かにそこにいた。
特に縄などで縛られることもなく平然とした、ともすれば、俺がここに来たことの方が意外だったという驚いた表情を浮かべていた。
「着たわね。あなた」
ウェイトとは反対の壁際、俺が侵入した側の壁に死角になる様に立っていたのは、
「……ミチエ、おまえ、生きていたのか?」
――そうか、だから『ミッシェル』か。
妻だった。
どうやら、自分の名前である『ミチエ』をもじって『ミッシェル』と連絡先に登録していたらしい。
しかし、彼女は、
「お前はあの時、亡くなった、はず……」
「あら、あまり嬉しそうじゃないのね?」
「そうさ、あの時、お前は俺を裏切った。しかし、その直後に命を落とした。そんな相手が今まさに目の前に立っていたのなら、警戒してしかるべきだろう?」
「ふふふ、まあ、そうね」
その笑みに、俺の左わき腹の古傷がキリキリと痛みに震えた。
「どうやって、生き残った?あの時、俺が宝を手にした瞬間それを奪って俺を撃ち、引き返した途端に遺跡のトラップで、お前は、天上から降って来た岩石で潰されて死んだはずだったろう?」
「そうね。あなたが耳を貸さなかったから、結局はそうなってしまったのよ?」
「俺が耳を貸さなかっただと?いったい何のことだ?」
ミチエは心底説明が面倒そうとばかりに溜め息を吐き落とすと、
「あなたのせいで、あの時何が起きたの?覚えている?」
その問いに、急に目の前がぐらつく。倒れそうになるのをなんとか踏ん張ると、喉の奥から苦いものを絞り出すような声で、
「……村が、消滅した」
「そう、あなたがあの村を、私たちに親切にしてくれたあの村を滅ぼしたのよ?あの時の声に従わなかったから」
俺は反射的に手をかけていた腰の『それ』から手を離すと、過去の大罪に両腕をだらりと下げて俯く。
「落ち込むなら、ひとりでやって頂戴。さあ、今はその時の宝を、持ってきたそれを渡しなさい」
ミチエが苛立たし気に催促する。
俺が、罪の重さに耐えられなくなって自殺しようとした際に使用した、その縄上の【バクトリアの黄金装飾】を。
渡して、しまおうか……いや、その前に、
「なんで、今更これを欲しがるんだ?やはり、あの時盗めなかったからか?お前の泥棒人生で唯一盗み切れなかったものだからか?」
「……」
ミチエは時に返答する素振りはなく、睨みつけるように手を差し出した。
――俺は、しかし、これを渡すわけにはいかなかった。
だから、無言で首を振った。
ミチエから小さく、はぁ、とため息が漏れたのが聞こえた、瞬間。
「ぐわっ!?」
俺の左腕は撃たれた。
「母さん!何してんの!?やめてよ!!」
「黙ってなさい!」
叫ぶウェイトが立ち上がりかけたところに、ミチエがそれを怒声で制す。
「あなた。忘れているわよ?あなたがかつて愛した女が、冷酷非道だったってことを。目的の為ならね」
煮え滾る様な痛みを訴える左腕を抑えながら、俺は奥歯を噛み締めてミチエを睨み付けた。
「おぼ、え、ているさ。そういうところを愛していた、からね」
やせ我慢にかっこつけながら余裕ぶった笑みを浮かべる。俺はこうなる事を薄々予感していたからだ。だからこそ、策は打ってあるのだ。
「ウェイト。大丈夫。もう母さんとけんかするのは、これっきりだから。ミチエ、お前は選択を誤った。撃つ場所を間違ったんだ」
俺は、一歩で駆け出した。
その動きに警戒するミチエが、距離を取ろうと壁を蹴って反対側の壁へと飛んだ。
その時を、俺は見逃さない。
愛用のゴム底靴を左右のそこで踏み合わせた。
「うぶっ――」
空中のミチエの右わき腹を撃ち抜いた。
姿勢を崩したミチエが地面に墜落する。
俺はラバーソールを滑らせて駆け寄り、一息にミチエの持つピストルを叩き落とすとその両腕を掴み上げた。
素早く腰に巻き付けてあった黄金の縄を引き抜き、その腕を拘束する。
「ふぅ」
「父さん、凄い!」
感心するウェイトがぴょこぴょこと飛び跳ねながら近づいてきた。
「ウェイト、待たせたね。もう大丈夫。母さんと久しぶりに敢えて、楽しく話せたかい?」
「うん、楽しかったよ!」
ウェイトにとって今までの二人のやりとりが日常茶飯事であるみたいに、平然とした口調でそう返した。
「あ、なた。やるわね。まさか、目的の宝で拘束されるとは、ね」
「ミチエ、教えてくれ。あの時、村を消滅させたのは、お前なのか?」
ふっ、と妻は鼻で笑った。
「ばかね。そんなしゃらくさいことしないわよ。あれはあなたの勘違いよ」
「俺の、勘違いだって?」
「そ、勘違い。あの時あなたが聞いた呪いの言葉みたいなやつは、私が事前に準備した音声なのよ。私は一回あの遺跡に侵入していた。しかし、盗むには一人では無理と覚り、あなたを囮にして宝を手に入れることにした。そして、あなたをあの遺跡に差し向け、私はその後ろをこっそりとつけていった。そして、宝の間に着いた時、私は入口の天上付近にスピーカーをセットしたの。時が来た時に遠隔でスイッチを入れて、そこから録音した音声が流れるようにね」
「そう、だったのか。だから、あの時突然、君が目の前に現れたのか」
「まあね。心優しい泥棒のあなたなら、安心な宝の情報を流せば絶対に盗みに行くと思ったから」
「なら、村は?村が消滅していないってことは、村はどこにあるんだ?」
「あの遺跡、回転するのよ」
「回転!?」
「そう。時間帯によって、遺跡自体が回転するの。侵入前の村の位置は、脱出後で反対位置になるのよ」
それを知っていて、ミチエはあのような呪いの細工を施したのだ。俺の精神を攻撃する為に。
「いいえ、違うわ。別にあなたの精神をどうこうしたかったわけじゃないの。私はただ宝が欲しかっただけだから。結果的にあなたが勝手に村を全滅させたと罪悪感を覚えて、ウェイトを私の親戚に預けて、それでさっき電話した時に自殺しようとしていただけよ。焦ったわ。あなたに自殺されたら、この宝が遺留品として警察に回収されちゃうんだから」
「それにしても、お前はどうやって生き残っていたんだ?あの岩石は?」
「あら、あなた忘れたの?私が『ゴム底の女盗賊』と呼ばれていることを。あなたにそのラバーソールの技術を教えたのは、この私よ?」
「そういえば、そう、だったな」
「でしょ?あの時、降って来た岩石を避けるためにオイルを撒いてその上を両ゴム底で滑って躱したのよ。その時、体勢を崩し過ぎてこの宝はてからすっぽ抜けちゃったけどね。躱したのは、あなたの位置から岩石を挟んで反対の方だった。それで躱した後は、そのまま遺跡を出たのよ。遺跡の外であなたを待ち構えることにしてね」
「だが、俺は君に撃たれていた所為で直ぐには動けなかった」
俺は左わき腹を軽く摩った。
「そうね。その所為で、私はその宝を奪えなかった。あの後、遺跡から出た私に村人が待ち構えていてね。反対位置になった村に案内されたのよ。私に直ぐに会いたいって待っている人がいるって聞いてね」
「はいはーい!それが僕ね!」
「そうよ。私は直ぐにウェイトだって分かって村に向かったわ。何かあったんじゃないかって心配になってね」
俺はウェイトに向き直った。
「なにかあったのか?」
「うん、そん時に僕、風邪ひいちゃって」
「それで私が看病してた、ってわけ。さて、と」
ミチエは両腕を拘束された状態で立ち上がると、
「夫婦喧嘩もここまでね。それじゃ、これは私がもらっていくわね」
そう宣言すると、俺が入って来たパントリーとは別の、ミチエが拵えたあのトイレ側のドアに駆け出した。
俺は、ポケットから素早く、マスターからもらった包み菓子を取ると、
「ミチエ、頼む、もうどこにいかないでくれ」
それを彼女よりも先にドアのある個所へと投げつけた。
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吹っ飛ばされて戻ってきたミチエを俺は痛む腕で抱き留めた。
「……」
それにミチエは抵抗しない。
そして、観念したかのように小さく笑った。
「こんな仕掛けをしていたなんて。やるじゃない、あなた」
「好きな、女の為さ」
「なら、自殺なんてしないでよね」
「ああ、悪かった。この宝を換金して、ウェイトも含めて、三人でやり直さないか?」
「何を?泥棒を?」
「ふふっ、冗談を」
「仕事はどうするのよ?何で稼ぐつもり?」
「この宝を元手に、俺のやりたかったことを、三人でやろう」
「あら、それってやっぱり泥棒?」
「もう、泥棒家業は辞めるよ、辞めて――」
俺は、こんどは強くミチエを抱きしめた。
「菓子屋を開くよ。美味しいガムを中心にした、お菓子屋を」
ミチエはあきれ顔で、自身が脱出しようとしたドアの方を見た。
「相変わらずのゴム好きね」
ドアはその一部が小さく崩れていた。
投げた包み菓子が仕掛けておいたクッションシールと接触して包みが破裂し、中の玉状物が発射された。
食らったそれが更に破裂、吹っ飛ばされた瞬間、その中から粘着性の網が飛び出したのだ。
マスターお手製のゴムボール爆弾だった。
それを被ったままのミチエに、俺はこう返す。
「ゴム好きにさせたのは、お前のほうだろう?」
「……確かにそうね」
俺もミチエも、そして近くで聞いていたウェイトも。
久しぶりに家族そろって屈託なく笑い合った。
参考資料:バクトリアの黄金装飾
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