辻 天馬

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第36話 ヤマト 「斎藤。コイツ、面倒見てやれ」  商店街を抜け、しばらく海沿いを歩くと、プレハブのボロボロの建物が見えた。ドアのサンが潮風で錆びている。漁業組合の事務所かと思ったら、そこがヤクザの事務所だった。木の看板に『玉城会』と仰々しく書かれている。  こちらにも事務所前で掃き掃除をしている奴がいた。上下黒のジャージ姿で、桜庭に声をかけられると、ウィッす、とデカい声を出して頭を下げた。ソイツが斎藤だ。  俺たちが入学して、ジンたちと意気投合すると、上級生の不良(ワル)たちは俺たちに目をつけた。最初に絡んできたのが、この斎藤だ。朝っぱらから因縁をつけてきたので、全校生徒が見物する中、運動場のど真ん中でボコボコにしてやった。 「あ、お前」  顔を上げて、俺の顔を見ると、あの朝の因縁をつけるような目付きで睨んできた。本当はあのボコボコにされた情景を思い浮かべてブルってるクセに、桜庭を目の前にして引くに引けなくなっているのだ。高校の頃、2つ歳下にシメられたなんてバレたくないのだ。 「よう。お前もここにいるんだな」  こんな奴よりも俺は即戦力になる、と桜庭にアピールしたつもりだった。最初から、こんな奴の下で働かされるなんて、まっぴらごめんだ。  すると、頭に物凄い衝撃がきた。空から鉄球でも振ってきたのかと思った。目がチカチカした。 「バカヤロウ!これから兄貴分になるって奴に、態度わきまえろ」  桜庭の鉄槌だった。  殴られた俺を見て、斎藤は笑いを堪えていた。  桜庭、斎藤、俺の順で事務所に入ると、全員が野球部の円陣での掛け声のようなデカい声で挨拶をした。怖い顔の男が20人くらいいる。野太い声が塊になって、プレハブ小屋自体が震えているようだ。  町で1人で歩いているチンピラを見た時は大したことない奴らだと思っていたが、こうも集団になるとなかなか怖い。群れないと何もできない奴ら。それは俺のことだった。学校の奴らも、俺のことをそう見ていたに違いない。  それから、俺はほとんどの時間を斎藤と過ごした。主に1日中、掃除と洗濯。組員が帰ってきてお茶出し。炊事までやらされた。これじゃあ主婦だ。  最初は警戒されていたが、どう考えても俺が1番下っ端で、その次が斎藤。いつかコイツを出し抜いて俺が上であることを証明しようと躍起になろうが、気持ちはそうでも暇がない。雑務が多過ぎる。下働きを一緒にやらされていたお陰で、次第に仲良くなってしまった。  みんなの前では『兄貴』と呼ばなければならなかったが、2人になると『先輩』と呼んでいた。それについて斎藤は何も言わなかった。べつに兄弟の盃を交わしたわけではないので、その方が斎藤にもしっくりきていたのだと思う。俺と斎藤は正式な組員ではなく、構成員という形で働かされた。べつにヤクザになりたくて、なったわけじゃない。  斎藤は、いい奴だった。俺の世話をしてくれたり、組員に怒られているところを庇ったりしてくれた。俺と斎藤は、プレハブ小屋の隅で寝泊まりしている。ヤクザになるなんて言ったら、親父は激怒するだろうから何も言わないで家出した。聞くと、斎藤も同じような理由だった。他にも組員の下っ端の兄貴たちが3人いて、5人で寝食を共にしていた。昼夜共にしているから、半分家族みたいなもんだ。高校の頃のボコられた話を冗談半分で咎めたりするが、本当にいい先輩だった。  他の兄貴分たちは、なんの仕事をして金を稼いでいるか知らない。知っているのは、繁華街でのスナック経営と、商店街から取るみかじめ料くらいだ。あとで知ったのだが、縄張りを広げたい隣町の組から、玉城会はみかじめ料を取ることで隣町の組に手出しできないようにしていた。みかじめ料を取っているところに手出ししてはいけないのは、当時のヤクザの暗黙のルールなのだそうだ。俺には弱いものから金を取っているようにしか見えていなかった。現に、みかじめ料を払っている時の親父の背中は小さく見えていた。  その不満を斎藤にぶつけてみたところ、その暗黙のルールとやらを聞かされたのだ。反論されたのが癪に障り、だけど弱いものから金を取っていることにかわりはない、と言うと、お前なぁ、と斎藤に頭を小突かれた。 「お前だって、高校の頃、俺を見りゃ金取ってったじゃねえか」  言い返す言葉がない。 「俺は、組員になりたいんだよな」  早朝から起きて洗濯物を干している時、独り言のように斎藤が言った。 「お前はいいよ。俺なんかより喧嘩強えからな。だけど、俺にはなんも無え。バカだから、他にやれることも無え。この道で突っ走るしかねえんだよ」  聞いていて、体の真ん中が痛くなった。俺も喧嘩は強くない。ジュウイチとケイトがいたからイキがっていられた。俺も1人じゃ、斎藤くらいに弱い。斎藤の言葉が、自分に降りかかってくる。もう、後には引けないということだ。 「俺、桜庭さんみたいになりてえんだよ」  今度は俺の目を見て言った。  桜庭は、玉城会でのNo.2。若頭だ。組長の玉城幸三(たまきこうぞう)には、ほとんど会ったことがない。構成員の俺たちは、簡単に会える人物ではない。組長を乗せた車が事務所の前を通過する時に、何度か見たことがある程度だ。  実質、組を動かしているのは桜庭だった。着ているスーツは上等だし、頭も切れる。それに怖いけど、優しい。俺たちを守ってくれている。どこからどう見てもヤクザの人。みんなの憧れの的だった。何よりもカッコよかったのが、背中の刺青だった。桜庭の背中には、物凄い形相で睨む阿修羅観音が描かれていた。  構成員を続けて半年。給料というほどの金は貰っていない。だが俺と斎藤は携帯代を自分で払えるくらいのお小遣いを桜庭から貰っていた。実際は他の組員にも同様のことをしているのだろうが、他の組員には内緒だと言われてると、自分たちが特別な人間に思えて虜にされてしまう。まだ若かった俺には、そんな桜庭がクールに見えた。  久しぶりにヤマトに連絡した。  いつか桜庭のような阿修羅観音を背中に入れたいと思い、早く彫り師として育ってくれ、とヤマトに催促するつもりだった。まだ盃も交わしてないのに、桜庭と同じ彫り師に頼むことなんかできない。桜庭だって紹介してくれないだろう。それに、ヤマトに刺青を入れてもらう約束してあったから、俺の背中を預けるのはヤマトしかいない。 『いいよ。いつ入れる?』 「えっ、もうタトゥー入れられんの?もっと修行を積んでから彫り師にかるんじゃないの」  ヤマトの間の抜けた返答に、こちらが呆気に取られてしまった。 『和彫と違って、そういう仕来(しきた)りみてぇの、無いんだわ。こっちは客から注文さえ入れば、バンバン彫ってるよ』  そういうもんなの?俺はまだ入ったばかりだから、纏まった休みが取れないだろうと、予定を組めず、もう少し偉くなったら東京へ行くと約束して電話を切った。  その話を斎藤にすると、斎藤はすぐに桜庭に伝えた。この野郎、密告(ちく)りやがって、と内心腹を立てたが、桜庭は、じゃあ明日にでも行ってこい、と快く受け入れてくれた。 「でも、自分はまだ下働きの身で......」 「何言ってんだ。まだ組員でもねえじゃねえか。構成員って言ったって、帰るところねえ奴を住まわせてやってるだけだ。そんなもん、自由だろ」  半分は桜庭の優しさ、でももう半分はまだ認められていない寂しさを感じた。一緒に事務所暮らしをしている連中からも、なんのお咎めなしだった。「お前に彫り師の友達がいるとはな」「俺よりも先に入れるなんて生意気な奴だな」「俺にもその彫り師紹介しろよ」「そんな昨日今日に彫り師になった奴の絵なんか入れられるかよ」巫山戯(ふざけ)たことを言って、みんなで盛り上がった。  今考えれば、桜庭も他の組員も、俺が長続きしないだろうと思っていたのに違いない。不良が町でフラフラしているより、自分たちの元に置いてやることで、世間の冷たい目から守ってやるという桜庭の優しさだったのかもしれない。アホで若いだけの俺はそんなことも気づかず、絶対カッコいいの彫ってもらいます、と意気揚々と東京へ向かった。東京への電車賃も、みんながカンパしてくれた。  東京へ着いた俺は、地元との違いに度肝を抜かれた。てっぺんが見えないくらいの高い建物。車道を走る車の数。どこを見ても、店、店、店。それよりも多いのが人の数。地元の祭りの時でも、こんなに人はいない。それに表情の読めない顔の数。みんな黙って歩いているのに、やたらと雑音がうるさい。車のブレーキ音やクラクションの音で頭が痛くなる。よくこんなんで事故らねえな。  情報番組なんかで見たりして、ある程度は想像してたものの、初めて見る東京の凄さに圧倒されていた。  ヤマトが待ち合わせ場所に指定したのが渋谷だった。渋谷くらい有名な場所ならわかりやすいとタカを括っていたが、まず乗り換えがわからない。東京駅を降りてすぐだと勘違いしたたが、乗り換えが必要らしい。地元だと乗り換えなんてない。なぜ電車に乗っているのに目的地に着かないのだ。ヤマトに連絡をとって乗り換え方法を聞く。「山手線で1本だよ」って言うが、何を数えているのだ。「新幹線降りたら、上に表示が出てるから、その通りに進めばいい」と言う。総武線、中央線、丸の内線、いったい幾つ電車が走ってんだ。その当時は新幹線で品川駅がなかったから、東京駅での乗り換えパニックに陥った。新幹線降りてから、ずっと上を向いて歩いていた。こんなところ一生来たくない、と今でも思っている。 「アヤト、到着〜」  と、呑気なヤマトの声に振り返ると、また度肝を抜かれた。そこには高校の時の爽やか不良のイメージからかけ離れた、全身タトゥーだらけの男が目の前に立っていた。  
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