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第37話 阿修羅 誕生
太陽の光プラス人の熱気で、アスファルトが歪んで見えるほど暑い日だった。
まだ9月に入ったばかりで気温が高く、みんな夏の装いだった。ヤマトも派手な柄の半袖Tシャツ1枚だったが、問題はその腕だ。左腕にはビッシリとタトゥーが入っていた。桜庭の和柄と色彩が違い、カラフルでドクロやヘビ、ハートにナイフが刺さった絵柄、チェーンが腕に巻き付いているような、袖から出ている腕から手の甲にまで色んな絵が入っていた。
でも、もっと驚いたのは、顔だ。額や頬にも白黒の柄が入っている。どこかの部族か、洋画で見る世紀末を舞台にした悪役にも見える。カッコいいのを通り越して、怖い。田舎っぺの俺でもわかりやすいようにハチ公前で待ち合わせをしていたが、犬の銅像の前に刺青だらけの男の組み合わせは、異様だ。
むかしは色白で不良のくせに印象が爽やかだった。ヤマトは5人の中でも女にモテる方で、不良のくせに人懐っこい優しい目をしていた。
「驚いた?」
目は優しいままなのだが、そこに目がいかない全身柄柄人間になってしまった。そして、こんなタトゥー男がいるのに、周りの人間は彼に目もくれない。こんな奴、地元にいたら好奇の目に晒されて町中に噂が広まってしまうのに、東京ではこんな奴は珍しくないのか。俺は、こんなところに住めない。
「い、いや。でも、驚いてないというと嘘になる」
俺のリアクションに、ヤマトはケラケラと笑う。むかしと変わらない笑顔がそこにあった。
「早速だけど、うちのアトリエに行こう」
「アトリエ?」
「ああ。えっと、うちの店」
店って、そんなに手軽な感じなのか。刺青を入れるって言ったら、辺鄙な場所に建っているお屋敷だとか、怪しい建物の地下とか、外からわからないような場所で行われると思った。周りに聞かれてはマズいから、隠語で『店』と呼ぶのだろうか。
渋谷駅から歩き交番の前を通った。警官もこんなタトゥー男がいるのに目を向けない。人混みの中をスタスタと歩くヤマトの後についていくのがやっとだ。どっち方向に向かっているのかわからない横断歩道を渡り、『渋谷センター街』と書かれたアーチを潜った。
さっきの駅前でこんなに人が大勢いるのかと嫌気が差したが、この道は更に人が多くなった。この道は地元でいうところの商店街みたいなものか。田舎町じゃあ肩がぶつかっただけで喧嘩になっちまうが、ここじゃあ肩が触れないようにするだけでも難しい。人とすれ違う時、バックやどこかの店の紙袋なんかが足に掠ったりしているが、誰も気に留めてなんかいない。若干だが、全身タトゥーのヤマトを避けるように人波が割れている。やはり都会の人間も、このような風貌の男は警戒されるようだ。
「顔まで、やっちまったのか?」
雑踏の中、少し怒鳴るように声を張って聞いてみた。
「もう入れるところ無くなっちゃってさ」
ヤマトは、Tシャツの裾をペロンと捲った。腹や胸にも色んな柄が入っている。
「自分の体使って練習するんだよ。まだ新人だから、顧客がついてないからね。一応、練習って言ったって、自分の体に彫るわけだから本番なんだけど。自分のタトゥーを見せて、気に入ったらお客さんが依頼してくれるんだよ。まあ、自分の体がカタログみたいなもんだね」
そんなことを軽く言う。練習っていうと、他人の体にするものだと思っていたが、自分で入れているのか。そう言われてみると、利き腕の右腕にはタトゥーが入っていなかった。
「お前、母ちゃんに怒られねえか」
自分でも随分子供染みた質問だなぁ、と聞いたことを後悔したが、「だよねえー」と軽く返された。「だよねえー」って言葉が、凄い都会の言葉遣いに聞こえた。ヤマトは、すっかり東京の人になっている。
「まあタトゥーアーティストになるって親に言った時点で、ほぼ勘当されたようなもんだからな。顔に入れる時は、一瞬迷ったけど、どうせもう田舎には帰れないしな」
ほんの少しだけ、寂しい目付きになった。
「でも、こうやってアヤトに会えたから。ケイトはね、東京の学校に来てるから、2回くらい飯食いに行ったかな。ジュウイチも神奈川だから、会いに来るって言ってた」
そう言って、俺の顔を覗き込んできた。俺の反応を見ているのだろう。東京まで来て、アイツらの名前を聞くのは、ちょっと面白くない。
「もちろん、今日アヤトが来ることは、ケイトに言ってないよ」
俺の様子を見て、頃合いかと思えばケイトも呼ぶつもりだったんだろう。俺は、未だにアイツらを受け入れる心の準備ができていなかった。ヤマトは、俺の小さな心の動きも見逃さない。
「まあケイトも、俺が顔にも入れたの、ちょっと引いてたからな。誘っても来ないと思うから、大丈夫」
そんな話をしていると、ヤマトは雑居ビルの前で足を止めた。
「ここが、うちのアトリエ」
「ここ?」
どう見ても普通の貸ビル。1階がラーメン屋で、ビルの看板には居酒屋やカラオケスナック、質屋や雀荘なと、バラバラな業種の名前が並んでいた。そこに『5F Snake and Rose』という看板が出ていた。小さな文字でタトゥースタジオとも書かれている。
「どうする?先に、飯にする?」
そう言えば新幹線の中でサンドイッチを食べただけで、その後何も食べていない。人混みで腹がいっぱいになっていたが、時間を見ると昼過ぎていた。ヤマトを最初に見た時の衝撃は薄れていた。見た目がタトゥーだらけになっていても、中身が全然変わっていなくて安心したせいか、腹も減ってきた。
「何、食べる?」
返事もしてないのに、俺の考えていることを読み取る能力は健在だ。ヤマトに超能力があるのか、それとも俺がわかりやすいのか。
「なんでもいいよ。ここのラーメンでもいい」
俺は1階のラーメン屋を指した。正直、この人混みの中を動き回るのに疲れた。
「あー、ここのラーメン、安いけど不味いんだよ。給料前の金無い時はここで食うけど、せっかくアヤトが東京来たんだし。美味い物食おうよ。近くにイタリアンの店があるんだけど、パスタとかピザでもいい?」
ここへ来て、ヤマトの口から『パスタ』という言葉が自然と出ていたことに少し驚く。俺だって『パスタ』くらいわかる。でも、どこがスパゲティとは違うのか。東京では『パスタ』の方が標準語なのか。
「おう、パスタな。いいよ。食おうぜ」
『パスタ』という単語を口にしると、凄え恥ずかしい。俺の生まれて初めてその単語に、ヤマトは嬉しそうに笑う。コイツ、態と揶揄っているのか。
オドオドしながら、ヤマトの後についていった。10分も歩かない距離にそのイタリアンの店はあった。店先のウインドウに麺をフォークで持ち上げたナポリタンの食品サンプルがあると想像していたが、なんとも洋風の小屋といったお洒落な趣きで、もちろんそんな食品サンプルを飾るウインドウは無い。
席についてメニューを開くと、なにやら文字が書いてあるが写真が無い。それに、どれも千円以上で田舎の食堂に比べたら、値段が倍以上する。
「なんでも食いなよ。俺が奢るから」
ヤマトが胸を張って、手をヒラヒラさせる。金額で迷っていると思ったのだろうが、メニューがわからない。英語なのかイタリアン語なのかアホな俺でもわかるようにしてくれてあるのか、カタカナでふりがなを振ってくれてある。しかし、その意味がわからない。ヤマトにカッコつけてても仕方ないので、俺は正直に言った。
「なんの食い物か、メニューがわからん」
また嬉しそうにヤマトは笑う。
「俺、いつもボンゴレのスープパスタなんだけど、アヤト、貝とか食える?」
「カイ?」
「あ、えーっとね。アサリ、アサリは食える?そう言えばアヤト、魚介類ってダメだったっけ?」
「あー、あんまり好きじゃねえ。いや、むしろ嫌い」
「じゃあね。辛いのは大丈夫だったよね。シンプルにペペロンチーノにすれば?」
「なんだ、そのギリギリな名前は」
「何を想像したんだ?えっと、オリーブオイルにニンニクと唐辛子入ったやつ。ここのペペロンチーノのは、マジで美味いよ」
「じゃあ、俺、そのペロペロ......」
途中まで言いかけたところヤマトに遮られ、すみませーん、と厨房の方に向かって手を挙げた。白い服に白い帽子を被った男が厨房から出てきた。男は外国人だった。捲り上げた腕に小さいタトゥーが入っていた。
「オウ。ヤマトの友達か?今日、何にスル?」
ヤマトはここの常連らしく手際よくオーダーした。パスタ2種類の他にチーズのピザも1枚一緒に頼んでいた。
「俺、初めてここのピザ食った時、びっくりしたもんね。半分ずつ食べよう」
なにがびっくりするのかと期待していると、見た目にびっくりした。溶けたチーズの上に洋梨が乗っている。もう1種類乗っているのはイチジクか。果物が乗っているというのに、黒胡椒がふりかけてある。黄金色の液体の入った小瓶も一緒に運ばれ、その小瓶の中身はハチミツだと言う。ハチミツをかけて食べると言うのだが、これはデザートなのか。
「いいから、食ってみぃ」
久々に出会った時から標準語になっていたヤマトだったが、「食ってみぃ」と田舎のイントネーションになったのが、少し安心した。
わからん。なんと言ったらいいかわからないが、今までにこんなに美味いものを食ったことはない。次に運ばれてきたペロペロなんとやらも、具が何も無い手抜きスパゲティと思いきや、ものすごく美味い。この人混みには耐えられないが、こんなものが食えるなら東京に住んでもいいかもと、一瞬だけ思った。
食後のコーヒーを飲みながら、ヤマトは俺に左腕を見せた。
「これ、俺が初めて腕に入れたタトゥーなんだけど」
なにやら4行くらい筆記体で文字が書かれていた。俺は、この筆記体というものが苦手た。このモニョモニョっとした字を見て、ただでさえわからな英語を、なんでこんなに読みにくくしてしまうのか理解不能だった。
「ここにさぁ。4人の名前、彫ったんだよ」
ヤマトは1つ1つ説明してくれた。上から2番目にジン、ジュウイチ、ケイトと続く。1番上には『AYATO』と掘られていた。自分の名前が1番上というのに、少し気恥ずかしく、そして素直に嬉しいと思えた。
チラッと俺の顔を見た。変な間が空いてしまった。ヤマトは、みんなが繋がっててほしいと思っているんだな、と思うとなんだか申し訳ない気持ちになった。俺は本当に小さいことを引き摺ってしまっていたんだ、と情けなくもあった。
「気が向いたら、連絡でもしてみるよ」
俺が言うと、ヤマトは顔をクシャクシャにして笑った。結局、俺は自分から他の3人とは連絡を取ることができないだろう。
「さあて。アヤトの背中に入れる絵を決めようか」
俺たちは2杯目のコーヒーをおかわりして、早速本題に入った。
「ドクロでもなんでも入れられるよ。俺、新人のわりに筋がいいって結構褒められるんだよ。何入れる?あれか、アヤト『聖闘士星矢』好きだったよね」
俺は子供の頃、週刊ジャンプの中でも1番聖闘士星矢が好きだった。
「ペガサスの絵なんか入れちゃう?」
「いや、それ、結構興味あるんだけど、俺、ヤクザだよ」
厳密には構成員なのだが。
ふと気づいたのだが、今日のヤマトは饒舌だった。むかしは言葉少なめで、俺が一方的に喋っていることの方が多かったが、今日はヤマトの方が喋る。久々の再会でテンションが上がってしまっているのは、俺だけじゃない。
「えっと、じゃあ龍?虎?ん、ヤクザの刺青ってどんな絵だっけ?」
よくよく考えてみると、刺青ってどんな種類があるか意外とわからない。龍や虎を入れて、スカジャンみたいな背中にされてしまっては困る。ただ俺には、もう入れる絵は決めてあるのだ。桜庭と同じ絵だ。
「俺、阿修羅観音入れてほしいんだけど」
「阿修羅観音って、どんなのだっけ?」
俺も桜庭の背中はチラッと見たことがある程度。若頭に刺青の写真撮らせてください、なんて言えない。それに全く同じ絵では怒られる気がする。マネではダメなのだ。ただ俺の気合として、同じ題材を彫ってほしい。
「アトリエで調べてみるよ」
飯を食い終わって、またさっきの雑居ビルに戻った。
5階に上り、ヤマトの仕事場に入った。ワンフロアに机と椅子が並べられ、各々の彫り師たちが客を前に、ひたすら作業に取り掛かっている。
俺が想像していた畳の上で寝ている客の背中に、和服を着た彫り師が作業している光景はない。どちらかと言えば、工場みたいな音がする。万年筆みたいなペンタイプのものを細かく動かしている人や、電気ドリルみたいな工具を使っている人もいる。工場みたいな音を出してるのは、その電気ドリルみたいな工具だ。
彫り師たちはヤマトよりも全身タトゥー人間で、驚いたのが女の彫り師がいたことだった。客の方も若い女が腕やら肩に、バラやハートのタトゥーを入れている。
「テッシーさん。ヤクザの刺青の写真集って、どっかにありましたっけ?」
ヤマトが「テッシーさん」と呼んだのは髪の毛を細い三つ編みにして、顎髭も編んであるインディアンみたいな年長者だった。
「あ?ヤクザの?んー、なんか参考になるかと思って買ってきたのが1冊あったな。そこの棚、探してみろ」
テッシーさんは客の足にタトゥーを入れていた。客の前に対面で椅子に座り、自分の膝の上に客の足を乗せ、足首にチェーンの柄を入れている最中だった。
「あ、あった、あった」
むかしはまだパソコンがそんなに普及していなくて、そのアトリエやらにもデスクトップのパソコンが置いてはあったが、検索に時間がかかるため、こういう場面でも写真集やカタログを使うのが一般だった。
「ないなぁ」
写真集を捲るも、お目当ての阿修羅観音が載っていない。龍や鯉、侍みたいな刀を持った人物の絵。金太郎の絵まであったが、阿修羅観音がない。
「はーい。じゃあ休憩ね」
1人の女性スタッフがドリルを机に置き、女性の客の腕にガーゼを当てていた。
「しばらく押さえててね」
そう言ってパソコンに向かった。
何か調べているが、画像が立ち上がるのが部分的に出てくるため時間がかかる。どうやらこの女性は、阿修羅観音を調べてくれているようだ。
「ヤマトくん。阿修羅観音って、これでしょ」
パソコンの画面に映し出されるのは、いろんな寺院の阿修羅観音像。ヤマトはそれを見ても、んー、と顰め顔をしていた。
「もっと迫力がないと、ダメだよねえ?」
パソコンの前に呼ばれると、ヤマトはいろんな写真を見せて俺に聞いてきた。たしかに、画像で見る阿修羅観音像はみんな無表情で、それが刺青になることが想像できない。桜庭の背中の阿修羅観音は、もっと迫力があった。
隣でパソコンを覗き込む女性スタッフが、ねえ、これは?と聞いてきた。
マウスでスクロールすると時間をかけて画像が出る。
それは漫画キン肉マンで出てくるアシュラマンの画像だった。アシュラ面「怒り」の赤い顔だったから、相当な迫力な絵面。
「じゃあ、この阿修羅観音像をベースに、アシュラマンの迫力を入れていくで、いい?」
俺はヤマトの画力に任せることにした。
こうして俺の背中のポップな阿修羅観音の刺青が出来上がった。3日かけて色まで入れると、ヤマトとはまた会う約束をして、早急に地元に帰った。
事務所に戻り、組員たちの爆笑を掻っ攫ったのは、言うまでもない。
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