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第40話 斎藤と舜
斎藤が死んだ。
交通事故と知らされた。でも、それは嘘だ。兄貴たちに聞いても誰も答えてくれない。盃を貰ったばかりの人間が、次の日に交通事故で死んだ。この間、手打ちがどうこう言っていたのは、こういうことだったのか。アホな俺でもわかる。
手打ちの意味は、他の兄貴に教わった。同じような条件を出して和解することなのだそうだ。同じような条件。斎藤が構成員では、条件が合わなかったということか。だから組員にするために急遽盃を交わしたのか。じゃあ、なんで斎藤じゃなきゃいけなかったのか。大事な組員を差し出すわけにはいかないから、構成員だった斎藤なのか。
やっとヤクザになれたのに、それが1日で殺されちゃうなんてあんまりじゃないか。
くだらねえ。本当にくだらねえ世界に足を入れちまった。
そんなこと誰にも言えない。それは俺の推測であって本当に交通事故なのかもしれない。真相もわからない。桜庭や桑山になんて聞けない。交通事故ってことは、警察だって調べてるはずだ。もしこれが桜庭の言っていた手打ちだとして、それが交通事故として処理されたとなれば、警察だってグルだ。そんな話だったら、俺が1人騒いだところで、何にもならない。
兄貴の1人が俺に気を遣ってくれて、今日はなにもしなくていい、と言ってくれた。
葬儀の日程を確認すると、明日がお通夜で明後日が葬式だった。
「辻村。お前、葬儀出てやりぃ」
一緒に住んでいる1番下の兄貴に言われた。
「え?兄貴たちは」
「俺らは、ヤクザもんやから親御さんに顔向けできんから行くなって桑山さんに言われちょる」
自分達は組員で、俺だけ構成員だから一般人だと言いたいのだろう。お前らを助けるために犠牲になってんだろ、と言いたかったが堪えた。ビビって言えなかったのが正確かもしれない。兄貴たちが行かないなら俺も行かないと言い張ったが、お通夜くらいは行けと言われた。
「お前は、友達として行ってやれ」
友達か。たしかに、俺に友達と言える人間は、今、斎藤だけかもしれない。
お通夜の当日、俺はなにもやる気がしなかった。兄貴たちは俺を咎めることなく、洗濯と掃除をしていた。俺や斎藤が来る前は、兄貴たちもそうして暮らしていたのだ。俺は夕方、兄貴たちに謝り、斎藤の実家に向かった。
「明日から、ちゃんとやります」
そう言うと、気にするな、と言ってくれた。兄貴たちも、本当は斎藤が犠牲になったことを納得していないのだろう。だけど、上にはなにも言えないのだ。
斎藤の実家に向かう途中、岩爺とばったり出会した。岩爺も、斎藤のお通夜に向かっていたのだ。
「お前、玉城会にいんのか」
俺は返事をしなかった。返事をしないことで、肯定したも同じだった。多分、色々言いたいことはあるのだろうが、渋い顔をして押し黙っていた。顔の中央に皺が寄って、岩みたいな顔をしていた。
「お前と斎藤が仲良くしちゅうとはなぁ」
「べつに。そんなんじゃねえし」
せっかく出てきた会話が、すぐに途切れた。黙ったまま、斎藤の実家まで歩くしかない。
斎藤の家に着くと、斎藤の母親は岩爺を見て、深々と頭を下げた。同じ高校の不良どもは、大抵岩爺に世話になっている。保護者も同じだ。
斎藤の母親は、髪もボサボサで憔悴しきっているようだった。母親と目が合ったので、2年後輩の辻村といいます、と名乗った。「どうも...」と頭を下げながらモソモソとした言葉で何かを言っていたが、俺には聞き取れなかった。
家に上がると、あぐらをかいて酒を飲む父親の背中が見えた。岩爺が声をかけても、返事をしない。
すみません、と弱々しい声で母親が言う。
岩爺は先に線香をあげた。俺も続いて同じようにした。お通夜に生まれて初めて来たので、なにをどうしたらいいのかわからなかった。斎藤の顔には白い布がかけられて、俺も岩爺も、それを捲って顔を見ることなんて出来なかった。
母親は足を崩して座り込み、項垂れたまま、ありがとうございます、と聞き取れないくらいの声量で言った。しばらくの沈黙が続き、母親は、はぁー、と溜息を吐いたあと、
「やっと帰ってきた思うたら、こんなのになって帰ってきよって。本当に親不孝者だよ」
重い空気が立ち込めていた。俺も岩爺もなにも言い返すことができなかった。
外はすっかり暗くなり、空気が冷えてきた。重い空気を引き摺って、目的もなく2人で歩いていた。ラーメンでも食うか、と岩爺に言われたが、俺は断った。
「お前、これからどうすんだ?」
どうしたらいいのか、わからない。岩爺も同じようだ。在学中の岩爺とは距離を感じる。黙々と歩くしかなく、気がつけば玉城会の事務所の前に着いてしまった。
岩爺にはとっくにバレていることはわかったが、自ら肯定するように事務所に入るところを岩爺に見られるのは嫌だった。俺の帰る場所はここしかない。今更、誤魔化しても仕方がない。
「お前は、それでええのか」
岩爺の声が背中で聞こえた。俺はこちらの世界を遮断するように、乱暴に事務所の扉を閉めた。そんなこと聞かれたって、俺にもわかんねえよ。
その翌日、何事もなかったようにいつもの1日が始まる。兄貴たちは斎藤の話題には触れなかった。俺は兄貴たちにも絶望していた。かといって、ここを飛び出すこともできない。むしゃくしゃする気持ちを隠し、いつもと変わりない生活を続けた。俺と兄貴たちの間には、いつも斎藤がいた。その斎藤がいなくなったという現実だけが変わった。他になにも変わりはない。
良いことが続くこともあれば、悪いことも立て続けに起こることがある。
斎藤がいない生活を、自分の気持ちを誤魔化しながら2週間耐え、久しぶりの舜と電話をする日。情けない兄だが、アイツの声で元気をもらおうと電話した。
電話をかけると思っただけで笑みが溢れてきた。だが、何コールしても舜は出ない。時間は夜の10時を過ぎている。やはり強豪校でレギュラーになると夜遅くまで練習するのかもしれない。もしかしたら、疲れて寮に帰った途端眠ってしまったのかもしれない。
元気をもらうために自分の都合でしつこくしてしまうのもいけないので、明日まで待つことにした。しかし、翌日になってもかけ直してこなかった。
3日経つと、
さすがにおかしいと思い、何度もかけ直した。舜に何かあったのかもしれない。過度な練習のし過ぎで部屋で倒れているとか。心配事は膨らんでいく。
学校の寮生活で舜の身になにかあれば、学校から連絡があるはずだ。連絡があるとすれば、実家だ。
実家の電話番号は携帯アドレスには入れていない。でも、小さい頃から何度もかけている番号だ。今でも暗記している。
両親と話すのを避けたかったが、背に腹は変えられない。
俺は覚えている数字を順番に押した。「はい」と不機嫌な親父の声。俺の実家は定食屋の方の番号と、住まいの方の番号がある。親父は住まいの方の電話に出る時は、基本無愛想だ。俺の声を聞いて、更に機嫌が悪くなった。
『母さんに替わる』
愛想というものを削れるところまで削ると、こういう声になるのだな、と感じるほどの冷たい言い方だった。親父が母ちゃんに替わってくれたのは、俺にとっても好都合だった。このまま親父と話しても、なにをどう切り出していいのかわからない。
『綾人かね。いったい何の用だね』
母ちゃんは、努めて無愛想な言い方にしているが、親父のとは違う。建前上、親父の前でそうしているのだろう。
俺は舜が携帯に出ないことを何かあったのではないか、何があったか知らないか、と聞いた。
『舜ね。今、学校に行ってないのよ』
「なんでだよ!」
母ちゃんに怒っても仕方がないが、やり場のない怒りで語気が強くなってしまった。
『なんかバスケ部の人たちと、うまくいってないみたいよ』
心臓を何かで抉られた気分だった。俺の大切なものが、どんどん壊されていく。
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