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第41話 仕返し
『あの子、2年でレギュラーになったっていうのはアンタも聞いてるんでしょ。同じ学年の子や、レギュラーから落とされた3年生から、ちょっとイジメみたいなのにあったみたいなのよ』
「強豪校なのに、そんなくだらねえことで、なんで舜がそんな思いをしなきゃなんねえんだよ!」
『そんなの知らないわよ。本人もなんとか気持ちを立て直すからって。ちゃんと学校行くからしばらく放っておいてくれって。だからアンタが首を突っ込むんじゃないよ』
クソガキどもが。自分たちが才能がないくせに、努力をしている舜になんてことしやがる。体が熱くなってきた。視界が歪んで見える。体の細胞がグラグラと煮えたぎる。電話を切った後も、携帯を握りしめたまま朝になってしまった。
俺は朝一の新幹線に乗って、京都に向かっていた。
京都も都会だった。でも東京ほどではない。
その都会さ加減に圧倒される余裕はなかった。俺は駅員や駅の利用客、目が合えば手当たり次第に舜の通う高校への行き方を聞いて回った。
時間の感覚なんてない。とにかく着けばよかった。まだ体の血が煮えたぎっている感覚が続いている。
目的の場所付近に来ているのだが、どれが高校なのかわからない。田舎の学校なんて100メートル先からでもわかる。校舎があって、運動場があって、周りは金網のフェンスがある。どこからどう見ても学校だ。だが、都会の学校は雰囲気が違う。
交番を見つけたので、警官に聞こうと交番を訪れた。俺の風貌では警官に不審がられるとわかってはいるが、選んではいられない。机の上で書き物をしている警官と目が合い、舜の高校の名前を出そうとすると、交番の前のレンガの塀に囲まれた建物が目に入った。もしやと思い、交番の外に出てレンガの塀の建物を注視すると、建物の窓の中が教室のような雰囲気。
「なんですか」と警官が立ち上がったので、やっぱりいいです、と断り、レンガの塀の方へ向かった。塀伝いに歩いていくと門へ辿り着いた。門には舜の通う学校の看板が埋め込まれていた。
俺はズカズカと足を進ませた。どこへ向かっているのか、なにを探しているのかなんて頭で考えていない。行き交う生徒たちがこちらを見ているのがわかる。そんなのは無視した。足が勝手に動いている。耳に届いた音は、連続して打ち付ける音と、ゴムが擦れる音。バスケットボールとバッシュの音だ。ドーム型の屋根の建物が視界に入る。体育館だ。匂いでもわかった。バスケの匂いだ。
俺は足を早めた。
体育館に入ると、バスケの練習をしている生徒たちがいた。5対5の試合形式の練習だ。当然、バスケ部の連中だ。
ドリブルをしていた生徒が、俺を見て走るのを止めた。バスケ部全員が、こちらを見ている。都合がいい。片っ端からぶん殴ってやる。
「俺は辻村舜の兄だ。舜に文句がある奴は出て来い!」
派手なアロハシャツを来て、見た目ヤクザみたいな男が乱入してきたせいで、みんな動きを止めていたが、俺の正体が舜の兄だとわかって、場の空気が少し緩んだ。まさか、自分達の部員の兄弟がヤクザなんて思わないだろう。ましてや舜のような真面目なスポーツマンの兄なヤクザであるわけがない。実際はヤクザの構成員だが、そんなものは関係ない。
部員の中で、ちょっと目付きの鋭い奴が前に出てきた。ガタイも良く、少し喧嘩慣れしてそうな調子に乗ったような奴だった。気に食わねえ。
「なんだよ、アンタは。辻村が勝手に......」
喋っている途中の横っ面を思い切り叩いてやった。不意の平手打ちにバランスを崩し、派手にコケやがった。なんだコイツ。体幹がなってねえんだよ。キャー、と女子マネージャーと思われる女子生徒たちが悲鳴をあげた。
「他に文句がある奴は、誰だ!」
全体が後退りした。俺は土足のままバスケットコートに入り込む。
「2年、全員出て来い!あと、3年でレギュラー降ろされた奴は誰だ!オメエか!」
近くにいた奴の胸倉を掴んでやった。メッシュ素材のペラペラなビブスが伸びて、そいつはほぼ上半身裸のような状態だ。僕じゃないです、と泣きそうな声で返事をした。俺はソイツを突き飛ばした。
「なんだね!君は」
そう叫びながら明らかに生徒ではない大人が駆け寄ってきた。多分、顧問かコーチだろう。体が細く、身長が高い。ついでに顔が長く、馬のような顔の男。
バスケ経験者なのだろう。やたらに手足が長い奴で、ソイツに肩を掴まれたので、殴り倒してやろうかとしてもリーチが届かない。シャツの襟を掴まれていて手も届かないので、コケるのを覚悟で思い切り足を蹴り上げた。その拍子に2人ともバランスを崩して、重なるように倒れた。ビリッとシャツが破けた音がした。
ヨロヨロと立ち上がると、またも女子マネージャーの悲鳴。俺の一張羅のアロハシャツが破けて、背中が半分以上露出していた。俺の阿修羅観音が体育館を覗いていた。もう面倒臭えからシャツを脱ぎ捨てて、もう舜の敵はバスケ部全員だと思い込み、片っ端から殴り倒そうとすると、むくっと起き上がって巨人がまた俺を羽交い締めにしてきた。
起きあがろうと頭突きをすると、巨人の顎にヒットした。巨人は涎を垂らして怒り、頭突き仕返してきやがった。奴の額は俺の鼻に当たった。パンッと鼻の奥でなにかが破裂し、喉には鉄の味のする血が流れ込んでくる。またも女子の悲鳴。ガガガァーと奇声を発すると、馬面巨人は俺の腕を噛んできた。なんだコイツ。人喰い人種か。
のしかかっている男の向こうに、笛を咥えた男が、笛をピーピー鳴らしながら近づいてくるのが見えた。さっきの交番の警官だ。明らかに不審者だった俺を見張って、ついてきていたのか。
俺は傷害と不法侵入で現行犯逮捕された。
一晩留置所に放り込まれたが、なぜか次の日釈放されることになった。一応、保護者として母ちゃんが迎えに来た。俺の電話の後、母ちゃんも心配になって舜の寮に様子を見に行こうかと思っていたところ、京都府警から連絡があり、慌てて迎えに来たのだ。警察官を前に泣きながら怒鳴られた。警官の説明によると、不法侵入の罪にはなるが、暴行にいたっては、高校側の教師も行き過ぎた点が多く、インターハイを目前とした時期にあまり大事にしたくない、ということらしい。無罪放免とする代わりに他言無用だと念を押された。母ちゃんは必ず同伴で帰ることをきつく言われたが、俺は警察署を離れたところで、母ちゃんを振り切って逃げた。俺はなにをやっているんだろう。
玉城会の事務所を無断で飛び出して行く当てもなく、俺は生まれて初めて漫画喫茶というところで寝泊まりした。田舎にはそんなシステムの店はなく、漫画の読める喫茶店はあるがホテル代わりになんかできない。料金はホテルよりも安いので、漫画喫茶に泊まった。シャワーなんかも使えて、しばらく寝泊まりするには充分だった。
俺は4日目にして有金を全部使い果たしてしまった。漫画喫茶というのは先払いのシステムだった。この先払いというのは、踏み倒せないから不便だ。追い出されるように漫画喫茶を出て、本当に行く当てがなくなった。
田舎に戻ろうとも電車賃がない。情けないが、俺は母ちゃんに電話をした。
母ちゃんは、まだ京都にいると言う。俺の件で、学校から呼び出しやらなにやらで、舜の寮の近くのホテルに泊まっていて、丁度今日、岡山に帰ろうとしていたところだった。
待ち合わせの京都駅で母ちゃんを待っていると、なぜか舜も一緒にやってきた。バカなことをしでかしたと反省はしているが、後悔はしていない。あれだけ部員の連中を脅せば、舜だってこれからイジメにあったりしないだろう。兄がヤクザなんだ。厳密には構成員だが、そんなの素人にはわかるまい。舜を邪魔する奴は徹底的に排除してやる。
「兄ちゃん......」
「おう。舜、会うのは久しぶりだな。もうこれでいらん心配はしなくていい。お前は、思う存分バスケに打ち込めるからな」
舜は、ぬぼーっとした目で俺を睨んでいた。
「なんてことしてくれたんだよ」
「え?ごめん。兄ちゃん、こんな方法しか浮かばんかった。でも、バスケやるのに関係ないだろ。もうお前に変な手出しする奴はいなくなって......」
「もう、バスケできないよ」
「な、なんで?なんでそうなった!」
「バカじゃねえのか。考えてもみろよ。兄弟がヤクザなんて。脅しをかけてくるような兄貴なんだぜ。そんな奴とどうやってチームプレーができんだよ!」
「なんでだよ。そんなのお前のプレーで見せろよ。上手けりゃ関係ねえだろ。もうお前に文句言う奴はいねえんだから」
「兄ちゃん、ホント、アホだな。そんなんで俺に誰が指導してくれんだよ。監督やコーチだって、俺のこと腫れ物としか思わなくなるだろ。どうやって上手くなれって言うんだよ」
「じゃあ、お前がチーム引っ張ってって、お前の思う通りのチームを作りゃいいじゃねえか」
俺と舜の会話を、母ちゃんは下を向いたまま黙って聞いていた。
「俺、チームのみんなに無視されて、朝起きても足が動かなくて。みんなと顔を合わせるのが怖くて、学校行かなくなった。でも、それは自分の弱さだって気づいた。みんなに無視されたからってなんだ。それは俺の甘えじゃないかって。俺のこと妬んだ奴らも認めるようなプレーができるように、立ち向かうって決めたんだよ。だから苦しくても、俺は朝起きて、辛くても朝飯無理やり捻じ込んで、嫌だけど朝寮を出て学校へ行ったんだよ!」
一生懸命に話す舜の言葉一つ一つに、うんうんと頷いた。俺なんかが手出ししなくても、舜は立ち直れる力を持っていた。やっぱり凄えや、舜は。
「学校行ったらさ、全校生徒が俺のこと変な目で見るんだよ。引き篭もったた俺が、登校してきたから珍しい目で見てるのかなって思ったよ。それは仕方ないかなって。教室着いたら、いきなり先生に呼び出されて、職員室で聞いたんだよ。『昨日、辻村くんのお兄さんが来てね』って。俺が勇気振り絞って学校行ったのは、兄ちゃんが暴れた次の日だったんだよ!」
なんか俺はとんでもない過ちを犯してしまったんだ。気づくのが遅かった。なぜもっと冷静になれなかったのか。俺は舜のためにと思ったことは、自分の怒りを抑えるだけの我儘だったんだ。こうなることを、なんで予測できなかったのか。
「母さん。俺、チケット買ってくるよ」
そう言って、舜は母ちゃんに手を出した。母ちゃんは財布ごと舜に渡した。舜は人混みの中、券売機の列に並んだ。
「あんたがバカだってわかってたけん、今回は本当にバカなことをしてくれたねえ」
俺はなにも言い返せない。
「あの子ね。先生は止めてくれたんだけど、学校辞めるって。変な噂が立つと困るから、バスケ部は辞めるしかなかったんだけど、学校の先生はね、高校は高校で卒業した方がいいんじゃないかって。あの子、成績も良かったから、バスケ部は辞めたとしても、せっかく入れた有名校で、大学への進学率も高い学校だから、辻村くんの成績ならいい大学に入れるって。大学でバスケすればいいじゃないかって。でもね、バスケやれないなら、この高校にいても仕方ないって。だから地元帰るって。一応連れて帰るけど、先生は退学は保留にして、一旦休学にしておきましょうって言ってくれてるけど、あの子お父さんに似て頑固だから」
母ちゃんは券売機に並ぶ舜の方をチラチラと見ながら、捲し立てるように早口で言った。舜がチケットを買い、こちらに向かってくるのを確認すると、本当にバカなことしてくれたね、ともう1度言った。
舜は戻ってくると、時刻表で見た次の発射時間を母ちゃんに言ってチケットを1枚渡した。そして1枚を自分のポロシャツの胸ポケットに入れ、最後の1枚を俺に渡してきた。
「兄ちゃん。悪いけど、俺の前から消えてくれないか」
目の前に見える風景が一気に崩れ落ちる。見えるものみんなの色が無くなったように見えた。舜は俺の返答を待たずに改札口へ向かった。俺はついていこうとするが足が重い。人混みを掻き分けることができず、母ちゃんと舜との距離がどんどん離れていく。
同じ発車時間の新幹線に乗ったのだろうが、舜と顔を合わせないように違う車両に乗った。
俺はなにも考えることが出来ず、目の前の座席の背凭れをずっと眺めていた。外の風景なんて見る余裕はなかった。今どこを走っているか、あとどれくらいで着くのかなんて、何にも考えられなかった。ずっと頭の中で、舜の言葉が連呼している。
俺の前から消えてくれないか。
岡山駅に着き、どこをどうやって歩いたか記憶にないが、辿り着く場所は1つしかない。ボロいプレハブの事務所だ。
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