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第42話 最後の仕事
引き戸を開けて、のそっと入ると組員のみんなが一斉にこちらを向いた。桑山の舎弟の長田が、周りの組員を押し退け、俺に近づいてきた。
無断で出て行って、何食わぬ顔で戻ってきたから2、3発は殴られる覚悟はしていた。
「クォラァァァァー!」
長田の先の尖った革靴が鳩尾に入った。俺は蹲った。少し胃液が出た。すみません、と言ったはずだが、言葉になっていない。
「ふざけんな、コラァァァァァッ!」
長田は、蹲っている俺の体を何発も蹴ってきた。その様子を見て、誰も止めようともしない。奥の方で桜庭が腕を組んで立っているのが見えた。
「ワリャあよう、ヤクザ舐めとんのか、え?!」
怒られるのは当然だ。無断で数日いなくなっていたのだ。ヤマトのところへ行くのを許してもらったみんなの優しさに甘えていた。ヤクザなのだ。勝手気ままにやっていたら、ヤクザを舐めてると思われても仕方がない。
長田の蹴りは、舜の怒りだと思ってしっかり受け止めた。俺はまだどこかで、舜のために仕返ししてやったと思っている。それが舜に迷惑をかけてしまったというのに。その思いを体から追い出すために蹴られていると思い込むことにした。顔面にも何発か入った。口の中で苦い味がする。
俺はこの罰を受け止め、組員に許してもらうしかない。俺はもうヤクザで上に上がることしか、生きていく道はない。
「ワリャあ、自分がやったことわかっとんのか!素人に手ぇ出して。そんでもワリャあ平気でここに顔出しやがって」
俺が無断でいなくなったことを責められているんではないのか。髪の毛を掴まれ、顔を上に向かされた。
「それに相手は、高校生と先公って。まだ学生気分か。まさか組の名前出しとったら恥やぞ、恥」
どうやら、俺が京都の高校に行ったことが知られてしまっているらしい。どこから情報が入るんだ。でも、そんなことどうだっていい。俺がやったことは舜だけじゃなく、組にも迷惑な行為だった。
「お前なぁ!そんな恥かかされとったら、組長や若頭だけやないんじゃ。お前の大事な親友の斎藤の顔、泥塗ることになるんやぞ!わかってんのか、コラァァァァァ!」
斎藤の名が出ると、事務所の空気がピンと張り詰めた。中には顔を顰めて拳を握りしめる組員もいる。斎藤はトカゲの尻尾を切るように、組は斎藤を犠牲にしたと思っていた。それがヤクザの常識なんだ、と割り切れないのは自分だけだと思っていた。その苛立ちを舜の同級生に向けた。短絡的で幼稚だった。斎藤のことを割り切れないのは、俺だけじゃなかった。浅はかな自分を呪いたくなる。
「すみません!俺、指詰めます!」
俺は起き上がり、長田の腰に差してあった脇差に手を掛け、テーブルの上に掌を置いた。小指だけ出し、拳を握りしめて、脇差を下そうとすると、長田にその拳を思い切り踏まれた。パキッと骨の音がして、俺の小指に激痛が走った。
「ワレの小指なんかに価値なんてあるか、このボケ!2度と顔を見せんな!」
長田が怒鳴り、最後にもう1度蹴飛ばされ、組員2人がかりで事務所から追い出された。
本当に居場所がなくなってしまった。
斎藤に申し訳ない。
舜に消えろと言われ、組には2度と顔を見せるなと言われた。もうこの町を出るしかない。痺れる小指を触ったが、折れてはいないようだ。脱臼しただけだ。あとで腫れるだろうが、そんなこと関係ない。
俺は町を出ていかなければならないのだ。ヤマトやジンたちのように何か目的を持って、町を出ていくのではない。町に居られなくなって出ていくのだ。なんとも後ろ向きな理由で、出ていかなければならなくなった。
でも、このままだと本当に俺はクソみたいな人生だったと後悔することになる。最後に一つ、ちゃんとした仕事を終えたい。
俺は斎藤を殺した人間を探した。組員としてでは手打ちの意味がなくなってしまう。殺した奴を見つけ、あくまでも個人的に揉めて殺したということにしなければならない。
俺は隣町に行き、隣の組の縄張りであるスナックで働くことができた。俺は広島で問題を起こし家出したので住む場所もないと言うと、住み込みで働けるスナックを紹介してもらえた。俺は事務所で掃除や洗濯しかしていなかったから顔が割れていなかった。
1ヶ月以上かかり、やっと情報を仕入れた。大久保という人間が殺したということがわかった。大久保は俺が働いているスナックの女に、ちょっかいを出してる男だった。俺は大久保に近づき、スナックの女と仲を取り持つ条件として金を借りた。これで借金を返せなくなり殺した、という動機を作ることができる。
しかし情報がガセであると困る。本人の口から確証を得なければならなかった。女が呼んでいるから、と閉店後のスナックに大久保を呼び出した。
「あれ?エミリちゃんは」
なんの疑いもなく、大久保は鼻の下を伸ばしてやってきた。
「すみません。エミリちゃん、いないっす」
「おいおい。冗談が過ぎるぜ。お前、俺をおちょくってんのか」
「違いますよ。ちょっとお伺いしたいことがありまして。大久保さん、この数ヶ月でいきなり羽振りが良くなったって聞いて。組で上に上がるコツなんか教えてもらえたら嬉しいかな、と。借りたお金を返したいですし」
「おう、でもあんな端金、返さなくてもいいぞ。お前、組に入りたいんか」
「はい。そうなんですよ」
「あのな、そういうのって運もあるんや。俺の場合、たまたま声がかかって、まああんまりみんながやりたくないような仕事やったから、俺ら下っ端3人呼ばれてな。誰がやれる奴って聞かれて、俺が立候補したんよ。それで、俺だけ大出世っていうわけ」
「あれですか。隣町との手打ちで、誰か殺したとか」
俺がカマをかけると、「なんで知ったんだよ」と一瞬警戒したが、「武勇伝って広まっちゃうもんですよ」と言うと満更でもない顔をしやがった。
「どんな感じなんです。そういう時って、相手の人も覚悟決めてるわけじゃないですか。やっぱり、そういう人殺すのって怯んじゃったりしません」
大久保は製氷機から氷を取り出すと、カウンターの上にあるウイスキーを注ぎ、ロックで一口飲んだ。
「あー、全然。もうソイツ根性ねえから、最後まで泣き喚いて。痛くしないでくださいとか、やっぱり殺さないでくださいとか。一応、殺してから車の運転席に乗せて、港に落とす予定だったんだけど。あんまりギャーギャー煩えから、弾外しちまって。ちゃんと殺せてねえけど、面倒臭えからそのまま海に沈めたんだよ」
俺はアイスピックを大久保の首に突き刺した。テメェ、と何か喋っているが、ガボガボと口から血が溢れて、うがいをしているような音しかしなかった。
「ゲベエ《てめえ》、ダブェダァ《誰だ》」
「俺っすか。アンタの殺した斎藤の大親友です」
「ダバギギャギギョギャギュガャ《玉城会の奴か》」
「構成員だった、って感じですけど」
アイスピックを引っこ抜いて、また数カ所刺してやった。助けて、とか、もうやめて、とか泣き言を言っていたが無視して刺し続けた。
「お前もよう。せめてちゃんと殺してやってっから沈めてくれればいいものを、斎藤さんは海ん中で苦しんだだろうな。お前も同じようにしてやろうか」
大久保は子供みたいに首を左右に振った。振る度に、首の両脇からピューピュー血が噴き出る。もちろん車なんて用意できないから、同じように海に沈めることはできない。
バケツにたっぷり水を汲んできて、両手を縛り、顔をバケツに突っ込んだ。ガボガボ言って暴れるので、すぐにバケツが倒れ、水が溢れてしまった。それでも、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、大久保は泣き喚いた。
「お前と斎藤さん、どっちが根性ねえんだよ」
「ぼきゅでしゅ、ぼきゅでしゅ!」
「ギャーギャー煩えんだよ!」
俺は頬にもアイスピックを刺した。大久保は体をガタガタ揺らし、泣き叫んでいた。俺も涙が出てきた。こんなのキツイ。斎藤さん、仕返しは、こんなんでいいかな。こんな残酷なの、俺が耐えられないよ。
「そろそろ、楽にしてやるよ」
大久保の膝は飛び跳ねるように震え、ギガャゲシュ《嫌です》、オゲギャイジガャシュ《お願いします》、とどっちかわからない返事を繰り返した。
俺は店のカウンターから長い包丁を取り出して、ゆっくり心臓の辺りを数回刺してやった。大久保がぐったりしたのを確認して、俺はその場から立ち去った。
俺は数ヶ月逃げて、空き巣や引ったくりで金を調達し、岐阜に潜伏しているところ逮捕された。
懲役15年を食らった。
今度こそ舜との約束を守れる。舜の前から消えることができた。
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