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「おまえだろ。おれの金盗ったの」
杉崎くんのランドセルからお金がなくなった。親から預かってきたという茶封筒に入っていたのは、一万円という途方もない大金。お昼休みがあと五分で終わるというときに事件は起こった。
疑われたのは、なぜかゴエモンだった。当の本人も、驚いたように杉崎くんを見上げている。
しんと静まり返る教室。空気の読めないミンミンゼミだけが窓の外で陽気に合唱していた。
「おれじゃない」
「嘘つくなよ。おまえ、石川五右衛門の子孫っていってたよな。石川五右衛門って盗むやつだろ? おれの母ちゃん、歌舞伎が好きだから知ってたんだ。なあ、おまえなんだろ? 頼むって。返してくれよ。あれ、スイミングスクールに払う月謝なんだ。あれがないと大会の練習できない」
杉崎くんはみるみるうちに目に涙をためた。日に焼けた腕もかさついた唇もぶるぶると震えている。
奥歯を噛みしめるゴエモン。握った拳が、こちらは小刻みに震えていた。
「盗ってないもんは盗ってない。おれじゃない」
クラスメイトたちの疑惑の目が、ゴエモンに突き刺さっている。目の玉すべてが教室の真ん中に集合して、いじめという火種に火がつきそう。腋にじとりと汗がにじむ。
こわい。
いじめそのものより、ゴエモンがその対象になることが。
だってみんな、わたしとゴエモンが一緒に学校に来ていること、知ってる。
鼓膜が、どっどっどっ、とうるさい。冷たい手で心臓をぎゅ、ぎゅってされてる気分。
ゴエモンが盗めるはずがない。だって、わたしはずっとゴエモンを見ている。学校にいるあいだじゅうずっと、目がゴエモンを探している。今日、ゴエモンが杉崎くんのランドセルに近づくことは一度たりともなかった。なにより、ゴエモンはおじいちゃんの窃盗の濡れ衣をいまでも憎んでいる。そんなゴエモンが、よりによって盗みなんてするはずがない。
いわなきゃ。ゴエモンじゃないって。みんなで探そうって。いわなきゃ。
そう思うのに、強く思うのに、わたしの舌は上あごにくっついてしまったみたいに離れない。いま声を出してしまったら、声がひっくり返ったりうわずったりしてしまうんじゃないかと、どうでもいいことまで心配になってくる。こんなときまで、わたしはわたしのことしか心配してない。ゴエモンが、友だちがつらいめに遭っているというのに。
「盗ってない。石川くん、盗ってないよ」
教室に響く舞台女優みたいな声。みんながいっせいに声のしたほうへ向く。
早瀬さんだった。
「石川くん、ずっとわたしと一緒だったから。今日のお昼休みも、図書室で勉強を教えていたの。石川くんが前いた学校より、うちの学校の授業のほうが進んでいるから」
教室が、またべつの雰囲気でしんとなる。早瀬さんがとどめを刺した。
「だから、石川くんなわけがない」
そのタイミングで、結城先生がのんきに教室へ入ってきた。ただならぬ空気を察知して、すぐに頬をひきつらせる。
杉崎くんが、おずおずと先生の元へ行く。二人で教室を出て、しばらくしてから戻ってきた。ゴエモンが先生に呼ばれることはなく、ほっとする。
けっきょく、なくなったと思われた一万円は、杉崎くんのランドセルの底のほうから見つかったらしい。休み時間に、教室のベランダでゴエモンと杉崎くんが向き合っているのを、クラスのみんながそこはかとなく見届けた。杉崎くんはどことなくむつけたような、萎みかけた風船のような顔をしていて、ああ、謝っているんだな、えらいな、とわたしは思った。
まったく人騒がせーと、なぜかのぞみんが怒っていた。
「よかったじゃない。早瀬さんがずっと一緒にいてくれて」
廊下で掃き掃除をしていたゴエモンに、恨めしげに八つ当たりをする。わたしの唇も心も、理不尽に尖っていた。
「なんのことだ?」
「お昼休み。勉強。早瀬さんのおかげで疑い晴れたじゃない」
「あー。いや、あれは」
「ゴエモンと早瀬さんがお昼休みまでずっと一緒にいるなんて、知らなかったなあ」
「そんなわけないじゃない」
とつぜん割って入ってきた舞台女優の声。早瀬さんが、身長の半分くらいあるごみ箱を持って突っ立っていた。
「そ、そんなわけないじゃないって?」
「さすがにお昼休みまで一緒にいないわよ。ね、石川くん」
意味ありげに、分厚いまつげを瞬かせる。
えっ。それって、じゃあ、つまり。
わたしが一つの答えを導き出したとき、早瀬さんはもう背中で語っていた。
早瀬さんってすこし、いや、かなり。小学生っぽくない。
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