11人が本棚に入れています
本棚に追加
ゴエモンが転校してきたのは、校庭に桜もちの香りが充満し始めた頃だった。
はじめまして石川颯太です石川五右衛門の子孫ですよろしくおねがいします。
息継ぎが行方不明な自己紹介が終わると、わたしたちはぽかんとしたあとで顔を見合わせた。え、なんていったの、石川五右衛門ってだれ。
おっとりしている担任の結城先生もしばらくあぜんとしてからはっと我に返って「みなさん、石川くんと仲良くしてくださいねー」と坊主頭のようなひげがある口をひくつかせて小学四年生相手に牽制した。
このクラスにいじめはない。ほんと。ただ、いまのところは、が前につく。わたしたちはいつだって、その火種を自分がつくってしまわないよう、この檻のような校舎でおっかなびっくり日々を過ごしている。わたしのいないところで友だちが固まっていたりすると心臓に汗をかくし、自分のいったことで空気が一瞬でも変になった日なんて満足に眠れない。生徒だってそんなふうに緊迫した学校生活を送っているわけだから、先生たちだって自分のクラスでいじめか、それに近いものが起きそうな火種があったら、髪を振り乱して消火したいところだろう。教室に強烈な個性なんていらない。先生は石川五右衛門の子孫の自己紹介からいっきに老けこんでみえた。
当の本人は我関せずといったふうにランドセルをがしゃがしゃかき鳴らして、指示された席につく。となりの席の早瀬結愛ちゃんだけが、よろしくね、と優雅にほほえんでいた。
驚くべきことに、わたしとゴエモンは同じマンションに住んでいることが判明した。しかも同じ階。計ったわけでもないのに、わたしたちは家を出るタイミングがほぼ同時だった。同じ階だから、玄関が開けばおのずとそちらに目が誘われてしまう。
「おはよう。梨本美羽」
「……おはよう」
なぜフルネームで呼び捨て。フレンドリーなのかよそよそしいのかどっちなの。
ゴエモンとわたしはランドセルの側面を突き合わせて学校へ通うようになった。ゴエモンの視線は、いつもまっすぐ。今日でもない、明日でもない、もっと遠くをみつめている。目が合うことはほとんどない。ゴエモンの背景に海を描いたらいい感じの雰囲気になりそう。もしくはゾンビに襲われて荒れ果てた町並み。
「ゴエモン。このあいだの金曜日は映画でドン! 見た?」
「何時だ?」
「え? いま?」
「ちがう。その、金曜日は映画でドン」
「九時」
「その時間は寝てる」
「えっ。早くない?」
「じっちゃんが早いからな」
ゴエモンの話にはよくじっちゃんなる者が登場した。ゴエモンのお父さんは出張が多く、お母さんは看護師で夜勤もしているから、その二つが重なるときゴエモンは近所にあるじっちゃんの家に預けられているらしい。
「ゴエモンだけ起きてればいいじゃない」
「電気代がかかるだろ」
「電気代」
「じっちゃんはあんまり金ないから。ちゃんと考えてやらないと」
ゴエモンのこういう大人ぶった態度と、話すときに目を見ないところが気に食わない。わたしはお母さんに、ひとと話すときは目を見て話しなさいといわれていたので、たえずゴエモンをみつめているというのに。
「今日算数の小テストあるけど、勉強した?」
ゴエモンが足を止める。ゾンビに出会ったみたいな表情でようやくわたしを見た。
「忘れてたな」
ふっ。かっこつけて笑うと、哀愁をランドセルと一緒に背負って学校の門をくぐる。ゴエモンはテストとか宿題の存在を大抵忘れてるから、こういうことをいうとようやくわたしと目が合うのだった。
「じっちゃんは、無実の罪で仕事を辞めさせられたんだ」
ある日のこと。ゴエモンはわたしの質問にそう答えた。わたしのおばあちゃんが定年退職して、このまえちょっとしたパーティーをしたんだという話から、ゴエモンのじっちゃんは定年した? と訊いたのだった。
むじつのつみ。舌をつまずかせながら復唱する。
「無実の罪、って、ほんとはやってないってことだよね?」
「そうだ」
「ちなみに、どんな?」
「窃盗だ」
せっとう。これまた小学四年生には馴染みのない言葉である。
「どうしてゴエモンのおじいちゃんが疑われたの?」
ゴエモンは唇を結わいた。産毛のひげが前へ突き出る。
「おれたちが、石川五右衛門の子孫だからだ」
最初のコメントを投稿しよう!