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その日、鷹宮は仕事もそぞろに、机に突っ伏すようにして、手を合わせ、祈っていた。
朝からずっとそうだ。
俺達がおはようと声をかけても、上司が動かぬ彼を叱り飛ばしても、取り憑かれたように動かない。
何事かと思い、隣にいた俺がしつこく尋ねてみれば、ようやく観念したように口を割る。
曰く、今日は鷹宮の子供が生まれるかどうかの瀬戸際なのだという。
「一昨日からずっと続いているんだ。こんな長くなるなんて聞いてないよ……」
成る程、そりゃあ仕事どころではない。
一昨日が結婚記念日だと聞いてはいたが、突然二日続けて休んだのもそういう訳か。
昨日も同僚の娘の誕生日祝いをわざわざ郵送で送ってくれていたから、そんなことになっているなんて気づかなかった。
そうとわかれば話は早い。
部署内の連中にも広めてやれば、揃って鷹宮の机に集まり、彼の仕事を肩代わりしてやる。
「いや、いいよいいよ、そんなことしなくて……」
「馬鹿を言うな、そんな一大事を前にしてまともな仕事なんて出来るわけないだろう?」
「仕事仲間にそんな無理をさせられませんよ。先輩は早く帰って、奥さんと一緒にいてあげてください!」
「いや、私は……」
鷹宮が何か言おうとした時、彼の携帯が鳴った。
「はい、鷹宮です……なんですって、そんな……」
「なんです、どうしたんですか?」
「病院からです。赤ん坊が……」
「赤ん坊が? まさか赤ちゃんと奥さんの身に何か……」
「もう直ぐ生まれそうなんです! あぁ、神様、どうか……」
鷹宮は机に突っ伏し、震える手で祈った。
我々は見ていられず、その後ろで応援する。
「大丈夫だよ、鷹宮さん。きっと二人とも無事だ!」
「そうですよ、二日続きの陣痛だって、奥さんなら耐えきれます!」
「やめてくれ、やめてくれ……!」
部署の中はすっかり熱気だっていた。
ワールドカップの最中だって、ここまで熱を込めて応援したことはなかっただろう。
鷹宮はいい奴だ。
みんなの記念日を我がことのように祝ってくれる。
そんな彼の心の不安を、取り除いてやりたいと思うのは当然のことだった。
頑張れ! 頑張れ!
まだ見たことのないかれの妻と子にエールを送る。
誰もが鷹宮家のことを思っている。
頭を抱える彼の背中をさすり、鼓舞し、励ます。
「そうだ、気が早いけど、誕生日プレゼントとか……」
「やめてくれ! そんなっ……あ、電話……」
また電話が鳴る。震える手で対応した鷹宮は、少しボソボソ話したかと思うと、その場に力無く崩れ落ちた。
「鷹宮さん、どうしたんですか? まさか……」
「……生まれた。女の子だ」
途端、部署は大きく湧いた。
気が抜けたのか、立てずにいる鷹宮を抱き上げて、誰ともなく万歳合掌が始まった。
「おめでとう!」
「おめでとう、鷹宮さん!」
「誕生日プレゼント、絶対用意しますね!」
祝いの言葉に、鷹宮は反応しない。きっと緊張が一気に解けてしまったのだろう。
「昨日か一昨日なら良かったんだ……今日だけは何もない日だったのに……。三六四日、毎日毎日誰かの記念日を祝わなきゃいけなかった……それが今日だけは、今日だけは、誰のなんの記念日でもない、私一人だけのための特別な日だったのに……」
力無く呟く鷹宮の言葉の意味は、私にはよくわからなかった。
こうしてはいられない。早く彼への祝いの品を買わなくては。今日は特別な一日になりそうだ!
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