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いよいよクリスマス・イブがやってきた。ある意味特別な日だ。
幸之助は特段はしゃぐ様子も見せず、私がいつもよりも頑張って作った夕食を淡々と運んで手伝ってくれる。去年は私の帰りが遅かったので母子がどんな様子で準備をしていたのかは判らないが、少なくとも今の十倍以上は楽しそうにしていたに違いない。妻は既に風邪も治っていたが、まだ用心の為と言って家事の交代は出来ないままだった。
と、幸之助が手を休めてツリーを見上げていた。その背中を見て、私は良い事を思いついた。何でこれを忘れていたのか!という程いいアイデアだ。
「幸之助。今思い出したんだ。やっぱりサンタクロースはいるよ」
「はぁ?」
「だって、何処かの国がサンタを追跡してるんだ。公的な機関がだぞ?現在位置もネットで確認できるから見てみよう」
「大がかりに子供をだましてるやつでしょ。しってる」
首が音をたてそうなほど私はガックリした。知ってたかぁ…。
「パパしつこいよ。もういいって言ってるじゃん。いなくったって何のもんだいもないのに、何でそんなこと言うの?そもそもサンタクロースの日じゃないでしょ?イエス・キリストのお祝いの日でしょ?何でサンタにこだわるのさ。バッカみたい!」
「コウ…」
いつの間にか、妻が居間に来ていた。
やや興奮気味だった幸之助は、ハッとして声の方を振り向くと、バツの悪そうな表情になり、少し俯いた。
「ママ」
妻は淋しそうな顔をしていた。
そして幸之助のそばに歩いてくる。
「ぐあい、もう、いいの?」
急におとなしくなった幸之助は、おずおずと上目遣いにそう尋ねた。妻はしゃがんで、弱々しく微笑み、幸之助の髪をそっと撫ぜる。
「うん。もう大丈夫よ。パパが頑張って御馳走作ってくれたから、みんなで食べようね」
「うん」
「ねえ、コウ」
「なに?」
「サンタクロース、もう死んじゃったんだね」
「…うん」
「仕方ないよね。そんなに長生きできないもんね」
「…うん」
「騙しててゴメンね」
「…うん」
「でも、コウはそれを知ってるけど、コウのお友達の中には、それを信じてる子達もいるでしょう?」
「うん」
「コウのお友達だけじゃなくて、コウの知らない沢山の子供たちが信じてたりするよね?判る?」
「うん」
「もちろんそれは、大人たちが『良い子にしてたらサンタクロースがプレゼントを持って来てくれるよ』って子供に冗談みたいに気軽に嘘をついちゃうからなんだけど、大人たちだって悪気がある訳じゃなかったのよ。でも、一度ついた嘘は、次から次に嘘を生んじゃって、こんなに長い期間嘘をつき続けてるから、凄く大きな嘘になっちゃって、もう後には引けなくなっちゃったのね。だから、いつか騙されてた子供が大人になって、自然に自分で嘘だって気付いてくれるまで、大抵の大人は黙って口をつぐんでいるものなの。悪いよね。嘘はいけないと思う、ママも。だから、ゴメン」
「ううん」
「だけどね、コウ。それを信じてる子供たちの中には、サンタさんがプレゼントを運んできてくれる事を、本当に凄く楽しみにしてる子もいるの。例えば、病気でずっと病院から出られない子が、良い子にしてたら病気が治るかもしれない、良い子にしてたらサンタさんが来てくれるかもしれない、そう思ってるとするでしょ?例えば周りの大人たちがそんな風に話をしたりしてね。それで、その子は病気が治るかもしれないって希望を持つでしょう?」
「うん」
「でも、そんな時にサンタさんがプレゼントを持って来てくれなかったら、どんな気がすると思う?」
「…悲しいと思う」
「そうだよね」
「…病気も、なおらないような気がすると思う」
「そうだね。そんな気分になったら、もしかしたら体にも影響が出て、本当に治らなくなっちゃうかも知れないよね。判る?」
「うん」
「コウ。ママはね、もしその子が悲しくなって気持ちが落ち込んじゃうくらいなら、嘘をつき続けようと思う。少なくともその子が大人になって自分で気付いちゃうまでは」
「うん」
「だからね、コウ。コウのお友達やよその子達がサンタさんを信じてても、そんなの嘘だって言わないでいてほしいの。もちろん積極的に嘘つきになる事はないよ。さあ知らないとか、判んないって言って」
「ごまかすの?」
「うん。出来る? 」
「うん」
妻は優しく微笑んで幸之助を抱きしめた。
「ありがとう。コウはもうすぐ小学生になるし、出来ると思ってた」
妻は嬉しそうにクシャクシャと幸之助の髪を撫でまわして、幸之助はこれもまた嬉しそうに笑ってその手から逃れようとした。
ひとまず一件落着か。
私はほっとして、そしてこの場を収めた妻に感心して、一つ大きく息を吐いた。
「じゃあ、あなた、ケーキも出してよ。テーブルの上もっと賑やかにしましょ」
妻が、さぁてと!と言って立ち上がる。
私は瞬時にゾッとした。
顔から血の気が引いて行くのが自分で判る。
それを見て妻が言う。
「何よぉ、ちょっとー!まだケーキ取ってきてないの?信じられない」
そして壁の時計に目をやる。
「いいわ。まだ間に合うから早く取ってきて。コウと私で留守番しとくから」
「いや、その、違、違うんだ」
私の心臓はバクバクと鳴り出した。
「はぁ?何?…まさか、あなた」
「そそ、その」
「まさかあなた、ケーキの予約を忘れたの⁉」
「ゴゴ、ゴメン!ついうっかり!ゴメン!本当ゴメン!」
「信じられない!私にとってクリスマスはケーキを食べる日なのよ‼」
妻は叫んで、そしてハッとして幸之助を見下ろす。
幸之助は驚いたように妻を見上げていた。
黙って見つめ合う二人を見て、私はさらに焦った。先刻は神妙な事を言っていた妻だが、母にとってクリスマスがケーキの日だと知った息子はどう思うのか?もしやこれで母子の絆が壊れやしないか?
しかし、私のそんな思いは杞憂に終わった。母子は見つめ合いながら、どちらからともなくぷっと吹きだし、笑いあった。
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