第一話 爆誕、馬人間ドラセナ

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第一話 爆誕、馬人間ドラセナ

 ──これは、まずいことになったぞ。  テッサリーア・マレアス・ドラセナは、行くあてもなく大草原を裸足で駆けていた。その全身からは冷や汗と共に、哀愁が滲み出ていた。  山間から顔を出し始めた朝日が、ウマリティ王国に一日の始まりを告げるが、その柔らかい陽光ですら、今のドラセナには不快だった。  初夏の風がそよぎ、大草原の緑の絨毯に波を描く。視界は三百五十度。ほぼ全方位を見渡せる。広大な自然を網膜は映し続けている。  が、今のドラセナにはその自然と生命の伊吹さえ楽しむ余裕がなかった。  ドラセナは昨夜まで、このウマリティ王国の英雄だった。  ──俺が戦乱を終わらせて、平和の時代を築く。  その思いを胸に、十二歳にして騎馬隊に入隊。十三歳で初めて戦場に赴いた。人馬一体で漆黒の愛馬・トゥレネとともに戦場を駆け回る日々は、国民の語り草。血で血を洗う戦争の日々で、あげた勲功(くんこう)は数知れず。  後に「二十年戦争」と言われた大国、サロルドとの戦いを終戦に導いた最大の功労者であった。  ドラセナ一人で一国の軍事力を有する。我に過ぎたるものだ──。先代の国王、カイロスが賞賛した程。二十五歳にして軍部トップである騎馬隊長に任命されたのは、その強さと皆からの信頼の証左であろう。  さらに鍛え抜かれた筋骨隆々(きんこつりゅうりゅう)の肉体からは、想像できぬほどの甘いマスク。城下町を歩けば、颯爽とした一陣の風が駆け抜ける。誰もが憧憬(しょうけい)の眼差しで見つめてきた。  プライベートでは、カイロスの三女である美しき妻を(めと)った。一男一女の子宝に恵まれ、まさに順風満帆の日々だった。  だが、そんなドラセナに昨夜、悲劇が襲った。 「マーカム王様、お逃げください! こやつ魔物でございます! 我々が成敗いたします!」  堅固な守りで知られるローレンス城に怒号が響き渡った。  苦楽を共にしてきた忠臣たちは、変わり果てたドラセナに、容赦なく刃を向けてきた。  ドラセナは弁明すら叶わず、半ば逃亡する形で城を出た。幾多もの山を越え、川を越え、ウマリティ王国の精鋭が集まる騎馬隊の追随を何とか交わした。  命からがらの逃亡劇である。この大草原まで夜通し走り、ようやく追っ手を撒いたのだった。  ──全てはこんな異形の姿になったばかりに……。  ドラセナはギュッと奥歯を噛む。先ほど食した青草の味が口いっぱいに広がる。その渋みとともに、森の泉で見た自らの姿が網膜には蘇る。  満月が泉に浮かんでいた。カラカラの喉を潤そうと水面に近づけた瞬間、自らの全身が映し出された。  ──これでは本当にウマリティ童話の魔物そのものではないか。 fbe2cb2d-e1ef-4b8e-ad53-66aeca909212  上半身は漆黒の愛馬・トゥレネ。赤白色の馬具の頭絡(とうらく)手綱(たずな)はそのままで腕はない。額の流星にいつもの輝きはない。  そして、下半身は紛れもなく鍛え抜かれた最強戦士・ドラセナのものだった。丸太のような太ももと隆起した筋肉。  ──この足がなければ、ここまで逃げきれなかっただろう。  両手を失い、上半身は馬で下半身は人間。馬人間とでも表現できようか?  一つはっきりしているのは、今の姿ではもはや誰もドラセナと認識しないということだ。  あの美しき温厚な妻、サルビアンナですら、ドラセナに包丁を投げつけてきたからだ。  築いてきた全てを失ったと言っても過言ではない。  ──俺がなりたかったのは、誇り高きケンタウロスだ。こんな馬人間ではない。 aec5da69-d0bb-40bd-8fe4-41145ed2aed2 「おお、神・ディファロスよ……。上半身と下半身が逆だ。これは俺が望んでいた姿ではない。どうして俺を馬人間に変えた⁉︎」  大草原を走る二足歩行の馬人間・ドラセナは嘆く。が、上半身が馬となった今、人間の声は出ない。 「ヒヒーン!」  哀愁が漂う馬独特のいななき声だけが、草原を虚しく駆けていくだけだった。
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