きみは流星

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☆  あかりと家族になってから、僕の世界は180度変わった。  まるで、世界の解像度が上がったみたいだった。  窓のない殺風景な部屋も、彼女がそこにいるだけで、太陽の光が射しているみたいに明るかった。それは、科学的に説明できない、不思議な現象だった。  開け放たれたベランダから、ちりん、と涼やかな音がする。 「ほら、流れたよ、流れ星」 「お願いごとしなきゃ!」  ひかりが、慌てて両手をぎゅっと合わせる。 「いつか、目が見えるようになりますように」  僕の視線に気づいたあかりが、振り返る。その手の中には、小さな鈴が握られている。 「正しいか、正しくないかは分からない。でも、願いは、生きるための希望になるから」  そう、あかりは言っていた。  六歳という幼さで、突然光を奪われた娘に、彼女は、鈴の音色を聞かせ、それが流れ星の流れる音なのだと教えたのだった。 「ペルセウス座流星群を見に行った日のこと、覚えてる? 結局、私もあなたも、流れ星を見る前に眠っちゃったのよね」 「あの日、あかりは何を願うつもりだったの?」 「秘密」  唇に人さし指をあてて、あかりが微笑む。 「でも、ちゃんと叶ったよ」  あかりの病気が見つかった時、余命一年と診断したのは、他でもない僕だった。 「嘘はつかないで」  と、あかりは言った。  だから僕は、彼女の目を見て、伝えた。残酷な事実を、一粒の涙も流さない彼女のかわりに、泣きながら伝えた。 「私のかわりに、ひかりに流れ星の音を聞かせてあげて。毎晩一緒に夜空を見上げて、祈ってあげて」  古ぼけた鈴を差し出して、そう、あかりは言った。 「私が死んだら、私の角膜を、ひかりに移植して。あなたならできるでしょ?」  ひかりが十二歳になるまでは、絶対に生きる。なんとしてでも、這いつくばってでも生きる。  そう言うあかりの瞳は、胸が痛くなるくらい、美しかった。 「私はね、あの子の心に降る流れ星になりたいの」 ☆ 「お母さんは、もうずっと長い間、病気と戦っていたんだよ。でも、ひかりが十二歳になるまでは、絶対に生きるんだって、口癖みたいに言ってた。十二歳になれば、角膜移植を受けられるだろう?」  声が震えないように気をつけながら、僕は言う。 「ひかりの目が今見えているのは、お母さんのおかげなんだ。お母さんは、いつも願っていたんだよ。ひかりが、希望を失わずに生きていくことを。だから、この鈴に願いを託したんだ」  手のひらの中で、ちりん、と鈴が鳴る。 「これが、流れ星の音なんだという、優しい嘘をついて」  人は、死んだら塵に帰るだけ。それ以上でもそれ以下でもない。  そう言った僕を、あかりは優しい人だと言ってくれた。でも僕は、そうやって自分を納得させなければ、やってこられなかっただけなのだ。  死んでしまった彼女は、どこへ消えてしまったのだろう、と思う。燃えかすになった彼女の骨を見た時、自分の中の何かが死んでいくのを感じた。この虚ろさを、僕は一生抱えて生きていくのだろう。  その時、ひかりが首をかしげた。 「でも、お父さん。これ、流れ星の音じゃないよ」 「……え?」  あ、とひかりが目を見開く。 「あ、流れ星」  その瞬間、不思議な音が聞こえた。どこからか、空気が弾けるような、美しい音色が。 「そんな……」  目を見開く。  そんなことは、科学的にあり得ない。  でも、聞こえた。確かに、聞こえた。  思わず、身を乗り出す。星も見えない都会の夜空に、僕は、必死で目を凝らす。  ああ、そうだったのか、と思う。  世界の秘密が解けたみたいに、僕は、分かってしまう。  あの夜。あかりと、ペルセウス座流星群を見に行った、あの夜。  流れ星が降る音は、確かに、夜空に響いていたのだ。でも、僕には聞こえなかった。  それは、きみのせいだった。  きみが、あんまり綺麗なせいで。  心臓の鼓動が、うるさいせいで。  僕には、聞こえなかったのだ。 「お父さん」  ひかりが、僕の手の上に、手のひらを重ねる。はっとするほど美しい瞳が、僕を見る。 「あなたが、ひとりぼっちじゃなくなりますように」  その時、その瞳の中に、一筋の光が駆けていくのを、僕は見た。
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