きみは流星

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「流れ星を見に行きませんか」  あかりがそう言い出したのは、例によって、夜勤明けの帰り道だった。 「流れ星に、願いを託しに行きましょう」 「友達と行けばいいじゃないですか。僕と行っても、楽しくないですよ」 「楽しいか楽しくないかを決めるのは、先生じゃなくて私です」  隣を歩く、あかりの横顔をまじまじと見る。十個も歳が離れたこの人は、僕への好意を隠そうとしない。それが、どういう類いの好意なのか、僕はなるべく考えないようにしている。 「だいたい、願いというのは、自分自身の努力によって叶えるものです。流れ星に祈ると願いが叶うなんて、どう見ても非科学的ですよ」 「出た、その非科学的って言葉。先生ってほんと、ロマンがないですよね」  それでも結局、あかりに押しきられて、その夏、僕らは流れ星を見に行くことになった。  あかりによると、その夜は、ペルセウス座流星群の極大期らしかった。  夏の夜の海辺は、思った以上に肌寒かった。潮風に晒されて錆び付いたベンチに、ふたり並んで腰を下ろす。  満天の星空は、雲ひとつなかった。  暗闇に散りばめられた無数の星が、まるで意志を持っているかのように、きらきらと輝いている。人は、死んだら星になる。そんな迷信も、本当のことに思えてくる空だった。 「今日は寝ちゃダメですよ、プラネタリウムの時みたいに」 「分かってますよ」 「流れ星、見えるかなぁ」  子供のように脚をぶらぶらさせて、あかりが言う。 「知ってます? 流れ星が流れる時、耳をすますと、星が降る音が聞こえるって話」 「まさか。流れ星は、地上から約100キロの高さで光るんです。音が聞こえるなんて、科学的にあり得ませんよ」 「そう言うと思った。……でも昔、うちの母が言ってたんです。流れ星を見た時、空気が弾けるみたいな、不思議な音が聞こえたって」  本当だったら、素敵じゃないですか? とあかりが微笑む。 「じっと耳をすましていたら、聞こえるかな」  しかし、流れ星は、なかなか姿を現さなかった。  空を見上げすぎて首が痛くなった頃、ふと静かになったと思ったら、隣からすぅすぅという寝息が聞こえてきた。横を見ると、あかりはベンチに寄りかかり、気持ち良さそうに眠っていた。 「寝ちゃだめだって言ったのは、あなたじゃないですか」  思わず苦笑したその時、視界の端で、何かがきらりと光った。  あ、と息をのむ。  流れ星だった。  まばたきする間もなかった。さっきまでの沈黙が嘘のように、次から次へと、夏の夜空に光の矢が降る。 「遠坂さ……」  慌ててあかりを起こそうとした時、こつん、と肩に温かいものが触れた。  驚いて横を見ると、あかりの寝顔が、すぐ隣にあった。  自分の肩に押しつけられて、柔らかくつぶれた頬。わずかに開いたままの口。つややかな髪の毛は、寝息に合わせてふわふわと揺れていた。  まぶたの下に流れる、長い睫毛を見つめる。まるで幼い子供のように、あどけない表情をしていた。シャンプーの、花のような微かな香り。その香りを、僕は、そっと吸い込む。  あかりを起こさないように、ゆっくり、本当にゆっくりと顔を上げた。夜空にまた一筋、新たな星が曲線を描き、消えていく。  この人と、ずっと一緒にいられますように。  そう願っている自分に気づいた時、僕は初めて、彼女に恋をしているのだと知った。
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