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――― あの成瀬ときたら、野々村の来訪に不服そうだったのに、廃校の件で意気投合した途端、移住を勧めたり、仕事をあっせんしたり、住居を手配しようと言ったり。かと思えば『一緒に帰って仮眠をとれ』と、野々村と二人だけになるよう仕向けたりして、考えていることがよく分からない
帰宅の道すがら、松岡は悶々としていた。もしかしたら、自分に見切りをつけ『好きにやってくれ』と愛想を尽かしたんじゃないかと思うと居てもたってもいられず、野々村を部屋に届けたら とんぼ返りをして彼に弁解を――― などと考えていたら我に返る。
――― 昔の俺だったらドンと構えていたのにな
以前は家庭があり、帰る場所があるという保険があった。しかし今は一人身で、しかも 還暦を迎えるシニア世代。『次がない』という焦りから成瀬に執着しているんだろう――― と、野々村そっちのけで考えながら開錠し、家に入ると客間に敷いてある布団を指差して「朝までゆっくり寝てていいよ」。風呂場へ行って蛇口をひねると「お湯は10分で溜まるから」。そして、キッチンを案内して「好きに使って構わない」そう言い残して踵を返そうとしたところで、野々村から上着の裾を引っ張られ鬼の形相で睨まれる。
「やっと二人っきりになれたのに、それだけですか?」
「だって、今から急患の紹介状と資料を準備しないといけないし」
「そんなの、成瀬さんと交代した後でいいでしょう?」
「宿題を残して平気でいられる性格じゃないんだ」
「僕がここへ来た理由、尋ねてくれないんですね」と、野々村は声を荒げて言ったあと、切々と不満を訴え始めた。
「先生の離婚の原因が少なからず自分にもあったから、先生が病院を辞めると聞いた時も、何十キロも離れた過疎地の診療所へ行くと知った時も何も言わずに見送りました。そして『一旦、別れよう』と言われた時も、ほとぼりが冷めた頃に『逢いたい』と言ってもらえるんじゃないかと首を長くして待っていました。なのに、先生から連絡が来ることは一度もなかった」
「悪かった。180度変わった仕事や生活に慣れるのに必死でね。君もここへ来て見ただろう? 仕事とは関係のない村議会に呼ばれたり、急患を村人たちの手を借りながら あくせく対応している姿を」
すると、野々村は片方の口角だけ上げて皮肉っぽく笑った。
「まあ、薄々感づいていましたけどね。先生が僕との関係を終わらせたがっていたことは。だから、気持ちのけじめをつけて前に進みたかったんで逢いに来たんです」
ああ、だから出会ったばかりの成瀬に色目を使ったのか――― と、済んでのところで言いそうになった その時、
「先生、もしかして成瀬さんとデキてたりします?」
「な、なに莫迦なこと言ってるんだ!」
「僕が来たとき焦っていたし、成瀬さんにすごく取り繕っていたし。成瀬さんも随分取り澄ましていましたよね」
「それはない、絶対にない。そんなことを言ったら彼に失礼だ」
「じゃあ、あれは僕の勘違いだったのかな?」
「あれって?」
「成瀬さん、僕に「移住したら?」と心にもないことを言ったり、「住む場所は先生に任せた方がいいのかな?」なんて皮肉を言ったり、「先に仮眠を」と僕ら二人を帰らせたり。あれって、先生の反応を見る為だと思ったんですけどね」
この野々村の洞察力に松岡は肝をつぶした。反論したくても墓穴を掘りそうで言い出せず、苦虫を噛み潰したような顔になる。
「でも、最後の方は楽しんでいるみたいだったな…… な~んて言ってる僕も、あの人の演技に乗っかって楽しませてもらいましたケド」
「それ、全部君の妄想だ」
「そういうことにしておきましょう。でも彼って なかなか強かですよ。先生が落とすのに苦労するのが良くわかる」
「……」
「だけど、ここへ来て良かった」
「どうして?」
「先生への気持ちが吹っ切れたから」
「それに関しては、悪かったと思っている」
「いや、先生は悪くない。『一旦、別れよう』と言ってケジメはつけたんですから」
「『一旦』と言うところが卑怯だけどね」
「そこが優しさなんですよ。2年間付き合って先生の性格は理解しています」
そう言って、野々村は目を細めて笑うのだった。
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