プレシャスデイズ 5 ~ スイセンとつむじ風

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 運転役を頼まれた松岡は、案内役の成瀬の指示を待っていた。すると――― 「野々村さん、この村は風光明媚なところですが観光名所って特にないんですよ。あえていうなら、棚田百選に選ばれた田んぼとか、整然と並ぶ茶畑とか、テレビが取材に来た廃校とか。だから、まず そこへ御案内しましょう」 「廃校?」 「去年から通う子どもがいなくなった小学校です。昭和初期に建てられたレトロ感満載の木造校舎なんですが、維持費がかかるので今年いっぱいで取り壊されるんです。まあ、そこがインスタ映えしそうなところかな。あとは…… 満天の星空。初めて見た人は圧倒されると思います。私も時が経つのを忘れて見入ってしまいましたから」 「そういえば、成瀬さんはこの村の人じゃないんですよね。なら、どちらからいらしたんです?」  すると、一瞬 成瀬は躊躇したが、その後何事もなかったように微笑んだ。 「東京です」 「東京!? なんでまた、こんなところへ?」  この問いに、松岡は肝をつぶした。若いせいもあるけれど、野々村は思ったことをすぐ口にしたり行動に移す きらいがある。付き合っている頃はベッドの中でキスマークやひっかき傷を付けるの止めなかったし、今回も相手の都合も聞かずに いきなり訪ねて来た。そんな自己中心的なところが彼との恋愛にのめり込めなかった理由である。 「その話は長くなるんで、車を出してからにしましょう。先生、小学校への道はご存知ですか?」 「いや、知らない」そう答えると、成瀬は道順を説明した後、動き出した車の中で先ほどの質問に答えた。 「ここの出身だった恋人が亡くなって、寂しさを紛らわせるために来たんですよ」 「そうだったんですか……。彼女さんのこと、すごく愛してらしたんですね」 「あと、東京の生活に疲れたっていうのもあるかな。元々、出身がO市の田舎で、歳を取ったら九州に戻って のんびりしたいという気持ちがありました」 「結婚はされなかったんですか?」 「ええ、事情があって…… あっ 先生、そこを右に曲がって下さい」  運転しながら会話に聞き耳を立てていた松岡はヒヤヒヤしていた。  あの野々村ときたら、成瀬の過去を根掘り葉掘り聞いてどういう了見なんだろう? 俺だって、逢って いきなりそんな不躾なことは聞かなかった。だからコイツは…… と、呆れながらアクセルを踏んだ その時「先生、そこで停まって下さい」と、声が掛かった。  まだ着いてないのに何でだろう――― そう思いながらブレーキを踏むと、成瀬が道路を挟んだ向こう側を指差す。そこには大名屋敷の様な重厚な門構えと、その奥に見上げるほどの屋敷が鎮座していて『こんな田舎にあんなものが……』と、松岡と野々村は口をあけて見惚れてしまった。 「ここは?」と尋ねる松岡に、西日に目を眇めながら成瀬が答える。 「観光名所というわけではないんですが、江戸時代から この土地を治めていた庄屋さんのお宅です。すごく豪勢な造りでしょう? 昔この村は林業が栄えていて、腕利きの大工さんも大勢いたので このような家をよく見かけます」 「ここまで立派な日本家屋って久しぶりに見たよ。この塀って向こうまでずっと続いているけど、敷地面積はどれくらいなの?」 「確か、四千坪だったかな。敷地の中には離れや蔵や池があって、お婆さんが元気な頃は毎日手入れをされていました」 「今は?」 「半年前 施設に入所されてからは空き家です。子どもさんたちは皆遠方にいて、次に住む人がいないと聞いています」  この古い民家に心を奪われた松岡は運転席から降り、門の外から中の様子を伺った。玄関へ続く前庭には腕を広げた様な松の木と傍に横たわる庭石が、その奥の家屋には漆黒の瓦と漆喰壁、弁柄色の桧柱が使われていて、誰も住んでいないことを残念に思った。 ――― 中に入って見学したい  百年以上の歴史を持つ老舗旅館が実家の松岡は古い建造物に興味があり、催促するように成瀬の顔を見つめたが…… 「残念ですけど、中へ入るのは許可を取ったほうがいいでしょうね」 「ここから写真を撮るくらいなら構わないだろう」  そう言うか言わないうちに、上着の内ポケットからスマホを取り出しパシャリパシャリとシャターを押す。  管理者のいなくなった建物は放っておくと荒れ果て、元に戻すには費用と労力がかかる。この家も廃校の決まった小学校同様、取り壊されるのは時間の問題だろう。一千坪の広大な土地と瀟洒な建物なら何かに使えそうなものだが、それまで村が管理するのは困難だろうし、ここを別荘や保養施設に使いたいと名乗り出る【物好き】も そうそういない。  いや、ちょっと待て…… と、松岡はスマホから目を離すと、建物に目を凝らして思考を巡らす。  端から諦めてしまったら村の改革なんて いつまで経っても出来やしない。憂い嘆くことは終わりにして、これからは村にある財産――― 例えば、職人技が凝縮した屋敷や、目にも美しい棚田から取れる米や それを育てる清らかな湧き水、質の良い木材、宝石をちりばめた様な星空等々――― それら一級品を世にPRし、ブランド化を推し進め、継続させる為の人材とスポンサーを確保する必要が…… と、将来を展望する松岡だったが、ふと我に返って問いかけてみた。 ――― そんなことを言っている自分には何ができるんだ?  持っている力は微々たるものだが無いよりはマシ――― そう腹を括った彼は、先ほどスマホで撮った画像を【とある人物達】へ送る決意を固めていた。
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