プレシャスデイズ 5 ~ スイセンとつむじ風

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 AEDで除細動を行ったあとも心臓マッサージは続けられた。そして、しばらく経った後、唸り声と共に患者の瞼が動き出して苦悶の表情をした。 ――― 意識が、戻った  安堵した松岡が耳元で患者の名を呼ぶ。「はい……」と弱弱しい返事のあと、うっすらと瞼が開かれ、取り囲んでいた人々から歓声が湧きたつ。男は自分の身に何が起こったのか分からず ぼんやりしていたが、どうやら危機的状況からは脱したようだ。しかし、松岡は一晩診療所で様子を見た後、原因を精査するため僻地医療拠点病院への受診を検討したので、絵里名嬢が手配した車で診療所へ搬送された。  先に車から降りた成瀬が、診療所に設置してあるストレッチャーを持ってきた。一緒についてきた客らが患者の移動に手を貸し、準備が整った処置室のベッドまでへ移送する。倒れた男はすっかり意識を取り戻し「もう大丈夫」「家に帰りたい」と訴えた。男は妻と二人暮らしで、連絡を受けて近所の人に付き添われてやって来た妻にも「連れて帰ってくれ」と駄々をこねる。  松岡は患者とその妻に噛んで含めるように病状の説明をした。今のところ、バイタルサインや心電図モニターは正常に戻っているが一晩診療所で様子を見たほうがいいこと、付き添いの必要はないこと、そして明朝 紹介状を持って精査できる病院へ受診したほうがいいこと等々。「私は知らん道はよう走りきらん」と泣きそうになる妻に付いてきた隣人が「心配せんでよか。わしが送っちゃるけん」と力強く言い、それに安堵した妻は「お父さんをよろしく頼みます」と何度も頭を下げて帰っていった。  ようやくひと段落ついた松岡は腕時計を見た。針は22時を回っており、入口玄関の戸締りを終えて戻って来た成瀬に「お疲れ様」と声を掛けた。 「今から紹介状を書いたりするから、君はもう帰って」 「先生の方こそ。ほら、野々村さんもいることだし」  そうだった、野々村って俺んちに泊まるんだっけ。そういえば、彼もずいぶん活躍してくれたな――― と、労うために辺りを見渡せば、彼は患者のカルテを真剣に見つめていた。 「この患者さん、これといった既往歴がないんですね。最後にここを受診したのは2年前で『インフルエンザB型陽性』とだけ書いてある」 「AEDがショックを与える指示を出したということは心室細動か心室頻拍を起してたんだろう。ということは、原因は心筋梗塞や心筋症なんかが考えられるけど、心電図やモニターではどちらの所見も出てないだよね。だからと言って、それらを否定するわけにもいかないから、精査治療できる病院で診てもらった方がいい」  松岡の説明を離れた場所で聞いていた成瀬は、双方の顔を見比べながら微笑むと 「早く連れて帰ってあげなくちゃ、野々村さんが休めませんよ」 「そうだけど……」 「あれだったら、交代で仮眠を取りましょう。だから先生は先に休んでください。何かあったら連絡します」  そういうと、成瀬は『一緒に帰れ』と言わんばかりに、野々村を松岡の方へ押しやったのだった。
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